第3章 エンカウンターズ・オブ・ジ・アンノウン ー③

五月十二日  金曜日



 いつも通りの朝。

 母親と妹を起こし、家事をする。

 いつも通りの登校。

 通いなれた通学路を行く。

 それらは、久鎌井にとっては、何らいつもと変わらない一日の始まりである。

 しかし、それはあくまで表面的な話であり、彼の内面的には決していつもと同じではなかった。


 久鎌井は、花住綾香のことを考えていた。

 今までは、ただのクラスメイト。元同じ部活の人間。たまたま一年時も同じ組だった少女。だから、彼でも珍しくが名前を覚えているだけ。それだけだった。


 しかし、今は違っていた。


 自分と同じく、不思議な“夢”を見ている少女。

 久鎌井は白騎士として、綾香はアルマジロとして、夜の街に姿を現している。

 一昨日、久鎌井は初めてそのことを知り、彼女から話を聞くことに躍起になってしまった。その結果、彼女に失礼なことをしてしまったことを、彼は悔いていた。彼女は邪魔をするなといったのに、久鎌井はそれでもしつこく彼女に食い下がり、彼女の体に青痣が残るほど強く掴み掛かってまでも、話を聞き出そうとした。


(……最低だな)


 頭の中で今までの経緯を振り返ると、ため息しか出てこなかった。

 この不可思議な現象を、同じように体験をしている仲間を見つけた喜びはまさに異次元だった。しかし、それでも少女の心に土足で踏み入るような真似をしていいはずがない。

 あまりにも冷静さを欠いていたと、久鎌井は深く反省していた。


(どんな反応をしたもんか……)


 クラスメイトである以上、嫌でも顔を合わすことになる。申し訳ない気持ちでいっぱいの久鎌井としては、まさに合わす顔がないといったところだ。普段からたいして顔なんか合わしていないのだから、いつも通りにすれば問題ないはずなのだが、意識し始めてしまうとそれが出来ない。

 もう一度しっかりと謝罪をすれば、すっきりするのだろか……

(しかし、謝ってばかりでも彼女は困るかもしれない)

 頭を悩ませながら、久鎌井は歩を進めた。

 校門が近づくにつれ、次第に自分の歩幅が狭くなっているのを感じる。

(とりあえず……そうだ、挨拶だ。しっかりと挨拶をしよう)

 いつもクラスメイトとして挨拶くらいは交わしている。

(まずは、自然に)

 周囲に人がいないときにでも、「昨日はごめん」くらいは言いたいところだ。


 それにしてもと、久鎌井は思う。


 ここまで、自分が家族以外の他人に関わるのはどれくらいぶりだろうか。

 花住綾香もそうだし、沢渡衣についてもそうだ。

 いつも家族のことを第一に考え、他人との係わりを希薄にしていた久鎌井にはとって、それは新鮮なことだった。

(悩むのは嫌だけど……よし!)

 久鎌井はようやく腹を据えた。重かった足取りも普段と同じに戻る。

 校門に入ると、昇降口に向かう途中の綾香の姿が目に入った。

「おはよう」

 久鎌井は少し足早に近づくと、できるだけわざとらしく見えないように、しかしながら丁寧に声を掛けた。


「おは――げ」

 彼女は笑顔で振り返るが、声の主が彼だと分かると、あからさまに表情を一変させた。


「お、おはよう」

 久鎌井は挫けずにもう一度声を掛けるが、彼女はそっぽを向いて昇降口へと消えていった。


 周囲には多くはないものの人はいた。それでもなお、彼女はあからさまな態度を隠そうともしなかった。

 取りつく島もないとはこのことだった。



 — * — * — * —



 学校は学び舎。他の生徒にとってどうかは知らないが、久鎌井にとっては間違いなく勉学の場である。授業を疎かにするわけにはいかない。意中の人が気になって授業に身が入らないような青少年とは一線を画す久鎌井は、しっかりと勉学に励んでいた。


 とはいえ、久鎌井の席は綾香の左後方。黒板を見ようとすると彼女の姿が目に入ってしまう。おかげで彼女のことを完全に意識の外に出すことはできなかった。


 昼休みもいつも通り衣との食事となったもの、会話も弾んだとはいえなかった。

(どうしたものか……)

 久鎌井は基本的に一人でいることをよしとしていた。家族のことで手一杯になり、他人と仲良くなろうと努力をしたことは、正直なところなかった。

(人と仲良くしようとするのは、難しいんだな)

