第8章 ガールズ・ディターミネーション ー②
夜、久鎌井の自室。
久鎌井はいつも通りのルーティンをこなし、あとはもう寝るだけだった。
ようやく一日が終わった。
「くっ、くぅぅぅぅぅぅ―――」
彼は扉に背を預けて立ち尽くし、声を殺して泣いた。
何とか家族の前でもクラスメイトの前でも、いつも通りを装うことはできた。
昼に綾香に呼び出されたときも、彼女の姿を見るだけでも辛かったが、それでも彼女がいろいろ話をしてくれたおかげか、何とか気持ちを誤魔化すことができていた。
でも、もう無理だ。
一人になり、暗闇に包まれ、もはやすべての感覚が心の内にしか向かっていかない。
後悔の嵐が、刃が、久鎌井の心を切り刻む。
守れなかった。
彼女を、
月野雫を、
またしても、
守ることが出来なかった。
「くそぅぅぅ――」
昨夜、雫を鏡谷に預けてからどうなったのか、久鎌井は知らなかった。
鏡谷に電話しようと思えばできたが、怖くてできなかった。
彼女の話の通りであれば、アバターの死は心の死、彼女が二度と目覚めることはなく、今は心臓が動いていても、やがて肉体もその活動を止めてしまうことになるという。
久鎌井の脳裏に、雫の父親の顔が浮かんだ。
陽射しの降り注ぐ病室で、娘の世話をしていた。
娘の意識が戻って、あんなに嬉しそうにしていたのに。
雫も、ようやく自らの闇から抜け出して、明日の光を手に入れることが出来たというのに。
「あああぁぁぁぁぁぁ――」
久鎌井はうめき声をあげながら机に近づいて引き出しを開けると、鏡谷からもらった錠剤を取り出した。
安定した眠りを誘い、アバターになるための薬だ。
アバターになりたいわけじゃなかったが、飲まないと寝られそうになかった。
明日がやってくる。明日もまた、普通の顔して、普通に生活をしなければいけない。
だから、寝ないといけない。
久鎌井は薬を乱暴に取り出し、無理矢理に飲み下すと、そのまま布団に入り、膝を抱えるようにして丸まった。
そして、悲しみと悔しさに任せて涙を流し続けた。
そのうちに疲れて眠くなってくれるだろう。
彼女とは違い、彼は生きているのだから。
— * — * — * —
どれだけ時間が経ったのだろう。
久鎌井は寝ているのか、それとも起きているのか……自分自身ではよく分からなかった。
周囲が見えているのかどうか分からない暗闇に包まれ、妙な浮遊感が全身を覆っていた。
ユメウツツ。
そんな狭間にいるような感覚だった。
金縛りなのか身動きが取れなかったが、久鎌井には動こうという気も起らなかった。
ただ何かに吸い寄せられるようにして、深い闇に沈んでいく。そんな感覚だった。
その暗闇の中、何かが一瞬だけ浮かび上がっては消えてゆく。
「ぅぁ、ぅぁぁぁ……」
それは自分の記憶の断片だった。
昨夜の記憶の映像が、閃光のように現れては、消える。
月野雫が貫かれる場面。
植物の繭にその体を覆われていく場面。
それを自分がかき分ける場面。
そして、彼女の体を抱きかかえている場面。
守れなかった。
守れなかった。
守れなかった。
蜘蛛の中から現れた彼女のアバター本体と思われる少女の表情。
悲愴、驚愕、苦痛……絶望。
「うああああああああああああ」
心臓を燃え盛る手で鷲掴みにされたような苦しさに、久鎌井は悶えることしかできなかった。
(俺は、彼女を守ることができなかった――)
――違う。守らなかったんだ――
何処からか声が聞こえてきた。
「……誰だ」
『俺さ』
久鎌井の目の前の暗闇から、淀みのような何かが現れる。
何かはよく見ると人影のようにも見えた。
その顔の部分だけが、人の顔に変わった。
それは、久鎌井友多の顔であった。
『守れなかったんじゃない。守らなかったんだよ』
闇から現れた“それ”の口が、ニヤリと裂ける。
「そんなことはない! 守ろうとした。でも、守れなかったんだ!」
久鎌井は、もう一人の自分が現れたことにそれほど驚きはしなかった。今のこの暗闇に浮かぶユメウツツの中では、何の違和感もない。
ただ、それが発した言葉の内容には叫ばずにはいられなかった。
『なら、どうしてアイツを殺さなかった?』
“それ”の言葉と同時に、白髪交じりの男が現れた。
「日比野……」
『そうだ。コイツを殺せばよかったんだ。そうすれば彼女を救うことも出来た。
殴られている者を助けたければ、殴っているヤツを殴り殺せばいい。
蹴られている者を助けたければ、蹴っているヤツを蹴り殺せばいい。
殺されそうになっている者を助けたければ、殺そうとしているヤツを殺せばいい。だろ?
