第8章 ガールズ・ディターミネーション ー③

 今、綾香の目の前には、黒い全身鎧を身に纏った騎士が立っていた。

 所々鋭くとがったフォルムのその鎧騎士が、一人の男を締め上げていて、他にも三人の少年たちが、それぞれ無残な姿で地面に転がっていた。


 綾香は、アバターとなり公園で一人夜空を眺めてくつろいでいたところで、アバターの反応を察知した。


 綾香は自らの意思で、意識を自分自身の体に戻すと、人生で初めて、家の窓からこっそりと抜けだした。

 部屋の位置は二階だったが、今の綾香には問題はなかった。

 今の彼女は、アバターの同調状態であった。

 同調状態であれば、身体機能は通常の人間のそれとは異なる。

 久鎌井や日比野のような戦闘が得意なアバターと比べれば劣るものの、今の綾香はトップアスリートレベルの身体機能を持ち合わせていた。

 綾香が右手を自分の服――今は寝間着だ――に手を当てると、一瞬で学校の制服に変わった。“ピュグマリオン”の能力で服を作り替えたのだ。

 そして、アバターの反応があった方向に駆け出した。


 息も切らさずに夜の闇を疾走する。


 その反応は街の中心に向かって移動していた。綾香にとっても、アバターの反応だけで、個人の識別をすることは難しかったが、“アラクネ”は今はいない。日比野がこれ見よがしにアバターの力を発揮しながら移動しているのも、想像しにくい。そうなると――

「……久鎌井なの?」

 彼が“ペルセウス”の力で誰かを守っているのであれば良いのだが、今日の彼の様子ではその姿は想像しにくかった。

 綾香は不安を胸に抱きつつ、現場に駆け付けた。

 そこで目にしたのが、この黒騎士だった。


「久鎌井っ!」

 本当に彼なのかどうか疑問を抱きつつも、綾香は大声で呼びかけた。

 すると、黒騎士がこちらに顔を向けた。

「逃げろ!」

 黒騎士の注意が逸れたことをいいことに、少年たちは這う這うの体で逃げ出した。

 久鎌井の頭痛のおかげで解放された少年も、何度も転びそうになりながら一心不乱に駆け出した。

「……くそっ」

 黒騎士が呟いた。

その声は、紛れもなく久鎌井のものだと、綾香は確信した。

「……逃げられたじゃないか」

「何しているのよ! あんた!」

 怒りよりも、悲しみよりも、ただ衝動に身を任せ、綾香は大声で問いただした。

「あいつらが……サラリーマンから金を巻き上げていたから、止めただけさ」

「止めてたって……」

綾香には、そんな生易しい様子には見えなかった。

 這いつくばっていた少年たちはそれぞれが血を流し、締め上げられた少年は今にも殺されそうな表情をしていた。

「それに……その姿」

「さあな」

 黒騎士はかぶりを振ってそう呟いた

 しばし静寂が辺りを包む。

 綾香には切り出す言葉も行動も思いつかなかったが――


「……気づいたんだよ」

 先に口を開いたのは黒騎士だった。


「何に?」

「守るということは、ただ盾を構えて人を庇うばかりじゃあないんだって。敵を殺せば一番手っ取り早く、確実に助けることが出来る」

 黒騎士は冷たかった。感情を感じない冷たさ。


「そんな、何言っているのよ! 久鎌井らしくないよ!」

「俺らしくないだって?」

 綾香の反論に反応して、黒騎士の仮面の奥に潜む光が鋭く彼女を突き刺した。

「君が知らないだけだろ。そもそも、君は俺の何を知ってるのさ?」

「そ、それは……」

 それを言われてしまうと綾香は何も言えなかった。

 これから知りたい。もっと知りたい。そう思っていたところだった。

 彼が傷ついてから、こんなになってしまってから自分の思いに気が付いても、もう遅かったのだろうか?

