第9章 ビー・レディ・トゥ・ダイ ー②

「白い蛇?」

「ああ」

 綾香と鏡谷の二人は、いつもの公園のベンチで隣り合って座り、話をしていた。


「そのアバターが、久鎌井くんにちょっかい出しているってことですか?」

「そういうことだ」

 答える鏡谷は、珍しく煙草を消さずに話していた。


 いつも久鎌井や綾香の前では二人の健康を気遣って、携帯灰皿に捨てていたのだが、今は吸わずにはられない気分ということだ。


「コードネームは“エコー”。特殊なアバターで、アバターの気配が全くない。だから君も今まで一度も感じたことはないはずだ。外見は白い十五センチほどの蛇で、相手の耳元に張り付いて、囁く」

「囁く?」

「ああ、その程度しかできないが、それが非常に厄介だ。人がそのときに抱いている感情をより煽る言葉を繰り返し繰り返し囁く。だから“エコー”と呼んでいるのだが、それによって怒りならば怒り、悲しみならば悲しみの感情を強め、暴走へ誘おうとするのだ。久鎌井くんの場合は月野雫を守れなかった絶望と日比野への憎悪を煽り立てられているのだろう。そうなってしまっては、もう普通の人間の言葉など簡単には届かない。一種の催眠状態に陥ってしまう」

「久鎌井は、今その状態だってこと?」

「そういうことだ。そして、一度正気に戻った“アラクネ”を再び暴走させたのも“エコー”だ」

「そんな! そいつがいなかったら何の問題もなく“アラクネ”を救えたの!?」

 思い掛けない事実に、綾香の頭にカッと血が上った。

「一体何の目的で……ていうか、鏡谷さんは何でそのことをもっと早くに言わなかったんですか!?」

 綾香は胸倉を掴んで問いただしてやりたい気持ちを抑えつつ、鏡谷を睨みつけた。

「パンドラの人はそのアバターをどうして放っておいたんですか? とても危険なアバターじゃないですか!?」

「答えは簡単だ。このアバターの存在を、組織は知らない。知っているのはわたしと日比野と、“エコー”の所持者本人の三人だろう。耳元で囁かれた人間ですら、夢でも見たとか、自分の心の葛藤くらいにしか捉えないだろう」

「じゃあ、なんで」

 綾香は、腰掛けながらも思わず身構えてしまった。

 鏡谷の話から推測するに、彼女が“エコー”というアバターを知っている理由は、一つしかないように思われたからだ。

 彼女もその所持者の仲間であるということ。

 しかし、彼女の答えは綾香の想像を越えていた。


「“エコー”の所持者はわたしの父だ」


「……そんな」

 鏡谷は綾香に顔を向けようとはせず、淡々と語り続けた。


「わたしの父、鏡谷英昭は、パンドラの組織の中で、アバターの研究を行う機関“ヘルメス”に所属しながらも、自らがアバターの所持者であることを隠し、ある計画を企てていた。それはアバターの完成形とは一体何か、人の思いが集まって出来たアバターの究極とは何かを追究することだ。

 その計画にあたってヤツが眼をつけたのは日比野のアバターだった。彼のアバターには、他のアバターの力を吸い取る能力がある。それにより彼の成長を促し、その辿り着く先を見ようというわけだ。

 そして、わたしは日比野の世話役みたいなものだ。我々はアバターの事件を治める機関“ネメシス”に所属しながら、裏では鏡谷英昭と連絡を取り合っていた。

 ヤツは暴走の可能性のあるアバターを見つけると、“エコー”でけしかけ、わたしたちはそれを仕事として退治する。そんなことを繰り返していた」


「ってことは、あんたは最初から“アラクネ”をそのつもりで!」

 今度は自分の衝動を抑えることが出来ず、綾香は思わず鏡谷の胸倉に掴みかかった。

「病院の駐車場で言ったあの言葉は嘘だったの!?」

 久鎌井が月野雫の病室に行っている間に二人で交わした会話。

 その中で、鏡谷は久鎌井に“アラクネ”を説得するチャンスを与えたいと言っていた。

「腹の底では必死な久鎌井を笑っていたの!? その上、次は彼まで……」

「言い訳はしない。だが、あのときの言葉は本心だ。彼の真っ直ぐな姿は、わたしの眼には眩しく映った。だから、もうこんなことはしたくない」

「そんなこと言われても!」

 綾香は、鏡谷の押し殺した表情に悲嘆と悔恨を感じ、相手の襟を掴んだ手を緩めた。


「組織の上の人に言ってしまえば解決するんじゃないんですか? その……父親だから情があるのかもしれないですけど、でも組織の人も知ればそんな行為を見逃したりはしないでしょう? そうすれば解決じゃないですか」

「そうかもしれないな。しかし、あの男は非常に頭が切れる。そして口達者で、“エコー”という打って付けのアバターまでいる。簡単に解決できるとは思わない。彼自身、研究機関“ヘルメス”で一つの部署を任される人物だ。例えうまくいったとしても時間が掛かるだろうな」

