第3話 【4月下旬】朝日向火乃香と美味しいラーメン

 真っ暗な部屋の隅で膝を抱え座りこむ女子高生。微動だにしないその姿に、『死』の一文字が脳裏を過ぎった。


「おい、しっかりしろ! おい!」


慌てて彼女の元に駆け寄ると、華奢な体を揺さぶり白い頬を指先で叩いた。


 「ん……んんっ……」


羽音のようにか細い声が少女の口から漏れ出た。眉をひそめて瞼を擦り、朝日向あさひな火乃香ほのかは虚ろ気に目を開く。


「良かった……生きてたか」

「……なに言ってんの。寝てただけなんだけど」


安堵の息を吐いて胸を撫で下ろす俺に反し、朝日向火乃香は眠たげに欠伸あくびこぼした。


「こんな暗がりで地べたに座りこんでたら誰だって心配するだろ。寝るにしても机に突っ伏すなり電気を点けるなりしなよ」

「でもこの体勢のが慣れてるから。家では昔からこうしてたし」


然も当然のように言い放つと朝日向火乃香はプリーツスカートを翻して立ち上がり、おもむろにポケットへ手を入れた。


 「これ」


淡白な声と共に差し出されたのは、数枚の千円札と小銭がいくつか。それにレシートが一枚挟まれて。


「なにそれ」

「なにって、お昼ごはんのお釣り」

「ああ、そうか。結構余ってる……ってか、ほとんど使ってないじゃないか。買ったのもオニギリ一個とお茶だけで。これじゃあ全然足りないだろ」

「別に。いつもそんなだし」

「腹減ってないのか?」

「……慣れてるから」


決して視線を合わせることなく、朝日向火乃香は淡々と答えた。けれどそんな彼女の言葉が、俺の心臓を真綿のように締め上げる。


「……なあ」

「なに」

「ラーメン、好きか?」

「なんで」

「いいから。ちょっとした世間話だよ」


訝し気に眉を寄せた少女に、俺は笑顔で尋ねた。


 「よく分かんない。あんまり食べたことないし。カップ麺なら時々食べてたけど」

「嫌いではないんだな」

「好きとか嫌いとかは無い。食べられれば何だって良いし」


被虐とも卑下とも思えない素の言葉に、またズキリと胸が痛んだ。だがそれを悟られないよう、懸命に笑顔を保ってみせる。


「じゃあ、今から食いに行かないか。近くに美味い醤油系の店があるんだよ」

「えっ……いいよ。そんなお腹空いてないし」

「俺が空いてるんだよ。今日は仕事が忙しくてさ。話も聞きたいし、長いこと待たせた御礼だ」

「……」


逡巡する様子を見せつつ、「そういうことなら」と朝日向火乃香は応えてくれた。

 俺はすぐさま白衣を脱いで私服に着替え、彼女と共に事務所を後にした。

 1階の店舗へ戻り二人の従業員に残る閉店作業を頼めば、一人は二つ返事で了承してくれたけれど、もう一人は複雑な面持ちで俺を睨んでいた。

 後ろめたい気持ちを背負いつつも、俺は行きつけのラーメン屋へと向かった。


 薬局みせから5分程も歩いた場所に目的の店はあった。手狭な個人店。俺達は二人掛けのテーブルに向かい合って座った。

 数品しか載っていないメニューを広げ何が良いか尋ねるも、彼女はろくに見ようともせず「一番安いのでいい」とぶっきら棒に答えた。


「じゃあ、俺のおススメでいいかな」


返事のない断りを入れて、俺は気に入りの醤油ラーメンを二つ注文する。

 

「そういや、今は高校一年だっけ」

「そう」

「部活は?」

「してない」

「じゃあバイトは?」

「するつもりだった」


向かい合っているのに一度たりとも目を合わさず、朝日向火乃香はチビリと一口だけ水を飲んだ。それを模倣するよう俺も乾いた喉を潤す。


「ひとつ、聞いて良いかな」

「なに」

「君の保護者になってくれる人は、居るの?」

「……」


お冷のコップを握りしめたまま、少女はジトリと俺を見遣った。YESでもNOでもない、その沈黙こそが答えだった。


「ウチの従業員に1人、そういうのに詳しい子が居て教えてくれたんだ。なんらかの事情で親から扶養を受けられない未成年者は、【未成年後見人みせいねんこうけんにん】……保護者の代わりになる大人が必要だって」

「そうらしいね。警察だか役所だかの人も同じこと言ってた」


まるで他人事のように素っ気なく、朝日向火乃香はまた伏せがちに答える。


「これから、どうするの?」

「わかんない。施設に行くか、名前も知らない他人ひとが保護者代わりになると思う。お祖父じいちゃんが生きてたらそっちに行くと思うけど……会った事もないから、どのみち他人と変わらない」


言いながら少女はまた少し水を口に含んだ。


「君は、それでいいの?」

「……どうでもいい」

「どうでもってことは無いだろ」

「あるよ。わたしなんて何の価値も無いんだから。どこでどう生きようと、な人生なんて送れるはずない」


両の手でコップを握りしめ、朝日向火乃香は揺れる氷を見つめて呟いた。

 さきの言葉が本心かは分からない。本当は明るい未来像があるのかもしれない。

 初対面だろうと、祖父母の元でなら贅沢で安全な生活を送れるかもしれない。

 だけど俺には、どうしても彼女の笑っている姿が想像できなかった。だから……とでも言えば良いのだろうか。 


「俺と、一緒に暮らさないか」


考えるよりも先に、その一言が口をいて出た。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


本作のヒロイン・朝日向火乃香ちゃんのイメージ画像を以下の近況ノートに掲載しています。AI生成したイラストですが、以下のURLより御覧いただけます。

https://kakuyomu.jp/users/hino-haruto/news/16817330669543987642

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る