あのとき、アイツを殺せば、殺されそうになっていた彼女を救うことが出来ただろう。
母を助けるために、敵を全て石に変えてしまったペルセウスのように』
「俺には……そんな力はない。俺には盾しかない」
『何を言っている? ならばこの力はなんだ?』
日比野の腕が切断された場面が一瞬だけ現れた。
『これは、お前がやったんだろ?』
「俺が……」
久鎌井には何の自覚もなかった。ただ無我夢中だったのだ。
『これを使ったんだろ?』
“それ”の腕の形が変わる。
五本の指は長く伸び、それぞれが鎌のように鋭い刃となり、変化は這い上がるようにして手首まで及ぶと、黒く奇怪な篭手に変わる。
『さすが“ペルセウス”。これが、お前のハルペーか?』
ハルペー――ペルセウスがメデューサの首を刎ねるために使ったといわれる鎌状の剣だ。
しかし、“それ”の腕は、五本の鉤爪が付いた異形の篭手としか言いようがなかった。お世辞にも剣とは思えない。
『歪んだものだ……しかし、これがお前の刃だ』
「俺の……刃」
その形は、禍々しい心そのもののようだった。
ただ、久鎌井は不思議と恐ろしいとは感じなかった。
ゾクゾクと背中を冷たいものが這い上がるような感覚があったが、恐怖よりもどこか魅惑的な感覚があり、それが嫌ではなく、体に、心に馴染んでいく。
『お前はこの力があるのに、アイツを殺さなかった。殺せば、彼女を助けられたかもしれないのに』
「アイツを、殺せば……」
『そうだ。そうすれば守れた。盾で庇うだけが、守ることではないのだよ』
日比野さえいなければ、彼女が死ぬことはなかった。
彼女は必死に自分と戦い、新しい道を開こうとしていたのに。
『憎いだろ?』
「……憎い」
その言葉を、はっきりと口にしたとき、久鎌井の胸を締め付ける何かが消えた。
『いいことを教えてやろう。ペルセウスという名前は、『復讐する者』という意味を持っている』
「復讐……」
『お前には守るべきものもあるのだろう? ならばなおさらだ。悪を切り裂くこの力を受け入れるのだ』
(そうだ。もう過ちを繰り返してはいけない)
『さあ、目覚めろ』
“それ”の言葉と同時に、闇に地平線が生まれ、上下に切り開かれた。
久鎌井は家の前に立っていた。
生身ではない。アバターとして。
しかし、その姿はいつもとは違っていた。白い部分は欠片もない。黒く所々が鋭利に尖った異形の鎧。
それでも、久鎌井はそれが自分だと認識できた。すると、心はいつもと同じような開放感と高揚感にみたされ、そしていつもとは少し違った安らぎを感じていた。
『お前の助けを求める者たちがいるかもしれない』
耳元から、“それ”の声が聞こえた。
『お前の気配を感じてアイツが現れればさらに好都合だ』
「ああ」
黒騎士のアバターとなった久鎌井は頷くと、心の赴くままに一歩を踏み出した。
— * — * — * —
繁華街を少し外れた小道。
活気という光の影に生まれる掃き溜め。
「た、たすけてくれ」
助けを求める声が聞こえた。久鎌井の耳に届いた。
――ガスッ、ドガッ――
鈍い音が聞こえる。途切れたかと思えば、怒鳴り散らすような汚い声が聞こえてくる。
間違いない。
誰かが誰かを暴行している。
何処にでもある。
何時でもある。
人間の下らない部分を集めたかのようなクズたちの愚行
「おい、誰か来たぞ」
少年の声が自分に向けられた。
久鎌井の目の前には四人の少年。
彼らの足元には中年の男性。
状況は一目瞭然だった。
地面でいろんなものを垂れ流しながらボロボロになっている男性を、四人の少年たちが集団暴行し、金銭の強奪している。
「面倒だ。逃げるぞ」
少年たちはすでに目的を達していたようだ。
一人が声を上げると、他の四人も直ぐに向きを変えて立ち去ろうとする。
