第3章 エンカウンターズ・オブ・ジ・アンノウン ー④

 車は市内を走り始めた。何処に行くというわけでもなく、ただ車内で話をするためだけに。運転しているのは鏡谷。助手席に日比野が座り、久鎌井と綾香は後部座席だ。

 綾香は憮然とした表情で、窓の外を眺めている。

「さて、何から話し始めたらいいか……君の見ている“夢”の、そもそもの始まりから話そうか」

 鏡谷の長い話が始まった。

 それは、普通の人間ならば、そんなことがあるわけないだろと、笑ってしまうような内容であろう。しかし、当事者である久鎌井には、そのまま受け入れることしかできなかった。



 人類が人類たる所以。

 それは道具を使い、また目的に合わせて新しい道具を生み出すことができること。さらに、火の力を食品の加工や道具の作成など目的のためにコントロールすることができることなどがあげられる。

 この他にも多くの事柄が挙げられるのだろうが、一つ忘れてはいけないことがある。


 それは、言葉を用いるということだ。

 言葉は、感情、意思、考えを他者に伝えるための手段だ。それは間違いなく人が文明を築き上げることができた理由の一つといえるだろう。

 しかし、言葉のもたらした業績はそれだけだろうか?

 他者に何かを伝えるための記号。ただそれだけか?


 否。


 言葉は、感情に色を与えた。怒り、憎しみ、悲しみ、喜び……。さらに、言葉によって物事を順序だてて考えられるようになった。そして経験は蓄えられていく。

 知恵が言葉を生み出し、言葉は知恵をより大きなものにしていく。

 そして人々は、それぞれの心の中に望みを持つようになった。願いを抱くようになった。


 大小様々な『思い』がそれぞれの胸の内に存在するようになった。


 それは、ただ種全体として生き残り、繁栄することを目的に行動を仕組まれていた他の生物との大きな違いであった。

 今まで、地球上にはたった一つの『思い』しかなかったのに、人類が文明を開化させることで、そこには多くの『思い』が生まれることになったのだ。特に文明が進んだ国では多くの価値観が生まれ、『思い』は人の数だけ存在してしまった。


 『思い』は人を活かしもするし、殺しもする。

 眼に見えないものでありながら、明らかに人を左右する。

 『思い』はある種のエネルギーと言えた。

 それが地球上に一気に生まれた。

 地球にとって、それは異常事態だった。今までたった一種類しかなかったエネルギーが爆発的に増加し、地球を満たしてしまったのだ。飽和状態となってしまえば、あとは溢れ出すしかない。


 溢れた『思い』は、似た『思い』を持つ人間へと集まり、形を得た。

 それはまるで、細かい塵に集まり、表面張力によって円形となる水分子のように、互いに引き合い、さまざまな外観を得た。鎧騎士であったり、猛獣であったり、人とも獣のともつかぬ姿であったりと。


 『思い』の集合体は、触媒となった人間の精神と同調しているために、その人間の精神が入眠などにより解放されたときに姿を現す。あるいはその人間の精神までも取り込んで現れる。



「それが、君の見ている夢の正体。白騎士の正体だ。そしてそれを、我々は思いの化身“アバター”と呼んでいる」

「はあ」

 久鎌井は、あまりに壮大で、幻想的な話しに頷くことしかできなかった。


「君の中に存在する“ある思い”が核となって、同じ種類の『思い』を集めて、形を成したものが、君の白騎士だ。そして、君が眠りにつくことによって、精神的に無防備になると、君の精神を核として集まった思いは肉体を離れ自由になり、顕現する。ある意味では幽体離脱状態に近いかもしれないな。君の精神も、白騎士の中にあるのだから」

「僕の中にある、“思い”ですか?」

「ああ、実は四ヶ月ほど前から、君の行動は観察させてもらっていた。こそこそとしていたのはすまないとは思うがね。これは推測だが、白騎士の核となっている“思い”は、誰かを『守りたい』と思う感情ではないかと思う。君の白騎士の際の行動、またその白騎士という姿そのものからの想像でしかないがね」

