第4話 【4月下旬】朝日向火乃香と本当の家族
「――俺と、一緒に暮らさないか」
人生に絶望し自らを卑下する朝日向火乃香に、俺は何を考えるよりも先にその言葉を投げかけていた。
よほど意外だったのか、
「なにそれ……い、意味わかんないんだけど」
「そうかな?」
「そうだよ。だって今日の昼に会ったばっかりで、わたしのことなんて何も知らないじゃん。もしかしたらアンタを騙すつもりかもしれないのに」
「詐欺に
「て……適当なこと言わないでよ! 何も知らないくせに!」
「適当じゃない。君が優しくて誠実な人間だってことは、ちゃんと分かってる」
「だからどうして!」
厨房まで響く怒声に店員は驚いた様子でこちらを見遣った。俺は敢えて平静に、水を飲んで一呼吸ついた。
「さっきの釣銭とレシート」
「レシート?」
怪訝な様相で眉根を寄せる彼女に、俺は大きく首を縦に振った。
「君が悪い人間なら、そもそも釣銭なんか返さないだろ。でも君は俺の頼みを聞いてずっと待っててくれた。金だけ置いて帰ることも出来たのに」
「……た、たったそれだけのことで、見ず知らずのわたしを信用するの?」
「それだけで充分だよ、君が真面目で優しい子だと分かるには。今だって、俺の
ニカッと歯を剥き笑ってみせると、朝日向火乃香は一段と表情を険しく変えた。
「なにそれ。まさかそれだけで『保護者になる』とか言ってるの? わたしの身の上話を聞いて同情でもした?」
「違う、とは言えない。少なくとも君を可哀想だと思ったのは本当だ」
「……やっぱり」
どこか呆れた様子で、今度は大きな溜め息を吐いた。
「だけど、君だって本当は俺を頼りに来たんだろ。そうじゃなけりゃ、わざわざウチの店まで来る必要は無いし」
「それは……」
「まぁそんなのは二の次で、一番の理由はただ俺がそうしたいからなんだけど」
照れ臭さを隠すよう俺は指先で頬を掻いた。朝日向火乃香は小首を傾げ、疑念を様相に呈す。
「俺、一人っ子でさ。昔から兄妹って存在に憧れてた。でも親父は家族を捨てて蒸発するようなヤツだし、オフクロは仕事の虫だったから……俺はいつも独りぼっちで」
「そう、なんだ」
「ああ。だから君が現れた時は本当に驚いたけど、それ以上に嬉しかったんだ。君が可愛いかったってのもあるけど」
「っ……!」
本音を吐露するも途端に恥ずかしくなって、俺は赤らむ顔で「あはは」と笑い誤魔化した。そんな俺の
「バ……バッカみたい! 変にカッコつけて、マジにダサい! あと今のセクハラだから!」
「ははは。ウチの従業員でも流石にそこまでは言わないぞ。ちょっと新鮮だな」
「嫌味で言ってるんだけど!」
「分かってるよ。だけどこの程度で感情的になるようなヤツが、保護者になんて成れないだろ」
飄々と笑ってみせる俺に反して、朝日向火乃香は無言のまま
「お待たせしましたー。醤油お二つでーす」
そして間もなくラーメンが運ばれてきた。美味そうな香りに腹の虫が騒ぎだす。
「冷めないうちに食べよう。いただきまーす」
まずは一口、スープを啜る。魚介系の出汁がさっぱりとした醤油スープと絡み合い、奥深い味わいとハーモニーを醸している。疲れた体に幸せが染み込んでいくようで、思わず口元が緩んだ。
恍惚とした表情の俺を、朝日向火乃香は不思議そうに見つめる。
「君も早く食べなよ。麺が伸びたら折角のラーメンが台無しになる」
手元のラーメンを指差せば、朝日向火乃香は戸惑いつつも箸を手に取った。
行儀よく手を合わせ「いただきます」と呟き、恐る恐る麺を啜る。その瞬間、彼女の目が大きく見開かれて背筋もピンと真っ直ぐに伸びた。
「お、美味しい……」
「だろー」
「う、うんっ! こんなの初めて食べたっ!」
先程までの苛立ちも吹き飛んだか、朝日向火乃香は一心不乱に箸を動かした。俺は自分のチャーシューを一枚、彼女の鉢へ乗せる。
「あ、ありがと」
「どういたしまして」
増えたチャーシューを箸で掴み、朝日向火乃香は一口だけ齧った。じっくりと味わうよう咀嚼して、コクリと細い喉を鳴らす。
「色々と勝手なこと言ったけど、最終的に決めるのは君だ。ウチは親父の借金が原因でかなりの財政難だから、贅沢もさせてやれない。精々こうやって、美味いラーメンを食わせてやるくらいだ」
言いながら一口だけ水を飲む。口内の脂が流され、少しだけ舌の滑りが良くなった。
「それでも俺は、君と本当の家族になりたい」
顔を伏せる朝日向火乃香を真っすぐに見つめて、見栄を張らず飾ることなく、腹の底にある想いを込めて放った。
朝日向火乃香は箸を握ったまま微動だにせず、一向に顔を上げない。
「……歯ブラシ」
「ん?」
「帰り道に、わたし用の歯ブラシ買って」
俯いた顔を上げようともせず、やっと聞こえるほどの声量。
でも、それで十分だった。
「了解」とだけ答えれば、彼女はまたラーメンを食べ始めた。けれどすぐに手は止まって、麺を啜る音は「グスグス」と鼻声に変わる。
潤む瞳からは涙が溢れ、紅い頬を流れ落ちる。
懸命に目元を拭うも、涙が減ることはない。
俺の義妹は、いよいよ
食べかけの鉢に箸を伸ばせば、俺のより少しだけ
その味も、俺は嫌いじゃなかった。
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火乃香ちゃんはお母さんとの関係があまり上手くいってなかったみたいね。ほとんど親子の関係を築けていなかったみたい。家族の温もりを知らず、信じる心を知らない彼女は、悠陽の熱に触れて感情が溢れて出してしまったのね。
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