 それは、いわゆる馬が合わないという性分の話なのかもしれないし、ただ、出会いが最悪だっただけなのかもしれない。しかし、現状では綾香にとって久鎌井は顔も見たくない相手であることは間違いないだろう。

 そんな後ろめたさがあるからか、久鎌井は恒例となった衣とのお弁当タイムでも、昨夜のことは話さなかった。


 昼休みが終わり、久鎌井が教室に戻る。自分の席についてしばらくするとチャイムがなり、午後の授業が始まるのだが……


 黒板を見れば嫌でも目に入る綾香の姿がなかった。


 ぽつんと存在する空席は、主のいないことを声高に主張している。

「先生、綾ちゃんがいません」

 クラスメイトの一人が声を上げた。

「ああ、早退と聞いている」

 ただ一言、教師は返しただけだった。

 そうか、早退か。

 クラスメイトの誰一人としてそれ以上のことを考えなかった。

 体調が悪くなったのだろう。そういうこともある。

 皆は特段気にした様子もなく、授業は淡々と進んでいった。


 しかし、久鎌井はその理由が何なのかとても気になっていた。

(まさか、早退してまで俺の顔を見たくない、などということはないよな)

 それは考え過ぎで、意識し過ぎだと分かっているものの、朝の綾香の表情を思い出すと、そんな卑屈な発想が思い浮かんでしまう。

 かといって、今何かできるわけでもない。久鎌井は気持ちを切り替え、授業に集中した。



 — * — * — * —



 授業が終わると、久鎌井はそそくさと帰り支度を始める。

 久鎌井には今から、家族のためにしなければならないことが山のようにある。

 まずは、今日の夕食を決めて、買い物に出かけなければならない。

 綾香のことで頭を悩ませるにしても、それは夜までおあずけだ。

 夜は夜でさっさと寝てしまうので、白騎士にならなければ、明日の朝まで頭を悩ませることはない。


 久鎌井は鞄を手に教室を出た。

 そして、靴を履き替えようと下駄箱に手を入れると、中に一通の手紙が入っていることに気がついた。


「……」

 ラブレターか?

 下駄箱に思いのたけを綴った恋文を入れる。古いドラマなんかにありそうな展開だ。

 久鎌井の頭の中にそんなイメージが一瞬浮かんだが、すぐに一笑に付した。

(そんなわけはない)

 授業はまじめに受け、成績は悪くはないものの、特段突出したころのないのがこの久鎌井友多という人間だ。彼の名前を知らないクラスメイトもいるくらいには存在感はない。

 それでも、久鎌井にラブレターを送る人間は零ではないかもしれない。しかし、彼はそんな期待を抱く気など毛頭なかった。期待を抱けば、そうでなかった場合の痛手が大きくなる。そもそも、忙しい彼には、恋愛をする暇はない。

(とはいえ、冷静に対処しよう)

 久鎌井は綺麗に折り畳まれた手紙をまじまじと眺めた。


 封筒は白色で、シンプルなものだった。

 女性のしたためたラブレターであれば、もっと可愛らしい封筒に入れるだろう。封も糊でしているだけで、女性らしいシールなども使用していない。ぱっと見たところ、差出人の名前もなければ、宛名もない。

 これでは自分宛てかすら怪しいものだと久鎌井は思った。中身を確認するしかないかと思い、開けようとするが、他人に見られて変な勘違いをされても嫌なので、さりげなくトイレの個室へ移動した。

 もし違う人宛であれば、その人の下駄箱に入れてあげるべきなのだろうか、そんなことを考えながら久鎌井は封を開けた。


『例の“夢”について話がある。神楽橋の下まで来られたし

                                花住綾香』


 中に入っていた手紙にはそう書かれていた。

 妙に達筆で古風な文面と、それに反して名前だけは女の子らしい綺麗な文字で書かれている。


(何だこれは?)

 それが手紙を読んで感じた第一印象だった。

 内容だけ見たら、それは彼にとってはとても望ましいことであった。あれだけ自分を毛嫌いしていた彼女が、“夢”について話をしてくれるらしい。しかし、それはあくまで文の内容を鵜呑みにするならばだ。むしろ久鎌井はその内容を理解できなかった。


 この手紙ははっきり言っておかしかった。サインと文章の筆跡がまったく違うのだ。しかも、綾香は早退している。久鎌井にこの手紙を残した上で。

(何故だ?)

 久鎌井には疑問しか湧いてこなかった。名前のサインが綾香のものであるのならば、文章の筆跡は明らかに別の第三者のものだ。

(花住さんは、その人物と一緒にいるのだろうか?)

 疑問が不安に変わる。花住綾香を人質にとられているかのようだ。

(何かあったのか?)