間に合わなかった。一人の少年の手には、中年男性の財布と思われる黒い何かが握られていた。
「………」
久鎌井は無言のまま、やつらに詰め寄った。
「がっ――」
人ではあり得ない速度で間合いを詰めると、久鎌井は一番に近くにいた少年を横に殴り飛ばした。
「な――」
残りの少年たちは、何が起こったのか理解できなかった。しかし久鎌井の姿を間近に見ることとなり、言葉を失っていた。被害者の中年男性すら、何も言えずにただ呆とそのシルエットを見つめている。
黒く歪な鎧に包まれた姿。
目の前に鎧の騎士がいること自体が非日常ではあるのだから、驚くのも無理はない。しかし、今の久鎌井の姿は、ただの非日常ではなく、相手に恐怖を抱かせるのに十分な威圧感を備えていた。
「手遅れだった……しかし、お前らを生かしておけば、また同じことを繰り返すのだろうな」
「こ、こいつやべえんじゃねえか」
「早く逃げようぜ!」
三人のうち二人が変え走り出そうとするが、久鎌井はそれを許さなかった。
一人は頭を鷲掴みにして地面に引きずり倒し、もう一人はその背中に蹴りを入れると、見事に地面を転がっていった。
「ひぃいい!」
小さな叫び声とともに立ち去ったのは、被害者であった中年だった。
ただ一人この場に立っている四人組の少年の一人は、恐怖のために現実逃避でもしたのだろうか、異形の姿となっている久鎌井を見つめたまま、その場から動こうとしなかった。
「……た、助けてくれ……」
その口からようやく言葉が漏れた。
しかし――
「お前らにその資格はない」
久鎌井は左手でその少年の胸倉を掴むと、そのまま持ち上げた。
「お前らがどんなつもりで暴行に及んでいたのかは知らないが、許されることじゃない」
久鎌井は空いている右手を、相手の眼前に開いて掲げた。
篭手の形状が変わっていく。
五本の指は延長し、全てが鋭い刃へと変形する。
特に人差し指は長く、それはまるで死神の鎌のようだった。
「俺は、お前らを許さない。全員殺す」
五本の鎌で頭を刻み潰して殺す。
――そうだ――
もう一人の自分の声が聞こえてくる。
(ここでこいつらの息の根を止めなければならない)
――そうだ、殺すんだ――
その言葉は、久鎌井にしか聞こえていない。
(生かしておいてはいけない。こいつらは罪を犯した。これからだって罪を重ねるかもしれない。ここで元を断てば、以降この少年たちによって不幸に見舞われるものはいなくなる)
――殺せ。お前の力を見せろ――
(あの時も、こうやってやればよかったんだ。盾などに頼らず、剣の力で、やつを殺しておけばよかったんだ)
――その通りだ――
久鎌井は、冷たい手のひらを少年の顔に当てた。
少年は声をあげることも出来ずに、震えながら迫り来る恐怖を見つめていた。
(このまま、後は指を曲げるだけ、刻み潰してやれば……)
「やめてっ!」
女性の声が聞こえた。
聞き覚えのあるその声に、久鎌井の動きが止まった。
――どうした! 早く殺してしまえ――
もう一人の自分の声が、久鎌井を急き立てる。
(そうだ。こいつを殺さなければ。ここにはあと三人もクズどもが残っている。こいつらを殺すことこそが、まだ見ぬ誰かを守ることになるというのに……)
久鎌井は何故だか頭が痛くなってきた。
少年を離すと、自らの頭を抱える。
解放された少年は、他の少年共々、這う這うの体でその場を後にした。
――お前の力を見せろ! お前の正義を見せろ!――
――久鎌井っ! 「久鎌井!」
もう一人の自分の声と、女性の声が重なった。
久鎌井が反射的に声の聞こえてきた方向に顔を向けると、そこには髪を高い位置で結んだ少女が立っていた。
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