第7話 【4月下旬】朝日向火乃香とブカブカのTシャツ

 全裸の義妹いもうとに誘惑されて、気付けば俺は彼女の肩を掴んでいた。

 まぶたを降ろし唇を突き出す美少女JKに、俺の理性は呆気なく打ち負かされた。本能に導かれるまま、薄紅色の口元へ顔を寄せる。


 だけど唇が触れ合う寸前、俺は気付いた。彼女の華奢な身体が小刻みに震えていることに。

 声を漏らさないよう押し殺した恐怖。表情に出さないよう抑え込んだ不安。それらが身振となって体に表れている。そう思えてならなかった。


「……」


掴んだ肩から両手を離して徐に立ち上がると、俺はクローゼットからTシャツを1枚取り出し、義妹へ投げ渡した。


 「……なに、これ」

「パジャマ代わりにそれ着とけ。いつまでもそんな恰好で居たら風邪ひくぞ」


驚いた顔で見上げる朝日向あさひな火乃香ほのかに、俺は背中を向けぶっきら棒に言い放った。


 「なんで。ないの?」

「当たり前だろ。義兄妹きょうだいなんだぞ」

「けど、血は繋がってないじゃん。アンタだって、こういうコト期待して、わたしを引き取るって言ったんでしょ?」


Tシャツを胸に抱きしめて、朝日向火乃香は怪訝そうに眉を寄せた。

 苛立ちと後ろめたさが波のように胸を叩く。俺は大きく深呼吸をして、沸き上がる感情を言葉と共に飲み込んだ。


 ――ガバッ!


勢いよく身を翻し義妹の手からTシャツを取り上げ、頭から強引に被せた。ブカブカのTシャツから頭だけ覗かせ、両手は服の中に収めた格好だ。

 そんな彼女の前に、俺はドカッと腰を降ろした。


「もしかして、ずっとこんなことしてたのか」


沸き上がる感情を押し殺して、射抜くような眼差しを向ける。


 「……こんなことって?」

「パパ活とか援助交際みたいな真似。まさか親父がお前に何かしてたのか?」


神妙な声で問えば、朝日向火乃香は両手を出さないまま首を左右に振った。


 「朝日向さんは良い人だった。本当にお母さんの事が好きみたいだったし。わたしにも気を遣って、手が触れることもなかった」


淀みない返答に俺は胸をほっと撫で下ろした。息子に借金を押し付け蒸発するようなクソ親父だけど、本物のクズでは無いらしい。


「じゃあ、他の男と?」

「ううん。パパ活も援交も、やったことない」

「本当か?」


コクリ、今度は縦に首が振られる。


 「ウチ、貧乏で携帯電話ケータイも持ってなかったから。パパ活どころか男の人と手繋いだこともない。友達居なかったから、無くても問題なかったし」

「だったら、どうしてこんな事を?」

「だって、わたしは何も無いから」


Tシャツの袖に漸くと腕を通し、悲観とも卑下とも思えない声で彼女は答えた。

 

 「お金は無いし高価な物も持ってない。面白い話とか出来ないし愛嬌なんてものも無い。身体くらいしか、アンタに返せる物がないって思ったから」


眉尻下げて顔を伏せる義妹に俺は「ふむ」と嘆息たんそくを吐いて、項垂れる頭にそっと右手を乗せた。


「いいか、よく聞け火乃香。火乃香はオフクロさんに生んでもらった時、お金を払ったり物で御返しをしたのか?」

「……してない。覚えてないけど」

「そうだよな。俺だってそうだ。飯を食わせてもらったり家に住まわせてもらった時も、御返しなんてしなかったよな」

「それはしてた。御飯作ったりマッサージしたり。『世の中はギブアンドテイクだ』って言われて」

「……」


予想外の答えに二の句を失うも、俺は「コホン」と咳払いして気を取り直す。


「まあ、世の中いろんな御家庭があると思うけど、ウチはそうじゃない。義妹になにかしてやるのに、イチイチ見返りなんて求めない。お前が笑顔で居てくれるなら、それで十分だ」

「……そうなの?」

「ああ。むしろお前が『御礼しなきゃ』なんて考えてる方が、俺は悲しいし困っちゃうよ。だからココにいる間は、遠慮も謝礼も要らない。自分が本当にやりたいと思った事をすればいい。俺に出来ることがあれば協力する」

「……本当?」

「ああ。ただし、贅沢だけはさせてやれないぞ」


頭に乗せた右手を動かし、黒く艶やかな彼女の髪を優しく撫でた。義妹は嫌がる様子もなく、俺の右手を黙って受け入れる。

 朝日向火乃香は倒れ込むように、俺の胸板へ顔を押し当てた。


「火乃香?」

「その頭撫でるの、もっとして。わたしが『良い』って言うまで、めないで」


胸に顔を埋めたまま腰に腕を回し抱きつく義妹に、俺は何を言う事もなく彼女の頭を撫でた。

 優しく丁寧に。想いを指先に込めて髪をくよう動かす。少しすると胸にじわりと熱い水が滲んで、嗚咽の声が漏れ聞こえた。


 俺はただひたすら、義妹の長い髪を撫で続けた。


 言葉は無い。

 肌も重ねない。

 血で交わらない。


 それでも俺達は、見えない何かで繋がっている。


 そんな気がした。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


前回の【TIPS】でも話したけれど、2022年4月から成人年齢は20歳から18歳に改正されているわ。だから火乃香ちゃんが成人になるのも18歳よ。彼女は今15歳の高校1年生だから、もし悠陽が未成年後見人になったら、少なくとも高校を卒業するまで彼女を扶養しなきゃいけないわね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る