第16話 【5月上旬】朝日向火乃香と摘まんだ指先

 「――わたし居ると邪魔っぽいし。一人で先に帰ってるから」


俺と泉希みずきを交互にめつけ吐き捨てるように言うと、俺から買い物袋をひったくり、火乃香ほのかは足早にエスカレーターへと向かった。


「火乃――」


呼び止める間もなく立ち去る火乃香の後ろ姿に、俺はただくうに手を伸ばすことしか出来なかった。

 そうして人の波に飲み込まれるみたく、あっという間に火乃香は見えなくなった。


「ど……どうしたんだろうな〜、アイツ。もしかして緊張してんのかな。やっぱり年頃の女の子っていうのは難しいよな~」


「ははは」と引いた笑いを浮かべて、伸ばした手を戻し痒くも無い頭を掻いた。自分でも顔の引きりが分かるほど白々しい。


 「いいの? あの子を一人で帰して」

「……いいも何も火乃香は高校生だぞ。一人で家に帰るくらい出来るさ」


怪訝そうに眉根を寄せる泉希に、俺は尚もいびつな笑みを貼り付ける。

 それでも表情を崩さない彼女に居た堪れず、俺は冷たい汗を浮かべて泉希の細い肩を叩いた。


「行こうぜ泉希。明日から仕事も始まるし、打合せがてら珈琲でも――」


そこまで言いかけて俺は言葉を飲み込んだ。まるで堤防みたく、言葉の波がき止められた。


 自分でいた嘘に、心が耐えられなかった。


 火乃香は俺以外に頼るあてが無い。宣言した通りアパートに帰るつもりだろう。まだ引っ越したばかりでこの辺りに不案内だと言っても、来た道を戻るくらい火乃香ならワケもない話だろうからな。


 でも、大事なのはそこじゃない。


 火乃香がウチに来た日、アイツはオフクロさんのことを『一緒に住んでいるだけの赤の他人』と言っていた。

 今ここで火乃香を追わなかったら、俺達の関係もそうなってしまう気がする。もう二度と本当の家族になれない気がする。


 気付けば泉希の肩に置いた右手も離して、俺は拳を握っていた。今はただ火乃香を追わなかった後悔とうれいにし潰そうになる。

 

 「なにボケッと突っ立ってるのよ。サッサと行きなさい」


だがその時。立ち尽くす俺の耳を泉希のつっけんどんな声が撫でた。

 予想外の言葉に「えっ?」と間抜けな声を漏らせば、泉希は呆れた様子でジトリと俺を睨み返した。


「い、行くって……カフェに?」

「なに馬鹿なこと言ってるのよ。あの火乃香って子を追いかけたいんでしょ」

「い、いいのか?」

「いいも何も自分の顔に書いてるじゃない。『あの子を追いかけたい』って」

「うっ……」

「そんなんでお茶なんて出来ないでしょ。私のことはいいから、早いこと行ってあげなさい」


「シッシッ」と厄介払いするような泉希に、俺は漸くと決意を固めた。握り締めた拳に一層と力を込めて彼女に背を向ける。


「ありがとう、泉希」

「良いわよ別に。貴方の我儘わがままなんて慣れっこだし。でも……貸し一つ、追加だから」


寂しげな声を響かせ、そっと寄り添うのように泉希は俺の背中に額を押し当てた。

 出来ることなら今すぐ振り返りたい。力の限り泉希を抱き締めたい。そんな想いを押し殺して、俺は勢いよく駆けだした。


「……ごめんな」


届いているかも分からない言葉一つだけ残し、俺は前だけを見つめて走った。


 怖かった。

 泉希に嫌われることが。


 不安だった。

 泉希の機嫌を損ねることが。


 恐ろしかった。

 想いを寄せる相手に失望されることが。


 だから火乃香を追うフリをして留まった。

 泉希を選んだ風に見せた。


 届かないと知りつつ伸ばした右手は、卑怯な俺の弱い心そのものだった。



 ◇◇◇



 行き交う人の波を擦り抜け、俺は必死に火乃香を探した。時に怪訝な顔で、時に不快な目で睨まれながらモール内を駆けずる。


 すると間もなく、1階の出入口付近で制服姿の後姿を見つけた。腰まで伸びた長い黒髪にスラリと伸びた手足。間違いなく俺の義妹いもうとだ。


「火乃香!」


腹の底から目一杯に声を張った。周りの客が俺に奇異の視線を向けるなか、火乃香も驚いた様子で振り返る。

 呆気に取られ足を止める火乃香の元へ、俺は小走りに駆け寄った。


「火乃香……よかった、見つかって」

「な……何してんの。もしかして、彼女さんのこと放ってきたの?」

「お前を一人で帰すわけないだろ。それに泉希は……彼女じゃないから」


言いながら胸がズキリと痛んだ。背中越しに囁かれた泉希の寂しげな声が、今も耳朶みみに残って離れない。


 「でも……わたしなんかより、ずっと長い間一緒に居る大事なひとなんでしょ」

「……そうだな。泉希は俺にとって掛け替えのない大切な女性ひとだ」

「……じゃあ今からでも戻りなよ。わたしのことは本当にイイから」

「そうはいかないよ」

「どうして」

「だって火乃香おまえも、同じくらい大切な義妹ひとだから」


ぶっきらぼうな火乃香の頭に、ポンを右手を乗せた。

 瞬間、彼女は目を見開いて俺を見上げた。

 まるで枯れていた花が咲いたみたく、暗い表情に明るい光が差し込む。


 「……何言ってんの。バカみたい」


 けれど火乃香は、またムスッと不貞腐れて視線を逸らした。

 かと思えば次の瞬間、何を言うでもなくまた俺の服を指で摘まんだ。


 きっとこれが、火乃香なりの甘え方なんだ。


 この小さな指が、今の彼女に出来る目一杯の親愛と信頼の表れ。


 だけどか細く頼りない、ほんの少しの切っ掛けで解けてしまう儚い結び目。


 いつかこの指先が俺の手を握ってくれるほどに、火乃香との絆を強く大きなものにしていきたい。


 今はただ、そう願おう。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽がすぐに火乃香ちゃんを追いかけなかったのは、彼女を追いかければ私が怒ると思ったからね。彼が店長を務めている薬局は私しか常勤の薬剤師が居ないから、私が出勤できないと薬を出す事も作ることも出来ない。文字通り休業よ。

万が一私がヘソを曲げて店を辞めるようなことがあれば、悠陽は火乃香ちゃんを養うどころじゃなくなる。それを危惧して悠陽はすぐに追いかけなかったのね。

私がそんなことくらいで悠陽の元を離れるわけがないのに……本当に、馬鹿な店長で困っちゃうわ。




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