 心当たりはあるかい? と、鏡谷が久鎌井に尋ねた。


 その言葉に、久鎌井の脳裏に衣の言葉が思い出される。

『……だから白騎士なのかな……』

『家族を守りたい、そんな久鎌井くんの心は、本当に白騎士の格好をしているのかもしれないよ』

 彼女の言葉は、的を射ていたのかもしれない。


「ちなみに、そこにいる綾香くんのアバターの核は、『世間のしがらみから放たれたい、一人になりたい』というものだと思われる」

「ああ」

「ああって何よ……」

 そっぽを向いて無関心を決め込んでいるように見えた綾香だが、久鎌井の頷きに反応してジトリとした視線を彼に向けた。


「それはさて置き、アバターが君たちのように、良い心、または誰にも害をなそうとしない“思い”から形成されていれば問題はないのだが――」

 鏡谷の話はまだまだ続く。



 正の方向性を持つ『思い』があれば、逆の、負の方向性を持つ『思い』もあった。

 他者を憎み、妬み、恨み、害そうとするもの、歪んだ趣向ゆえに他者を傷つけてしまうもの。そんな『思い』から形を成してしまったアバターは問題であった。


 街で起こる狂気的な殺人の犯人がアバターであることもあった。

 幽霊や都市伝説で語られる話の実態がアバターであることもあった。

 民話で語られる化物が実はアバターであることもあった。


 しかし、アバターは決して普通の人間に倒すことができない存在ではなかった。

 力を合わせた村の大人たちに、あるいは民を守る国の公的な機関に退治されることもあった。だが、多くの犠牲を払うことになる。

 だからある組織が誕生した。


 神秘隠匿組織パンドラ。


 『思い』から生まれたアバターを、核となった自らの精神で制御することができる者と、その協力者によって結成された組織だ。

 パンドラはアバターの引き起こす事件を積極的に解決し、一般人に被害が及ばないようにするとともに、情報操作により事実を隠蔽し、世間に混乱を引き起こさないようにしていた。

 また、同時にアバターに関する研究も行っている。

 アバターは、何時、何処で発生するか分からない。それは突発的だ。

 しかし、研究により以下のことははっきりしている。

 一つ、文明の発達した国で発生し、未開の地域では発生しない。

 一つ、アバターが一体発生すると、連鎖するように数体のアバターが近い地域で発生する。

 一つ、アバターの所持者は、相手が隠そうとしない限り、他のアバターの存在を第六感的に感じることができる。


 パンドラという組織の発祥はヨーロッパであるが、以上のことから現在は世界各地に支部を置いており、もちろん日本にも存在する。



「それが、あなた方ですか?」

「そう、わたしたちはパンドラにおいて、アバターの引き起こす問題に対し直接的に介入して治める機関“ネメシス”日本支部に所属している。わたしはアバターを持たないが、こっちの日比野がアバターを持っている。わたしは本部と連絡を取り合うなどして、彼の補佐をしている」

「やはりそうなんですね」

 鏡谷は先ほど久鎌井が白騎士のような夢を見るのかと尋ねたとき、否定した。そうであれば、自分と同じ力を持っているのはこっちの男だろうと思っていた。


 久鎌井は日比野と紹介された男の後頭部に視線を移した。そして、ちらりとバックミラー越しに表情を窺うが、初めて顔を見たときから、表情は変わっていない。

 一見して、異様な空気を纏った人間だった。その眼は細く鋭いが、瞳に感情の色は薄い。何より目立つのは、顔立ちからすれば二十前後に見えるのに、髪はまばらに白髪が生え、その量は全体のおよそ半分だ。

 日比野は久鎌井が見ていることに気づいて視線をわずかに動かすが、すぐに戻した。

「君のようにアバターの夢を見る人間の事を、わたしたちは所持者というのだが、勇はアバターの所持者だ。」

「どんなアバターなんですか?」

 日比野の持つ空気のせいで聞きにくかったが、久鎌井は思い切って尋ねてみた。

「それは、今日の夜にでも話をしよう」

「夜?」


「ああ、ここからが本題だ……黒い蜘蛛について知っているかい?」


「え? あ、はい」

 久鎌井は大きく頷いた。

「最近君が市内を駆け巡っていたのは、黒い蜘蛛を探していたからだね?」

「知っていたんですか?」

「さっきも言ったじゃないか。君の行動を観察させてもらっていたと、それにアバターは他のアバターを感知できる。ただ、それが誰なのかははっきりしないがね。ただ、今ここらで動いているアバターは君と、綾香くんだ。綾香くんは基本的に公園から動くことはしないから、動き回っているのは残りの君だということになる」

「じゃあ、黒い蜘蛛はアバターじゃないんですか?」

「いや、アバターだよ。ただ、最近は出てきていないようだな。だが、巷で噂されているように、黒い蜘蛛――我々は“アラクネ”と呼んでいるのだが、例の女子高生殺害事件は、ヤツの仕業だ」


 久鎌井は衣が言っていたことを思い出す。およそ人の手によるものとは思えない傷を負い、女子高生が殺されていたらしい。その事件のことだろう。

「ヤツは殺人をする前後で現れるようになる。そして、前に二つの事件を起こした、最初の事件は十月、二回目の事件は二月に起こっている。そろそろ活動する可能性があるのではないかと、我々は睨んでいるのだ」

