第5話 【4月下旬】朝日向火乃香と白い柔肌

 「――ここが俺の家だよ」

「……そう」


2階建ての小さなアパートを指差して、半歩後ろの朝日向あさひな火乃香ほのかを振り返った。だが俺の義妹いもうとは、まるで興味が無いと言った風に赤く腫らした目を逸らす。


 ラーメン屋を出た後、俺たちはドラッグストアに立ち寄り、歯ブラシやタオルなど彼女の生活用品を買った。

 年頃の女の子に俺と同じシャンプーを使わせるのは流石に可哀想なので、それらも購入しようと思ったが、「アンタが使っているヤツで良い」と断られた。

 せめて洗顔ソープと化粧水だけは、彼女が普段使っているのと同じものを揃えた。


「独身用の安アパートだから手狭だけど、自分の家だと思って過ごして。遠慮なんかしなくていいから」

「……うん」


まるで魂でも抜けたように、朝日向火乃香は無表情のまま頷いた。

 恐る恐ると玄関へ足を踏み入れる義妹と同じく、俺も周囲に意識を巡らす。はたから見れば、今の俺は女子高生を部屋に連れ込むアラサー犯罪者だからな。ウチの薬局みせを御利用の患者さんに目撃されたら、たちまち噂になって店の評判もガタ落ち。

 そうなっては保護者どころではない。細心の注意を払いながら、俺はリビングへと彼女を案内した。


「この家にあるものは、何でも好きに使ってくれて構わないから。冷蔵庫の中の物も自由に食べて良いから」

「うん」

「トイレはそこで、風呂はそこな」

「うん」

「他に聞きたいことは?」

「ない」


二文字縛りでもしているのか、朝日向火乃香は冷えた態度で答えた。無理もない。義兄妹とはいえ、会ったばかりの男の家に居るのだ。俺が彼女の立場なら、一瞬たりとも気が休まらないだろう。


「立ちっぱなしも何だし、取りあえず座りなよ」

「……うん」


俯き加減に頷くと、義妹はフローリングの地べたに正座した。ベッドに座るよう声をかけたかったが、それも気を遣うだろう。なにより朝起きてそのまま家を出たから、枕も布団もグチャグチャだ。


「と、ところでさ」


彼女もさっきからチラチラとベッドを見ている。痴態を晒しているようで、心なしか顔が熱くなった。


 「……なに」

「名前は、なんて呼べばいい?」

「別に。好きに呼んで」


ようやく2文字以上の言葉を発してくれたが、相変わらず目は合わせてくれない。


「じゃあ、『火乃香』って呼ばせてもらうね。俺のことも好きに呼んでくれて構わないから」

「わかった」


フローリングの床を見つめながら、朝日向火乃香は小さく頷いた。


「そういえば、まだちゃんと自己紹介してなかったよな。俺は朝日向あさひな悠陽ゆうひ。調剤薬局の店長をしてる。改めて宜しく」

「……よろしく」


やはり目を合わせてくれない義妹に、俺は見せつけるよう右手を差し出した。握手を求めるサインだ。

 しかしやはりと言うべきか、フイと顔を逸らして流された。離岸流に囲まれた孤島みたいに、まるで取りつくシマが無い。


「まあいいや。今日は色々あって疲れただろ。風呂入っておいでよ」

「……でいい」

「そう? じゃあ、先に入るかな」


寝間着代わりのTシャツを持って、俺は脱衣所へと向かった。義妹は相変わらず床を見つめている。


(年頃の女の子って、難しいな)


熱いシャワーを浴びながら俺は心の中で呟いた。娘を持つお父さんの心境が、すこしだけ理解できた。


 だけど、それだけじゃ足りない。


 なにせ俺達は血が繋がっていない義理の兄妹なのだから。どころか、ほんの数時間前まで互いの顔も知らない他人だった。

 漫画やライトノベルの世界なら、恋愛関係に発展してヤキモキしたり、ちょっとHなハプニングに心を躍らせることだろう。


 だけど、現実はそうもいかない。


 俺はあの子の親代わりになると決めたんだ。彼女が健康で文化的な生活を送れるように、間違ってもを期待してはいけない。むしろ普通の兄妹以上に配慮をしてやらないと。

 

「取りあえず、洗濯物は分けるか」


バスタオルで体を拭い、擦り切れたボクサーパンツを手に俺は呟いた。

 こんなボロ布を見られた日には「不潔よ!」とか「アンタの菌が感染うつるから近付かないで!」なんて言われるかもしれない。そんな暴言を受けた日には、むこう三日間は寝込む自信がある。

 とはいえ新調も出来ない。俺はこれから、義妹を養っていくのだから。自分のことを後回しにしても彼女には幸せになってもらいたい。


「うーし! 頑張るぞ!」


自分に言い聞かせるよう呟いて、きっちりと襤褸のパンツでリビングに戻る。

 すると奥にあるベッドで、火乃香が布団を整えていた。起き抜けの状態で外出するような生活だから素直に嬉しい。


「ありがとう。綺麗好きなんだな」

「……別に」


決して俺の方を振り返らずにベッドを降りると、義妹はまじまじと布団を凝視する。ベッドメイクに拘りがあるのだろうか。


「まあ丁度いいや。君の寝床なんだけど、今日はそのベッド使ってよ。俺はリビングに毛布でも敷いて間仕切りのドアを――」


黒いローテーブルを置いているリビングを指差し笑顔で振り向いた。だが次の瞬間、俺は石像の如く硬直し言葉を失くしてしまう。

 

 なにせ朝日向火乃香が……現役の美人女子高生が、前触れもなく服を脱ぎだしたのだから。


  白い柔肌が、光の下に晒し出される。




-------【TIPS:水城泉希の服薬指導メモ】-------


悠陽のアパートは築12年の2階建てで1LDKの間取りよ。キッチン含めて10畳程のリビングに3畳半の洋室。ベッドは洋室に置かれていて、スライドドアで間仕切りされているサービスルームタイプよ。家賃は共益費込みの月々4.5万円。大家さんの御厚意で家賃を値下げして貰ったんだって。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る