「お手上げってこと?」

「……すまない。綾香くんの方はどうだ? 久鎌井くんを説得できそうか」

「分からないわよ……でも、わたしは何とかしてみせるわ」

 とても細く幽かな光だが、綾香は可能性を見つけ出した。

 彼女はそれにかける決意をしている。


「そうか、一つ君に言っておきたいことがある」

「何ですか?」

「恐らく、決闘の場に“エコー”が現れると思う。もし姿を見たら迷わず……潰してくれ。

 もちろんわたしの手でしとめてやりたいと思っているが、成功するかどうかは分からない」

 鏡谷は懐に手を当てた。そこには拳銃が吊るされている。

「“エコー”は本当に特殊だ。大抵のアバターは拳銃でも対抗し難いが、あれはとても非力だ。所持者でないわたしでも、致命傷を与えることが出来る。

 この手に捕まえることさえ出来れば、やつが夢遊状態のアバターを引っ込めるよりも先に、握り潰すことも可能だ」

 そう語る鏡谷の表情に、覚悟が見て取れる。

「でも、いいんですか? 父親なんですよね?」

「ああ、そうだ。確かに父親だが、もうヤツの言いなりになることはできない」

 そう言って鏡谷が綾香の眼を真っ直ぐに見据えた。


「わたしが言えたことではないが、久鎌井くんを救ってくれ」

「……もちろん、言われるまでもないです」

 綾香も拳を握り締めながら、その眼を見返した。



 — * — * — * —



 公園で話を聞いたあと家に戻った綾香は、昼食を済ませると学校に向かった。


 目的は武器の調達だ。


 戦いの場に赴くのだから、それなりの準備が必要だった。そして、弓道部員の綾香に思い付いた武器は、弓しかなかった。


 今日は部活の練習があのだが、活動は午前中だけだから、今は誰もいないはずだった。

 弓道場に着いた綾香は、閉められているシャッターの前に立った。

 道場の入り口は鍵が掛けられており、その鍵は顧問が持っている。

 しかし、道場の中には入れないのかというと、実は裏技があった。顧問は知らないが、三番目のシャッターの鍵が壊れているのだ。


 綾香はゆっくりとシャッターを開けて中に入った。

 そして数多くの弓が並べられている中から、自分の使っている弓を手に取った。

 それは和弓だ。

 和弓は、洋弓と比べると、狙いを定めるのには適していない。洋弓は当てやすいように様々に改良されているが、和弓は違う。それに、あくまで武道としての弓であり、戦闘で使うというのであれば、洋弓の方が適していると、綾香は考えた。

 洋弓では口元までだが、弓道ではさらに耳の後ろまで大きく引く。それに和弓はかなり大きく、このままでは弓道の型通りにしか引けないし、長距離から狙うならいざ知らず、動きながら使うのも難しいように思われた。


(まあ、とはいえ弓がどこまで通用するのか分からないけど…)


 彼女は久鎌井を説得するつもりなのだ。戦って打ち勝とうというわけではない。

 弓はお守りのようなものだとは思っている。ただ、少し牽制程度に使うかもといったところだ。

 だが、それでも、アバターによって作り出されたものには、その力が宿っており、鏡谷の持っていたマグナム銃よりも、アバターに対して効果があるらしい。綾香は鏡谷からそう聞いた。アバターは特殊な力で守られており、一般的な力では傷がつきにくい。“ナルキッソス”や“ペルセウス”のような戦闘能力の高いアバターであれば、たとえデザートイーグルで撃たれてもでも殴られた程度の衝撃しかない。しかし、綾香のような戦闘よりのアバターでなくても、そのアバターの力の通ったものであれば、特殊な力を中和し、相手を傷つけることが出来るというのだ。

(わたしはアバターと戦ったことがないからよく分からないけど)

 それで、丸腰よりはよいだろうと考えて、こうして準備をしているのだ。


 綾香は、過去に洋弓もやったことはある。レクリエーション程度ではあるが、弓道に通ずるところもあり、的は狙いやすかったことは覚えている。


 綾香はアバターの力を顕現させる。

 手首から先が、黒い薄手の手袋のようなもので覆われた。

 そして眼を瞑ってイメージする。


 作ったものがちゃんと機能するためには、見た目だけではなくその機能も重要だ。だからスマホで調べて、洋弓の仕組みについては一通り目を通した。それだけでも出来上がりは変わってくるのが、彼女の能力だった。


 目を開けると、イメージ通りの洋弓がその手にあった。


(よし)

 それから胸当てをつけ、矢立てから自分の矢を取り出した。

 それも、能力で洋弓用の矢に形を変えた。

 そして、適当に射って狙いを確かめた。指が痛かったので練習用にあまっている『かけ』という弓具を嵌めて指を保護した。『かけ』は親指、人差し指、中指の三指を覆い、親指から手首までは硬い素材で出来ているが、今は人差し指と中指の二指さえ保護できればいいので、能力を使いそのように形を変えた。

 十本ほど射ったところで、ようやく大体の狙いがつけられるようになった。

 綾香は次に、矢立てから自分の矢と、練習用の予備の矢を合わせて二十本ほど取り出した。

 それを全て、ビー球大の大きさの球体に変えた。

 こうすることで、矢をかさばらずに持ち運ぶことが出来る。

 弓と矢を調達することが出来、綾香の目的は一つ達成することが出来た。ただ、持ち帰るために弓の形を背負える鞄に変えた。そしてその中に胸当ても、形を変えた『矢』も『かけ』も入れた。形を変えただけだから重量はあるが、そこは背負えるタイプにしたことで、何とか家まで運ぶことはできるだろう。


(さて、最後だ)


 綾香は道場に何個か置いてあるハサミを集めた。

 そのうち三つを使い、一つのナイフに変えた。

 そして刃の部分に適当な布で包み、元『弓』の鞄に入れて、全ての準備が整った。

 入ってきたときと同じくシャッターを静かに閉めて、綾香は弓道場を後にした。


 後は、時を待つだけだ。

(さすがに、重いなあ)

 家に向かう道中。綾香は背中の重みに耐えながら歩みを進めた。

(でも……)

 彼女の胸に秘めた決意の重さ、大きさに比べたら、こんな重さはどうということはない。

 久鎌井のために苦労していること、頑張っていること、それは何も苦にはならなかった。


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