「そうだったんですか」

「それで、この地域を一ヶ月ほど前から集中的に見張っているが、やつの代わりに君の存在に気づいたわけだ……そこでだ、君にも“アラクネ”を探すのに協力して欲しいのだ」


「協力って、一体何をすればいいのですか?」

「簡単なことだ。夜はアバターとなって、我々と一緒に“アラクネ”を探して欲しい。理由は二つだ、さっきも言ったように、アバターは相手が隠そうとしない限り他のアバターを感知できるが、判別はなかなか難しい。綾香くんは隠そうとしているから非常に感じ取りにくい。それに、感じたとしても公園から動く気はない。もちろん、アラクネは気配を隠そうとする気はない。あとは君が側にいてくれれば、我々はすぐに“アラクネ”を判断できる。もう一つの理由は、“アラクネ”のアバターとしての力は未知数だ。もしかしたら、強大かもしれない。共に戦う力が欲しいのだ。どうだい。久鎌井くん?」

「え?」

 バックミラー越しに、鏡谷と久鎌井の眼が合った。

「そうですね……」

 久鎌井は即答できず、視線を逸らした。


「君は、最近“アラクネ”を捜すために市内を走り回っていたのだろう? それならば我々と行動した方が、効率がいい。それに君はアバターの所持者になって日が浅い。いろいろ教えられることもあると思う」

 鏡谷の言ったことは、納得できるものであった。

「そうですね。でも」

「どうした?」

「僕は、白騎士の夢を見るときもあれば見ないときもあるんです。だから毎日行くというのは、多分できません」

 久鎌井は、毎日白騎士になることが出来るわけではなかった。確かに二日連続で白騎士になることもあったが、これからもできるとは限らない。

「君が、アバターの存在を認知し、受け入れた今、アバターになる確率はこれまでより高くなるだろう。そして、君が白騎士を構成する思いと同じものを強く抱いているのならば、アバターの夢を見ることになる。恐らく、二日連続で白騎士になったのは、“アラクネ”から街の住人を守ろうとする思いが強かったからだろう。慣れてくれば、自由自在さ、花住綾香のように」

 久鎌井が綾香の顔を見るが、彼女はそっぽを向いたままだ。


「しかし、それでもまだなれないかもしれないな。そんな君にこれをあげよう」

「?」

 そういって鏡谷が差し出したのは、小瓶入りの錠剤だった。

「それは安定した眠りを誘うものだ。雑念を持たない、クリアーな眠りはアバターとの同調の第一歩だ。これを使ってみるといい。大丈夫、常習性はないよ」

「はい」

 久鎌井はそれを受け取った。

「とういうことは、わたしたちの提案を受け入れてくれたと解釈していいね?」

「……はい」

 久鎌井は小瓶を握り締めて、改めてはっきりと頷いた。



 — * — * — * —



 その後、久鎌井は家の近くで車を降ろされた。

「ありがとうございました」

 久鎌井は頭を下げた。

「こちらこそ」

 鏡谷が答える。日比野は車乗っているときも、今もずっと前を向いたままだった。綾香は久鎌井よりも先に自宅に送られていた。


「そういえば、花住さんとはいつから知り合いだったんですか?」

 久鎌井は、車内でずっと気になっていたことを口にした。綾香がいるときは、彼女の反応が怖くて聞くことができなかったのだ。

「ああ、わたしたちは、“アラクネ”の調査を始めてからだよ」

「わたしたちは?」

「調査と監視を行う機関“プロメテウス”の人間が、彼女がアバターの所持者となった際に接触し、今回我々が君にしているように、いろいろと説明したようだ。特に他者に害をなしていなければ、“プロメテウス”が、“アラクネ”のようにすでに害をなしていれば“ネメシス”が接触することになる」

「そうなんですか」

「あとは、本人から聞いた方がいいだろう」

「そうですね」

「じゃあ、夜に」

「はい」

 窓が閉められ、久鎌井は車が遠ざかって行くのを見送った。

「さて」

 スマホを取り出し時間を確認すると、もう午後六時だった。

「夕飯の支度を始めないと」

 そうして、久鎌井はしばしの日常に戻っていった。



 — * — * — * —



 寝る前に、久鎌井は鏡谷からもらった薬を飲んだ。

 手のひらに隠れる大きさの小瓶に入った錠剤。

 鏡谷の話では、寝る前に一錠飲むだけで安定した眠りに誘われ、白騎士――アバターという存在になることができるらしい。


 久鎌井は正直なところ半信半疑だったが、ベッドに入って寝返りを数度繰り返すうちにあっという間に眠りに落ちた。


 気がつけば、久鎌井は白騎士になっていた。

 これで三日連続だった。

 今まで一度もこんなことはなかった。ということは、あの薬には鏡谷が言った通りの効果が間違いなくあるのだろうと、久鎌井は実感していた。

 そんなことよりも、今日は鏡谷とこの状態で会う約束をしている。待ち合わせの場所は公園、時間は午前零時。今の時間が何時なのか分からなかったが、公園に行けば時計があるはずだと、久鎌井はさっさと公園に向かった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る