 そんなことはないと、綾香は思いたかった。しかし、優しい言葉を掛けたいと思っても、それがよいのかどうかも分からない。今の久鎌井は、今まで一度も感じたことのないほどの危うさを身に纏っていた。

「だけど、そこまでしなくなって、今まで多くの人を助けてきたじゃない!」


「俺が、誰を救えたって? 救えなかったじゃないか……俺は、月野さんを救えなかったじゃないか!」


 久鎌井はその手を強く握り締めながら叫んだ。

「あのとき、盾なんかで守ろうとしないで、あの日比野の腕を切り飛ばしてやればよかった! そのまま、あいつの息の根を止めてやれば彼女は――」


「やめてよ!!!」

 綾香は、思わず叫んでいた。


「聞きたくない! 久鎌井から、殺すなんて言葉を聞きたくないよ! あんたにはただ一言『守る』って言葉の方が似合うよ……だから」


「花住さん」


 綾香の叫びもまた、感情をあらわに吐き出したものだった。どんな内容であれ、心と心のぶつかり合いが久鎌井の少し激情を覚ましたのか、彼は少し優しげな声で綾香の名前を呼んだ。

 そしてその表情は、白騎士のときと同じく読み取ることはできないが、ただ悲しげな雰囲気が伝わってくる。

「だけど、守れなかったのは事実なんだ。そして、日比野を殺していれば彼女が救えたかもしれないことも事実」

「だけど――」

「それにね、俺は、あいつが憎くてしょうがないんだ」


「誰が、憎いんだって、“ペルセウス”」

 その声は綾香の背後から聞こえてきた。


「日比野……」

 久鎌井の呟きとともに、周囲の空気が一気に張り詰めたものに変わった。


「待って、久鎌井」

 綾香の言葉が空しく消え、彼に届くことはない。

 久鎌井の右腕の篭手が形を変えていく。その五本の指が、それぞれ鎌のような鉤爪になる。

「それが昨日、俺の腕を切断した力の正体か。まあ、俺の腕は再生可能だから、一度や二度切られただけじゃあどうってことないがなあ」

「なら、もう二度と生えてこなくなるまで切り捨ててやる」

 久鎌井が綾香の横をすり抜けていく。

「やめてよ!」

 綾香の叫びに反応したかのように、久鎌井の動きが止まった。


 しかし、それは彼が綾香の言葉に動揺したからではない。彼の足に何かが絡み付いている。


「はっはっはっ、足元に注意しなきゃなあ」

 高笑いする日比野の足から、木ように太い根が地面を這うようにして伸び、久鎌井の足に絡み付いているのだ。

「なっ――」

 倒れそうになる久鎌井。その様子はただ足を取られただけではなく、力が入らずに膝から崩れ落ちるかのようだった。

「俺は相手の力を吸収できる。昨日は“アラクネ”の力を戴いたから、今日は絶好調だぜ。はっはっはっはっは!」

 日比野は右腕にアバターの力を解放すると、その植物の腕を鞭のように振るった。

「くそ!」

 久鎌井が右腕を横薙ぎに一閃すると、足に絡みついていた根が音もなく切り裂かれた。

 次いで襲い掛かる太い丸太のごとき植物の腕も同じく切り払おうとするが、完全に切断することは出来なかった。半径の三分の一まで食い込んだところで刃が止まり、手で受け止めているような形になる。

 久鎌井は刃を引き抜き、再び攻撃に移ろうとするが、それよりも早く、受け止めた“ナルキッソスの腕”が触手のように久鎌井の腕に巻きつき、そのまま彼を持ち上げた。

「久鎌井!」

 彼の体は日比野の頭を越え、反対側へ。叩きつける前に、巻きつけられた植物の腕が解かれると、久鎌井の体はさながら独楽のように回転し地面に受身も取れないまま叩きつけられた。


 綾香は、どうにか二人の戦いを止めたいと思うが、何をすればいいか分からなかった。戦闘型アバター同士の本気の戦いに割って入っても、瞬殺されるだけだろう。


 綾香は周囲を見回し、鏡谷の姿を探した。

 何故か彼女は、少し離れたところから二人の戦いを眺めていた。

「鏡谷さん!」

 綾香が駆け寄ると、彼女は視線を逸らした。

「何がどうなっているの!? 久鎌井は何であんな姿になっているの!?」

「分からない。ただ、あれも彼の力だろう。あの鎌のような鉤爪は、かなりアレンジが加わっているが、恐らくメデューサの首を切り落とした鎌状の剣“ハルペー”の力だ」

「何で白かった鎧が黒くなってるの!?」

「それも分からないさ。ただ、暴走の兆しなのかもしれない」

「そんな………でも、まだ暴走してないでしょ? だってさっきはちゃんとした会話が出来たもの。何か様子はおかしかったけど……止めることは出来ないの? ちゃんと話し合おうよ! だから日比野に攻撃をやめさせてよ!」


