第264話 お手紙公方は、動き出した陰謀にため息する

元亀3年(1572年)12月下旬 京・二条御所 足利義昭


近江・佐和山より知らせがあり、武田信玄が病に倒れたということで、皆の上洛は年明けに日延べすることになったらしい。折角、寧々殿のために澄酒をたんまり用意していたというのに、残念に思う……が。


「まあ、よろしいではありませんか。上杉殿も毛利殿も大友殿も、どのみち到着は1月の後半。織田殿も武田殿も、それまでに到着してさえ頂ければ何も問題はないのですから」


肩を落とした俺に、三淵大和守が励ますようにそう言った。そして、この者の申す通り、1月の後半には、上杉謙信、毛利輝元、大友宗麟もこの京に上洛して、この将軍義昭の元に集うことになっている。新たな政権の枠組みを話し合うために。


「しかし、三淵。本当に弾正忠らに伝えなくてもよかったのか?きっと、知れば怒るぞ……」


「怒ったところで何ができますか、上様。感情に任せて謀反を起こすのであれば、寧ろこちらにとっても好都合。堂々と逆賊として誅することができるではありませんか」


三淵はそのように自信満々に言い張るが、本当にそんなに簡単な話なのかと俺は疑っている。織田の勢力圏は、東海、畿内の8か国にまたがり、さらに徳川、浅井といった付き従う大名の事を考えれば、他の大名が束になっても敵わないのではないかと考える。


無論、その事を正直にこれまでも言ったが……


「さすれば……わかっておいでですね?武田信玄公を必ずお味方にしなければならないことは……?」


いつもこれである。三淵は、織田が反発しても武田を味方にすれば、強力な包囲網を形成することができるから、万に一つも負けることはないというが、仮にその思惑通りに行ったとしても、俺は織田の方が強いのではないかと思っている。


つまり、俺個人としては、全く乗り気ではなかった。


(いっそのこと、寧々殿に密書を送ろうか……)


そうすれば、弾正忠にも事態は伝わるし、最悪、俺と家族の安全は守られるのではないかと考える。しかし……下座に控える摂津の顔を見て、思い止まった。この男は、幕府を守るためならば、何でもする男だ。すでに、自身の一人息子もその犠牲にしている。


それゆえに、もし俺がここで日和ったりすれば、きっと三淵の謀を成就させるために、俺たちを亡き者にして、周暠を代わりに将軍に立ててそのまま事を進めるに違いない。死ぬのは嫌なので、それだけは避けなければならなかった。


「上様?……上様!」


「あ……わ、わかっておる。信玄公を取り込むためには、跡取り息子である四郎に片諱を授けるのであったな。ならば……『昭頼』とするのか。それとも、『昭信』?」


正直な話、そのようなことはどちらでも良いのではないかとも思う。いっそのこと、本人に選んでもらっても。すると、透かさず摂津が『昭』の字ではダメだと言い出した。


「亡くなられた長兄の義信殿には、『義』の字を授けた手前、四郎殿に与えるのも『義』の字に……」


ホント、どうでもよい話だ。だから、『義頼』にするように進言してきた摂津の意見を採用して、今日の評定はこれにて終えた。あとは、こやつらが勝手に事を進めるだろうから、俺は部屋をそのまま出て、気晴らしに庭を歩くことにした。


「はぁ……まこと、これからどうなるのだ?」


将軍に就いてからすでに4年。目指していた『戦ではなく、話し合いによって揉め事を解決する政』は、三淵の計画に弾正忠が賛同すれば、成る所まで来てはいるが……果たしてそう上手く行くのか。


いや……上手く行かないだろうなと、俺は池を泳ぐ鯉を見つめて、一人ため息を吐いたのだった。

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