第2話 【4月下旬】朝日向火乃香と暗い部屋

 「――ま、待って!」


店を出ようとドアをくぐる義理の妹、朝日向あさひな火乃香ほのか。その背中に言い様のない不安を覚え、俺は咄嗟に彼女の肩を掴んだ。

 ネイビーブルーのスカートと長い黒髪を揺らし、少女は刃物のように鋭い眼で俺を振り返った。


 「なんですか」

「いや、その……い、家はどこなのかなって」

「……A市」


面倒臭そうに仏頂面で、けど確かに足を止めて少女は答えてくれた。A市は同じ県内にある街だけど、ここからは電車で2時間以上かかる。俺なんて数える程しか行ったことがない。


「見た感じ高校生みたいだけど、いま何歳いくつ?」

「15歳。今年16」

「一年生か。その齢でお母さんが亡くなっただなんて、君も辛かっただろう」

「そうでもない。少なくても辛いとか寂しいとか、そういうのは無い」

「お母さんとは、あまり仲が良くなかったの?」

「別に。ただ親らしいこととかは一度だってして貰わなかったから。なんていうか、『一緒の家に住んでるだけの他人』って感じだったから。死んで清々した訳じゃないけど、悲しいとも思わない」


淡々と冷たい言葉を並べる彼女に、俺は複雑な様相を呈すばかりだった。どんな言葉を返せば良いのか分からなかった。


「地元に……近くに頼れる人は居るの?」

「居ない。お母さんは親戚付き合いとか無かったから。お祖父じいちゃんやお祖母ばあちゃんにも会ったことない」

「じゃあ友達は?」

「居ない」

「そうか……」

「話はそれだけ? ならわたし、もう行くから」

「あ、ちょ、ちょっと待って!」


再び踵を返す少女を俺は慌てて引き留めた。綺麗な眉間に皺を寄せ、朝日向火乃香は俺を睨め付ける。


 「なに。まだ何かあるの」

「あ、えっと……ひ、昼飯は食べたかと思って!」


彼女を留めるため咄嗟に絞り出したが、世間話にもならない問い掛けに少女はポカンと呆れ顔を呈した。


 「いや……食べてないけど」

「そ、そうか! なら腹減ってるだろ!」


呆気に取られながらも答えてくれる少女に、俺は急いで財布を取り出し少女に一万円札を差し出した。本当はもっと細かい金額にしたかったけど、財布の中にはこの一枚きりしか入って無かった。


「この薬局みせの休憩室を使っていいから、何か食べていきなよ。すぐ近くにコンビニがあるし、少し歩けばラーメン屋やカフェもある」

「でも」

「いいから。それにまだ聞きたい事もあるし」

「そうなの?」

「ああ。でも今日はまだ仕事が残ってるから、少しだけ待ってて欲しいんだ。予定とかは大丈夫?」

「それは……別に大丈夫。予定とか無いし」

「学校は?」

「先生が当分休んでいいって」

「そうか。じゃあ悪いけど、仕事が終わるまで待っててくれるかな」

「……」


背中を丸めて少女は悩んだ。だが俺から受け取った一万円札を握りしめると、コクリと小さく頷いてみせる。

 本当は昼飯なんてどうでも良かった。ただ彼女を一人にしてはいけない……そんな気がした。

 スッカラカンの財布を仕舞い、俺は二階にある休憩室兼事務所へ彼女を案内した。事務所と言っても名ばかりで、テナントが入っているマンションの一室を借りているだけなのだが。


「仕事が終わるのは19時頃だから、それまでは自由にして貰って構わない。外出してくれても良いよ」

「……わかった」

「ありがとう。じゃあコレ、この部屋の鍵」


安っぽいキーホルダー付きの鍵を差し出せば、少女は恐る恐ると手を伸ばした。


「出掛ける時は、施錠だけ忘れないでね」


手の中にある鍵をじっと見つめて、少女は俯き加減に頷いた。

 本当は薬や処方箋を保管している事務所に従業員以外の人間を入れるべきではないのだが、他に良い方法も思い浮かばない。


(とはいえ、このままあの子を帰すのも違う気がするしな……今日だけは特例だ)


自分に言い聞かせるよう心の中で呟いて、俺は一人で1階の店舗へ戻った。



 ◇◇◇



 朝日向火乃香を引き留めてから数時間後。漸くと午後の業務が一区切りついて、俺はもう一度彼女の元へ向かった。

 時刻は19時過ぎ。コンコンッ、と部屋の中に音が響くよう強くノックしてみせる。

 だけど返事が聞こえない。

 ゆっくりとドアを開けば、室内なかは真っ暗だった。カーテンの隙間から差し込む街灯りだけが、闇の中に小さく揺れている。

 

(やっぱり、帰っちまったかな)


正直、今の彼女を一人にするのは不安だ。

 とはいえ無理矢理に引き止める訳にもいかない。本人の意思に反する拘留こうりゅうは監禁罪に成り兼ねないのだから。未成年とあれば猶更なおさらだ。

 せめてあの1万円で美味いメシでも食って、元気を出してくれれば良いのだが。


「鍵は置いていってくれてるかな……っと」


玄関の傍にあるスイッチを押して明かりを点ける。

 その瞬間、俺は泡立つような寒気を覚えた。

 なにせ真っ暗な部屋の隅で、女子校生が膝を抱えてうずくまっているのだから。


 俺の脳裏に、『死』の一文字が浮かんだ。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽は薬剤師の免許を持っていないけれど、調剤薬局(処方箋薬局)を営んでるわ。稀有な例ではあるけれど、薬剤師じゃなくても薬局の経営は可能なの。因みに彼以外の従業員は薬剤師の私と派遣社員の二人だけよ。

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