「わたしには………止めることは出来ない」


 小さな声でそう答える鏡谷の表情は、とても苦しげだった。

「どうして!!!」

 どれだけ綾香が声を荒らげても、鏡谷は唇をかみ締めるだけだった。


(こうなったら、わたしがどうにかしなきゃ……)


「どうするつもりだ?」

 表情から綾香の決意を悟ったのか、鏡谷が尋ねる。

「止めなきゃ」

「だから、どうやって止めるのだ……」

「分かんないわよ! でも、久鎌井だって、“アラクネ”を止めようとがんばって、一度は成功してるじゃない。諦めたら終わりよ! だから――」


「ぐあ!」


 綾香の言葉が呻き声に遮られた。振り返ると、久鎌井が再び地面に叩きつけられていた。


「久鎌井!」


「邪魔するな!」


 言葉とともに突き出された久鎌井の黒い左腕。昨日までは白い鎧に包まれ、そこには人を守る盾まであったというのに……あまりの禍々しさと彼の気迫に、綾香の足は竦んでしまった。


(ダメ、ダメ! お願い動いて、動いて!!)


 心の中で強く念じても、簡単に一歩が踏み出せない。

「ふん、夢遊状態では話にならんぞ。今のお前と殺り合っていてもつまらんな」

 さっきまで狂った笑みを浮かべていた日比野の顔が不満げに歪められた。

「……そうだ」

 何かを思いついたような声を上げる日比野。

「くそお!」

 そんなことはお構いなしに、起き上がるとそのままの勢いで突進する久鎌井。

「少し大人しくしろ」

 大して力のこもっていない、子供をあしらうような言葉とは裏腹に、日比野の植物の腕が二周りほど太くなり、久鎌井に向けて勢いよく振るわれた。そして彼の体を絡め取り、三度地面に叩きつけると、そのまま地面に根を下ろす大樹のように形を変え、彼を貼り付けにした。

「いいことを思いついた。明日の深夜零時に神楽橋まで来い。もちろん生身でだ。そこで再戦といこうじゃないか」

「くっ!」

 どうあがいても身動きが出来ないことを悟り、久鎌井が動きを止めた。

「同調状態であれば、もう少し楽しませてもらえるだろうからな。がっかりさせるなよ」

 その言葉を最後に、日比野がアバターの力を消滅させ、久鎌井に背後を見せた。そして、笑いながら夜の暗闇に消えていった。


「大丈夫!?」

 ようやく動けるようになった綾香が久鎌井に駆け寄るが、彼に近づく前に、その姿が消滅してしまった。

「久鎌井……」

 綾香の言葉は、一切彼に届いていなかった。

「そんな……」


 一体、何がどうなってこんなことになってしまったのだろうか?

 もちろん、彼が傷ついていることは分かっていた。だからこそ綾香は、これから久鎌井の傷を癒し、彼との関係を築いていこうと思ったのに……

(でも、まだ諦めたくない)

 綾香は今まで自分のことは何の抵抗もなく諦められていた。しかし、久鎌井のこと諦めることはしたくなかった。


「鏡谷さん」


 綾香は、自分の横を静かに通り過ぎようとしていた彼女に声を掛けた。

「なんだ?」

 鏡谷は立ち止まったものの、振り返ることはなかった。

「久鎌井の家、知ってるでしょ? 場所を教えて」

「説得でも、するつもりか?」

「そうよ。悪い?」

 二人の激戦の中、綾香は飛び込むことができなかった。

(でも、諦めたくなんかない)

 明日の零時まで時間がある。

 とにかく、久鎌井と話をしなければ何も始まらない。


 それに、綾香は彼を信じていた。


 あんな憎しみに染まってしまったかのような黒い鎧に変わってしまった彼の中に、昨日まで白い心がまだ残っていると……。

 しばらくの静寂のちに――

「分かった。教えよう」

 そう言って振り返った鏡谷の表情は、綾香にはさっきとは少しだけ違って見えた。

「わたしに、彼を救うことは出来ない。しかし、君ならば出来るかもしれない」

 そして、鏡谷は久鎌井の家の場所を綾香に告げた。

「君の言葉が、彼に届くことを願っている」

 その言葉を、最後に添えて。


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