第10話 【4月下旬】朝日向火乃香と特製シチュー

 「――ただいまー」


陽もすっかり暮れた午後8時過ぎ。俺は帰宅と同時に部屋の奥へ声を響かせた。

 頭の片隅では真っ暗な部屋を想像していたけど、ちゃんと電気が点いている。

 靴を脱いでかまちを上がれば、リビングから恐る恐ると火乃香ほのかが顔を覗かせた。


 「あ……えと……」


言葉にならない声を漏らして、火乃香はモジモジと視線を泳がせる。

 てっきり「お帰り」と言って出迎えてくれるのかと思ったが、知り合ってまだ1日しか経っていないから、それも当然だろう。


「悪いな遅くなって。もうすぐGWゴールデンウィークだからいつもより患者さんがより多くてさ。腹減っただろ。今日は俺の特製お好み焼きを……って、あれ?」


帰り道に寄ったスーパーの袋を下ろすと、なにやら香ばしい匂いが漂ってきた。

 クンクンと鼻を動かし匂いの元を探る。どことなく洋風を思わせ、香りだけで食欲が掻き立てられる。


 「……晩御飯、わたし作った」

「本当に?!」


驚きに声を上擦らせる俺に反して、火乃香は静かに頷いて応える。


 「アンタ、いつ帰るか分からなかったし、買い物とかもあってあんまり手の込んだ物は作れなかったけど……ごめん、余計な買い物させて」

「いや謝るなよ。むしろありがとう! 正直疲れてたから助かる。でも冷蔵庫に何も無かっただろ。どうやって作ったんだ?」

「今朝もらったお金で買ってきた」


プリーツスカートのポケットから数枚のレシートと釣銭を取り出し、そっと俺に差し出した。業務スーパーに100円ショップ、リサイクルショップなど安価な店ばかりだ。Tシャツが1枚150円とは恐れ入る。


「ありがとうな火乃香。買い出しは重かっ――」


 ――ぐううぅ~!


労いの言葉を掛けようと思ったが、胃袋の方が先に吠えた。

 あまりの音に驚いたのか、呆気に取られた様子で火乃香はキッチンを指差した。


 「えっと……もう、食べる?」

「た、食べる食べる!」


興奮を抑えきれない俺に反して、火乃香は平静とクッキングヒーターへ火を入れた。

 なんとなくキッチンに入るのははばかられたので、俺は手だけ洗ってローテーブルに腰を降ろした。

 よく見れば部屋も綺麗になっている。ベッドは整えられて床もピカピカだ。火乃香が掃除してくれたのだろう。一人暮らしの時はロクに掃除なんてしなかったら、本当に有難い。


 「……おまたせ」


部屋を見回す俺の前に、野菜たっぷりのスープが置かれた。

 匂いからしてコンソメ風だろう。だがポトフとは違う。どちらかというとカレーやクリームシチューを思わせる見た目だ。コンソメシチューとでも言うのだろうか。


 「嫌いなものあったり、口に合わなかったら無理に食べなくていいから」


ツンと冷たい口調で言いながら、火乃香は自分の皿を運んできた。

 俺の皿よりも火乃香のは少し小さい。胃袋の大きさを表しているのかと思ったが、そもそもウチに揃いの皿なんて無かった。今度どこかへ買いに行くか。


「というか、もしかして待っててくれたのか?」

「……だって、居候が家主より先に食べるわけにはいかないじゃん」

「居候じゃないだろ。俺達は家族なんだから。でも一人で食べるのは寂しいし、一緒に食べれて嬉しいよ。いただきます!」


待ちきれないので早速と手を合わし、スープを掬い口へ運ぶ。瞬間、舌の上に途轍とてつもない衝撃が走った。


「美味っ! なにこれ! こんな美味いシチュー、今まで食べたことないぞ!」

「こんなの、誰が作っても一緒じゃん」

「そんなことないよ! すげー美味い! 火乃香はイイお嫁さんになるな!」

「なっ……なにそれ。意味わかんないんだけど」


耳まで赤く染め上げて、火乃香もチビリとスープを飲んだ。心なしか口角が上がっているように見えるのは俺の気のせいか。

 だがそれ以上は言及せず、シチューに意識を集中させ瞬く間に皿を空けた。


「ふうっ! 美味かった!」

「もう食べたの?」

「めちゃくちゃ美味かったからな!」

「おかわり、あるけど……食べる?」

「食べる食べる!」


空になった皿を手に立ち上がり、俺はキッチンの鍋に再び火をかけた。

 少し待ってからさっきと同じくらいのシチューをよそい、再びテーブルに着く。


 「嫌いなものとかないの?」


2杯目にスプーンを挿し込むと同時、火乃香が唐突と尋ねた。


「嫌いなものって、食べ物で?」

「そう」

「うーん、貝類とか魚卵系は苦手だな」

「……ふーん」

「火乃香はどうなんだ。好き嫌いとかあるのか」

「別に。だいたいのものは食べれる。好き嫌いとか言える余裕無かったし……あっ、でも辛いのとかはちょっと苦手かも」


淡々と答えながらもどこか恥ずかしそうに、火乃香は小さな口でシチューを食べ進めていく。辛い物が苦手だなんて、なんとも愛らしい。

 その愛敬あいきょうが絶妙なスパイスとなって、俺の食欲は一層と増した。


 「……あのさ」

「ん、なんだ」

「ちょっと、お願いがあるんだけど」

「お願い?」

「今度、一緒に行ってほしい所……あるんだけど」


特製シチューにがっつく俺を上目遣いに見ながら、火乃香は消え入るような声で伺い立てた。


 火乃香の神妙な面持ちに、スプーンを握る俺の手も止まった。




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火乃香ちゃんのお母さんは家事が嫌いだったから、子供の頃からずっと火乃香ちゃんが食事を作ったり掃除をしていたそうよ。ただ、お母さんは男の人の家に入り浸っていたみたいで家にはあまり帰ってこなかったようだけど。

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