第266話 寧々さん、謙信公にお持ち帰りされる(前編)

元亀4年(1573年)1月上旬 京・東寺 寧々


京に入った上杉様は、この東寺に宿を置かれたと聞いて、わたしは信長様と共に挨拶という名の談合のため、この寺を訪れている。


え?何でわたしが居るのかって?


「謙信公は、相当な酒好きと聞く。俺は飲めんから、代わりに飲んでくれ」


……まあ、そう信長様直々に頼まれてしまえば、断ることなどできるはずがない。だから、「仕方なく」お付き合いすることにしたのだ。決して、越後の美味しいお酒を飲めることを楽しみにしているわけではない。そう……これもお仕事だ!


「寧々様……顔がまた緩まれておられますよ。楽しみなのはわかりますが、今宵こそ程々に。先日のような失態はもう二度とは……」


「わかっているわよ、そんなにクドクド言われなくても!それに、慶次郎!あんただって、あのときは一緒になってやっていたじゃない。えびすくい!」


確かに大名家の奥方が胸の谷間をチラチラさせるほど着物をはだけて、あのような品のない踊りをするなどあってはならないことかもしれないけれども、フンドシ一丁になって、藤吉郎殿や秋山伯耆守と共にわたしの後ろで踊っていた慶次郎には言われたくはなかった。それに盛り上がっていたし……。


「おい、二人ともその辺にしておけ。そろそろ来るぞ」


足音が少しずつ近づいてくるのが聞こえて、信長様はわたしたちにそう言った。だから、悔しいけど慶次郎の忠告に従い、顔を引き締め直してその時を待っていると、襖が開かれて正面に謙信公が座られた。


「お待たせいたしました。わたしが上杉謙信にございます」


「織田弾正忠信長である。それと、こちらに控えるのは……」


「浅井大蔵大輔が妻、寧々にございます。本日はお目にかかれて、光栄にございます」


しかし、その挨拶は本当に普通にすることができたのだろうか。わたしの内心は、今、驚きに溢れていた。なぜなら、謙信公は……女性の着物を纏っていたからだ。


「うふふ、そうですわよね?驚かれますよね。ですが……最初に申し上げておきますが、わたしは正真正銘の女性ですからね。間違っても、女装好きな『変なおじさん』ではありませんから」


謙信公は現在44歳。男ならば、確かに「変なおじさん」かもしれない。


「わ、わかりました。その……すみません、お気を使わせてしまって」


「構いませんよ。ですが……織田殿。あなたは驚かれていませんでしたが、知っておられたので?」


「まあな。我が忍びは非常に優秀とだけ申しておこう。ただ、その忍びをもってしても、一つだけわからないことがある。なぜ、その若さ、美貌を保つことができているのだ?」


そうなのだ。謙信公は、44歳とは思えない程肌に潤いと張りがあり、元々美しいお方だったのだろうが、若い頃の姿をずっと保っているように思えるほど、美人であった。


そして、信長様が言うには、その事を知った帰蝶様が何とか秘密を探るようにと忍びに密命を与えたとかで、出来たら教えて欲しいということだった。本来の任務が疎かになり過ぎているということで。


しかし、当然だが教えてくれるはずもなく、謙信公は美しく妖艶な笑みを浮かべて「秘密よ」と答えられた。


「それで、わたしも早くお酒を飲みたいので、そろそろ本題に入るけど……織田殿がここに来たのは、義昭公が開かれる会議の事ですよね?」


「そうだ。単刀直入に申すが、おそらく義昭公は貴殿を大老に任じて、幕府への助力を願うだろう。しかし、俺としてはこの要請を辞退してもらいたい。見返りは……」


「そこに居る寧々さんでいいわよ。今晩、置いて行ってくれるのなら、わたしは全面的に織田殿に協力するわ」


ええー!それはどういう意味!?そういえば……この人、独身だったわ。も、もしかして、男じゃなくて、女が好きな人なの!?


「それくらいならば、お安い御用だ。そういうわけで、寧々。可愛がってもらうのだぞ?」


あ……売られた。

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