第8話 【4月下旬】水城泉希と秘めた想い

 「――じゃあ、行ってきます」

「……うん」


火乃香ほのかをウチに迎えた翌朝。寝間着代わりのブカブカなTシャツを着る彼女に見送られて、俺は仕事やっきょくに向かった。


 昨夜ゆうべ俺の胸で泣きじゃくっていた火乃香は、いつの間にか眠りに落ちていた。

 俺の膝を枕代わりに、スヤスヤと寝息を立てて。おかげで俺は立つことも動くことも出来ず、火乃香の寝具へと昇格した。


 可愛い義妹いもうとの寝顔を一晩中ながめていられたのは役得だったけど、その代償に俺の脚は痺れを通り越し感覚すら失われた。

 

 差し込む朝陽あさひと目覚まし時計のアラームに漸くと目覚めた火乃香は、俺の顔を見るなり素早い動きで離れた。


「おはよう、火乃香」

「う、うん……」

「顔洗ってきな。朝メシ、食うだろ?」


驚きと戸惑い、それに焦りの色を浮かべながらも、火乃香はコクリと頷いて洗面所へ向かった。

 その隙に俺は痺れ切った足を揉みほぐし、両足で立てるまでには復活させた。


 産まれたての子鹿みたいな姿でトーストと目玉焼きをこさえれば、タイミングよく火乃香が戻った。

 

「もうちょい待ってな。火乃香も珈琲飲むだろ?」

「あ、うん。あの……」

「ん?」

「お……おはよ」


恥ずかしそうにモジモジと髪をいじりながら、火乃香は桜色に頬を染めて呟いた。不安げな瞳と上目遣いが、俺の中の庇護欲ひごよくを掻き立てる。


 あまりの可愛いさに俺は足の痺れも忘れて小躍りしそうになったが、必死に平静を保ち火乃香を食卓に着かせた。


 「アンタは、食べないの?」

「俺は大丈夫。今日は珈琲だけで」


対面で珈琲を啜る俺に、火乃香は「そう」と溢すように呟いて遠慮がちにトーストをかじった。俺はもうお腹が一杯なのだ。


「そういえば、火乃香は今日予定とかあるのか?」

「え……無いけど」

「なら、買い物にでも行ってきな。女の子は色々と入り用だろ」


くたびれた財布から五千円札を一枚取り出し、火乃香に差し出した。少額で申し訳ないが、昨夜のラーメンやら何やらで今はこれしか手持ちが無い。

 

 「いいよ。欲しい物とか別に無いし」

「でも必要な物はあるだろ」


遠慮する火乃香に尚も突き出せば、躊躇ためらいながらも「じゃあ」と受け取ってくれた。


 「……ねぇ」

「なんだ」

「あ……あり、がと」


頬を染めて伏せがちに、細い声で火乃香は呟いた。照れ臭いけれど頑張って声に出す姿が可愛すぎて、俺は気を失いそうな程の衝撃に見舞われた。


 

 ◇◇◇



 そんなこんなで足に痺れを残しつつも何とか出勤した俺は、トラブルもなく午前の業務を終えた……が、その矢先。

 

 「ちょっと、馬鹿店長」


だが昼飯前のレジ金の集計作業に勤しんでいると、白衣姿の美(少)女が突然と背中を突ついてきた。


 華奢な体躯に吊り上がった目尻。控えすぎな胸を堂々と張るのは、自信と気丈さの表れだろう。後ろ手に結んだミルクティ色の髪が、白い肌によく合っている。


 彼女の名前は水城みずしろ泉希みずき。ウチの薬局みせで働く唯一の薬剤師だ。因みに今ウチで雇っている従業員は、泉希の他に派遣社員の女の子が一人だけである。


 「あの後、結局どうなったの?」

「どうって、なにが」

「昨日ここに来たあの女の子よ。貴方の義理の妹とか言ってた」

「ああ、火乃香のことか」

「え……な、名前で呼んでるの?」

「そりゃそうだろ、兄妹なんだから」

「兄妹って言っても『義理の』でしょう!」


眉間に寄せたしわを一層と深めて、泉希は「フンッ」と腕組みしてソッポを向いた。心なしかいつも以上に態度が冷たい。


 「……で、結局その妹ちゃんはどうなったのよ。親戚の所にでも行くの?」

「いや、俺が保護者になる。『未成年後見人みせいねんこうけんにん』ってヤツを申請して」


瞬間、泉希は大きな眼をより一層と見開いた。


「ちょっと待って! 貴方が保護者になるってことは……もしかして、あの子と一緒に暮らすの?!」

「そりゃあ、まあ」


平然と答える俺に反し、泉希は眉尻を吊り上げワナワナと身を震わせた。


 「昨日今日会ったばかりの女と一緒に暮らすだなんて、どういうつもりよ!」

「女ってお前、火乃香は義妹だよ」

「昨日まで名前も知らなかったんだから他人も同じよ! まさか、昨日も貴方の家に泊まったんじゃないでしょうね!」

「……」

「なんとか言いなさいよ!」


真一文字に口を閉ざす俺の背中を、泉希はポカポカと両手で叩く。大して痛くもないけれど、俺は振り返って泉希の手を握りしめた。


「大丈夫だよ泉希。お前が心配するような事は何も無いから」

「う……嘘っ! 騙されないんだから!」

「嘘じゃないって。もしも俺が火乃香に手を出して世間にバレたら、俺は間違いなく社会に殺される。ただでさえ大学中退してお先真っ暗なのに、犯罪者のレッテルまで貼られたら完全に詰みだろが。この店を続けるためにも、馬鹿な真似はしないさ」


肩を竦めて被虐混じりに言うと、泉希は「むぅ」と唸って口火津を結んだ。


「それに俺は火乃香の保護者……親代わりになるって決めたんだ。アイツにはもう、俺しか頼る人間が居ないから。恋愛目的で一緒に住むわけじゃない」

「……本当に、あの子のこと異性として見たりしてない?」

「もちろん。火乃香は俺の家族だからな」

「じゃあ、えっちなこともしない?」

「当たり前だろ。お前に失望されるようなことは、絶対にしない」


ニカッと歯を見せ笑みを浮かべれば、泉希も照れ臭そうに涙の雫を拭った。


 そうだ、例えどんな理由があろうと俺は火乃香と関係を持ってはいけない。絶対に一線だけは越えちゃあいけない。

 昨夜はつい流されそうになったけど、今日改めて決意が固まった。


 何も無い俺が社会の中で生きていくために。

 この薬局を存続させるために。

 火乃香の幸せを守るために。


 俺はもう、二度と誘惑に負けたりしない。

 

 好きな女に――泉希に嫌われたくはないから。

 少なくともこの胸に秘めた想いを、いつかに伝えるまでは……。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


お待たせしました! やっと私の登場ね! これからは解説役だけじゃなくて悠陽や火乃香ちゃんにもビシバシ絡んでいくから、良ければフォローボタンを押して待っていてね!

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