第11話 【5月上旬】朝日向火乃香とスタートライン

 「――よし、あとはこの書類を提出するだけか」


木曜日の業務終わり。俺は薬局の事務所で一人書類の相手をしていた。書類というのは勿論、火乃香ほのか未成年後見人みせいねんこうけんにんになるための申請書だ。


 先日の火乃香特製シチューを食べてすぐ、彼女は未成年後見人になるための書類を俺に差し出した。

 親父とお母さんの訃報ふほうを聞いた際、役所の人から渡されたらしい。鞄に入れて持ち歩いていた所を見るに、やはり火乃香は俺を頼って来たのだろう。

 

 未成年後見人になるには家庭裁判所への申し立てが必要らしく、形式上は火乃香が申し立てをする事となった。


 申請には戸籍謄本こせきとうほんや両親の死亡届、財産に関する書類など揃えなければならない物が多く、結構な時間と手間を要した。


 ほかにも親族関係を証明する書類や収入の予定表、財産目録など揃える書類も沢山あって流石に骨が折れた。親の遺産に関する書類もあった。


 申請書や書類の作成はそれなりに慣れているつもりだったけれど、思いのほか時間が掛かってしまった。見兼ねた泉希が手伝ってくれたので、連休が始まる前にはなんとか作成できた。


 未成年後見人の申し立て後は、『家裁調査官』と呼ばれる家庭裁判所職員との三者面談が執り行われるらしい。面談はGW明けに持ち越されることになったが、火乃香の実家へ行く必要もあったので丁度よかった。


 GWが始まってすぐに、俺は火乃香と二人でA市にある彼女の実家を訪ねた。

 2DKの古びたアパートで、ウチよりは多少広いものの、3人で暮らすには手狭に感じられた。

 ここへ来た目的は彼女の荷物を取りに来たから。それと遺品整理をするため。


 両親が死亡した際、その財産は原則として子供に相続される。だが火乃香の母親もウチの親父も財産らしいものは殆ど残していなかった。

 多少の預金ならあったものの、二人はそれ以上に借金をしていた。家財を売却した所でトータルするとマイナスになる計算だった。


 親の財産を相続する場合、基本的に借金も引継ぐことになる。マイナスになるくらいならと、火乃香は相続放棄を願い出た。要するに「親の遺産を受け取りませんから借金も引き受けませんよ」ということだ。

 

 遺族年金や生命保険なども改めたが、火乃香の母親は保険に加入していなかった。

 日本の生命保険の支払い平均額は月3万円程度。保険料はピンキリだが、おそらく数千円の保険料であっても厳しかったのだろう。

 そんな彼女らを見兼ねて、親父は俺とオフクロを捨てて出て行ったのかもしれない。今となっては真相なんて分からないけれど。


 ちなみに今回の件は司法書士の先生にアドバイスを頂いた。ウチの薬局が普段からお世話になっている社労士さんに紹介してもらった。

 先生から『相続放棄をした際は遺品の処理は慎重に行うべきだ』とアドバイスを頂いたので、業者が来る前に火乃香と確認する必要があった。

 仮に誤って資産的価値の高いものを処分してしまうと、『相続の意志があるもの』と見做みなされる場合もあるとか。

 と言っても、火乃香の家にブランド品や芸術品のような資産的価値の高い物なんて殆ど無かった。


 火乃香の荷物にしても、大きめのトランクひとつとリュックに収まる程度で、玩具やゲームなど嗜好品の類はまるで無かった。写真や思い出の品も少ないらしく、大切な物といえば財布くらいだった。


 火乃香が成人するまでの間は、出来るだけ楽しい思い出を残してやりたい。改めてそう思った。


 そうして遺品整理は、あっという間に終わった。あとは依頼している遺品整理業者と、この部屋の大家さんに任せればいい。

 予想外に出費が掛かってしまったが、実を言うと俺の財布は痛んでいない。なにせ今回掛かった費用は全てオフクロが負担してくれたからだ。


 火乃香と遺品整理をした翌日、俺は一人で実家を訪ねた。

 俺が薬局を継いでからは、オフクロは自宅で療養生活を送るようになった。

 しかし完全に引退したのではなく『社長』という肩書は残しているので、給料は毎月オフクロな口座に振り込まれている。俺とは違いそれなりに余裕のある暮らしを送っているようで、去年の春には子犬を迎えている。

 随分と大きくなったトイプードルのキキちゃんに熱烈な歓迎を受けつつ、俺は親父の再婚や死亡、そして火乃香のことを伝えた。流石のオフクロもこれには苦々しい顔を見せた。


 念のため火乃香と会うか尋ねたけれど、「今は会いたくない」と言われた。どんな事情があろうと、たとえ火乃香に非はなかろうと、別れた夫の義理の娘に会うのは難しいとのことだ。それが普通の反応だろう。


 ただ「困ったことがあれば相談に乗る」と言ってくれたし、遺品整理や司法書士の相談料なども全額負担してくれた。まさかカンパしてくれるとは思っていなかったから本当に助かった。

 たぶん生まれて初めてだと思う。あれほどオフクロに頭を下げたのも、謝意の言葉を重ねたのも。


 「面倒かけてごめんな、悠陽ゆうひ


ただ帰り際、玄関先で告げられたその言葉に上手い返しが出来なかった。

 帰りの電車でもオフクロのその言葉が耳に付いて離れず、何故か無性に目頭が熱くなった。




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一般的に、親が借金を払えなくても子供が代わりにそれを払う必要はないわ。未成年なら尚のことね。悠陽の場合はお父さんが悠陽の名義で闇金紛いの所から借りていたので、悠陽(お母様)が払うことになったの。皆も気を付けてね!

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