第2話
なんなら『僕には関係ないね』と切り捨ててもいい話だが、ともかくこの職場は犬過激派のセンパイには
あの晩、かなり不審な客として登場した
犬好きのコンビニストア店員にとって、悲しい出来事がもうひとつある。センパイが
センパイは曲名こそぼかしていたが、昨日になって歌詞を調べてみたところ、この歌の話で間違いない。さすがにサビ後半の直接的に犬が死ぬあたりは直接流れてこないが、おそらくセンパイはイントロを聞くたびに、犬の死ぬ部分を想うだろう。愛する者の死が職場にいる限り絶え間なく流れてくるのは、間違いなく苦痛ではないだろうか。
「次の方、こちらのレジにどうぞ」 客として菓子パンとアールグレイティーを買いに来た僕の眼前に、センパイは立っていた。センパイの顔色は、暗い。
「いらっしゃいませ、レジ袋はおつけいたしますか?」「じゃあ
センパイが落ち込んでいるかは正直よくわからなかった、顔が暗いのはいつも通りだからだ。そりゃあセンパイもいい大人だから、犬死にの歌に動揺しようがそれを隠して平時通りの仕事はできるだろう。何回もイントロが流れてくるうちに慣れることもできるだろう。それにこの店では店長もだいぶ生気のないおじさんのせいなのか、表情筋が死んでても声さえ出ていれば許されている節がある。僕にとってもありがたい話である。
僕はセンパイの手元と『とらみつ』と大きく文字の書かれた名札を眺めた。名札に印刷されたセンパイの顔もやはりというか、うっすらほほ笑んではいるものの不気味だ。そういえば、犬派だけど
「
なんださっきの。
たぶん、客としての対応の間に知り合いとして世間話された、ということにしていいのか。コンビニを出てから考えながら歩いている。もしかして僕のぼんやりした雰囲気が迷子の犬と同レベルだから声をかけられたのかも。そうだったらちょっと嫌かも。
わざわざ声をかけられる、まっとうな理由は思いつく。この辺りは五年や十年ぐらい昔から、『人が消えやすい』と聞く。どうしてなのかはわからない。まあ、単なる偶然でしかないんじゃないか、と僕は考えている。自動車事故がちょっと他より多いぐらいの、点集合の外れ値のような地域。
少なくとも最近は、町内の防災放送で行方不明になった人のお知らせなんてのも聞かなくなった。とはいえ僕が子供のころは、たしかに放送は多かった。依然としてこの地域の人々はうっすらとした警戒が日々のしぐさに根付いていて、気がついた時にお互い声を掛け合う。そういうところは、あるかもしれない。
『住宅街付近の深夜コンビニでワンオペでも十分回せるのに、ほとんどの場合二人がシフトに入れられるのって、やっぱりなにかに用心しているんじゃないかなあ。なにかが何なのかは
ほとんど僕と入れ違いになるように辞めていった方の先輩が、夏場の夜におどろおどろしく話したのを覚えている。もう名前も顔もおぼろげになっているけれど、妙に生々しく話すものだから、忘れられずにいたようだ。創作怪談として聞くなら結構怖かったし、世間話として聞くなら程よくどうでもよく、当時の僕はとりあえず相槌を打っていた。
『この辺なんて犬飼ってる家やたら多いじゃん? それも室内飼い向けの小型犬じゃなくて、中型のが特にさ。俺の親世代あたりが、番犬として飼い始めたんだと
僕は、番犬の最期についてよくないものを連想しそうになる。そういえば、なぜしょうもない死にざまのことを『犬死に』と呼ぶのだろう。ちゃんと見たことはないけれど、たとえば世界名作劇場のフランダースの犬は役に立って死んだと思う。主人を死から助けることはできなかったけれど、孤独に死なせることなく最後まで寄り添ったのだから。
そこで僕の頭の中では、少年とその飼い犬が倒れ伏す背景の陰からぬっと現れるや否や、『死なない方がいいんだけどなあ……』とつぶやく架空の
架空の犬が……もっとわかりやすくイメージしていこう。三つ首の犬が、地獄の門の前で自らの尻尾をおいかけて、くるくるくるくる回っている。これが急に現れたる英雄にさっくり倒されたのなら、僕もそこまで悲しくはない。けれど飼い主である冥府の番人との絆を描写されたあとで倒されるなら、たぶん悲しくなると思う。
だがセンパイは、英雄が出てきたあたりの不穏な気配で早くも『やめてくれぇ!』と叫びだす。そして歴史の中で人間がいかに犬を愛してきたか、犬が人間を愛してくれたか英雄に説き伏せるのだ。センパイは犬も人も平和な方がいいと考えている。甘ったれた考え方が、そして世の中のほとんどがその甘さを許さないだろうという仮想が、両方とも妙に僕の気持ちを、ざわざわと腹ただしくさせる。
しまった、気がついたら帰り道のほとんどを犬の事を考えながら歩いていた。というか最初に何を考えていたか犬のせいですっかり忘れた。秋の日暮れはとても早く、家を出るころはまだオレンジ色に照り返していたはずの道は暗い。
顔を上げると暗がりの向こう側から、犬と人が連れ立つ影があった。僕はそれらを避けるように脇道に逸れた。路地の道は狭いから、この方が向こうも歩きやすいだろう。犬の行動なんて僕には読めないから、リードが届かないぐらいのところで邪魔しない方がいい。
(ん?)
じわりと、よくわからない胸騒ぎがあった。それは、おばあちゃんが黒っぽい犬を散歩させている、ごく普通の光景でしかないはずだ。犬とおばあちゃんは僕のそばを横切って、向こう側へ歩いていく。犬は黒ビーグル犬似の中型。街灯に照らされた尾のあたりに特徴的な模様あり。よく似た犬を最近見た。暗がりだから確信はない。気のせいだと思いたい。え、いやだって、そんなことある?
(……犬泥棒?)
不穏な単語とともに、擬人化された二足歩行の犬が唐草模様のほっかむりと風呂敷を背負っているイメージも横切っていく。それはたぶん泥棒犬。ふざけている場合ではない。だが冷たい
そうとも。僕が恐れるべきは町の気味悪い空白なんかより、タバコの番号を言わずにキレてくる恐喝客とか、道路交通法を無視する自動車とか、人の犬を盗んでしれっと散歩までさせるような現実の人間達の方だった。後者の方がよっぽど遭遇率が高いのだから当然だ! いるかどうかもわからない何かより先に、身の回りに想像の下の下をはるかに下回る下劣な人間は確実にいるんだから!
僕は声をかけようと思った。どうやって? 『それは盗んだ犬ですか?』なんて聞いたら馬鹿じゃないか。じゃあ、警察に電話すればいいんじゃないか? いや、というか、あれだけ似た犬がいたらすでに近所の人が通報しているんじゃないか? 急に犬が増えたらその近所の誰かが気がつくはずだ。 それとも世間は迷い犬に関心なんてほとんどないのだろうか? そもそも犬はおとなしい、単なる見間違いのほうがよっぽど可能性が高いじゃないか?
ワァーッとうるさくなる頭の中とは正反対に、僕の体は固まっていた。僕は、ただただ犬を見送る不審者に成り果てていた。
黒犬はゆっくり見えなくなっていく。僕は結局、おばあちゃんに声をかけるのを諦めた。眼を背けて家に帰っていった。あれは他犬の空似で、正真正銘おばあちゃんの犬に違いないと、自分自身に言い聞かせながら。
さらに三日が経った。コンビニの出入り口に貼り出されている迷い犬ポスターに、変化はない。
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