第5話

「犬の歌、つくってみたら完成したよ」


 本当にできちゃったんですか?!


 センパイが業務開始と同時にしれっと報告してくるものだから、声には出さなかったがかなり驚いた。目を丸くしただろう僕を見て、彼は頷く。「意外となんとかなったよ……いらっしゃいませ! じゃ、詳しくはあとで」


 新しく入ってきたお客さんを見て、センパイは話を一旦やめた。僕は急に、先日の犬泥棒騒ぎのことを回想する。


 と言っても、パトカーが到着したあとは、緊張しすぎて何を尋ねられたかなにも記憶していない。そういえば生まれて初めて警察官と会話してるかも、などとどうでもいいことを考えていたのは覚えている。


 通報者の僕を差し置き、任意同行という形でおばあちゃんがパトカーに乗せられるのは見た。叉科囲サカイさんと犬も一緒に別の車に乗せられた。黒犬が果たしてどちらの飼い犬であるか、それはマイクロチップの情報や病院などで調べてみればわかるのだろう。パトカーが着いた頃にはおばあちゃんはすっかり大人しくなっており、叉科囲サカイさんもまた神妙な態度であった。


 ひとつ、どういう流れで聞き取ったかわからないが、怖いような話を聞いてしまった。


「クロは私の犬だぁよ。クロがいなけりゃ寝ず番してくれる子がうちにはもういねえのよ」 おばあちゃんがぼそぼそ喋って、年配の警察官がなだめていた。「おばあちゃん、よしましょう。もう何年も前に終わったことです。心配のいらないことになったんですから」


 会話はたったそれだけだが、妙にゾッとした。なにか番犬でもいなければ避けられないような、有名な恐ろしい事件がこの地域にあったのか。いつぞやのもう辞めた方の先輩の話がまた脳裏に、浮かぶ前に忘れるように努めた。


 たしかなことだけ考えよう、僕の働いているコンビニ出入り口の迷い犬ポスターは、上から大きく『見つかりました!』の張り紙で上書きされたということだ。センパイが店長にかけあったので、まだしばらくはこの状態で貼り出される予定だ。迷い犬のその後を案じた人はみな、ほっとしてくれるだろう。


「先輩はよく犬がゲンちゃんだ、ってわかりましたね」「ああ……叉科囲サカイさんと散歩しているの見かけたことあるんだ。会釈ぐらいしかしないし、むこうは覚えてなさそうだけども。でもおれ、犬とすれ違う時に後ろ姿をガン見しちゃう癖あるし……」 だからあんなに力強い確信があったんだな。


 先日、叉科囲サカイさんは直接この店に来てくれて、お礼の菓子折りを置いて行った。僕はちょうど非番だったので会えなかったけども、センパイはどさくさに紛れてゲンちゃんの写真を何枚か見せてもらえたらしい。よかったね。


「先輩は犬のことよく見てますね。じゃあ、このあたりに飼い犬が多いことについて何か思うことあります?」


 よせばいいのに、忘れようとしているくせに、業務の合間につい問いかけてしまった。こちらを向いたセンパイは、真顔だった。


「通勤路に犬がたくさんいるのは、嬉しい」


 まあこのセンパイはそうだろうな、という説得力を感じたし、それ以上尋ねるのはやめた。

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