 さっぱりわからないが、神楽橋に行かないという選択肢はなさそうだ。

 久鎌井はそう意を決すると、手紙を鞄にしまってトイレを出た。



 — * — * — * —



 市街の西を流れる大きな川がある。小城ノおぎのがわだ。

 小城ノ川には橋が三本架かっている。河川敷は広く、下流では休日に親子連れがボール投げをしたりして遊んでいる。

 神楽橋は一番上流側の橋で、河川敷も最も狭い。なので、一番人気が少ないところでもあった。

 学校から歩いて二十分。久鎌井は目的の場所に辿り着いた。


 土手を降りると、橋の下に人影が見えた。


 人影は三つ、そのうちの一つは天ヶ原高校の制服を着ている。それが花住綾香だということは、久鎌井の目にも分かった。あと二人は何者か……


 久鎌井は歩みを緩め、目を凝らした。綾香以外の二人は、男が一人と女が一人だった。二人ともスーツを着ているようで、女の方はタバコを銜えている。その後ろで、綾香はいつもの笑顔の仮面を外し、不満そうに腕を組んでいた。


 スーツの女が久鎌井に気づき、携帯灰皿を取り出してタバコを消した。

「久鎌井友多くんだね」

 タバコで喉がやられているのか、擦れてはいるが若々しい声だった。女性が化粧をすると、せいぜい二十台とか三十台とか、大きな幅をもってしか年齢を特定できないなと久鎌井は思ったが、自分の母親よりは若そうだと感じた。

「……はい、そうですけど」

 久鎌井は返事をすると共に、後ろにいた綾香に視線を投げた。

「ふん!」

 一瞬だけ目が合った彼女は、すぐに不機嫌そうに鼻を鳴らしそっぽを向いた。


 目の前の女性は、久鎌井に対して決して威圧的ではなく、どちらかというと友好的で、薄く笑みを浮かべている。綾香にも特に外傷らしきものはなく、ただ不機嫌なだけだ。

 彼女が危険に巻き込まれているわけではなさそうなことは分かり、久鎌井も少しだけ安心したが、逆に状況がまったく掴めなかった。

「これは、どういうことなんですか?」

 シンプルに聞くしかない。幸い相手から強い敵意は感じない。久鎌井は緊張から心臓が高鳴るのを隠しつつ、手紙を鞄から取り出して女性に尋ねた。

「ああ、すまない。彼女には協力してもらったのだ。君とゆっくり話をするために」

「……何の話でしょう?」

 一歩近づく女性。久鎌井は思わず半歩下がりながらも踏み止まり、相手に先を促した。

「もちろん、君の見ている“夢”の話だ」

 その言葉を聞いて、彼の心臓が跳ねた。

 確かに手紙には、例の“夢”について話がある、と書いてあった。

 綾香が危険に巻き込まれたのかどうかということが一番の心配であったが、その書かれた内容にまったく期待していないわけではなかった。

「あなた方は……白騎士について知っているのですか?」

 期待と不安。二色の感情に声が震えそうになるのを抑えながら、久鎌井は尋ねた。

「ああ、知っているが、焦るな。まずは自己紹介しよう。わたしの名前は鏡谷(かがみや)望(のぞみ)。後ろの男は日比野(ひびの)勇(いさむ)。神秘隠匿組織、通称パンドラに所属するものだ」

「パンドラ……?」

 それ自体は聞いたことのある言葉だった。久鎌井は子供の頃に読んだ本に書いてあった内容を思い出す。


 パンドラはギリシア神話に登場する罪深き女性の名前、むしろ彼女が開けてしまったとされる“パンドラの箱”の方が有名だ。

 神に開けてはならないといわれたその箱を、彼女は好奇心から開けてしまい、中に詰まっていたあらゆる災いの根源を世界に撒き散らしてしまった。


「あなたたちもあの夢を見るんですか?」

「わたしは見ないが、君の見る“夢”がどんなものであるのかは知っている。さて、ここからの話は長くなるし、人に聞かれても困る。車の中で話がしたいのだが、構わないかな?」

「………」

 久鎌井は頷くことができず黙ってしまった。


 今聞いた話だけで相手を信用する気にはなれなかったが、その話の内容は魅力的だった。目の前の鏡谷という女性にしても、それほど悪い人間ではなさそうにも思えた。しかし、彼女が浮かべている笑みは、優しげにも映るが、同時に不敵にも見えた。

「君は、知りたかったのではないか? 自分の体験している不可思議な出来事が、一体何なのか」

 彼女の言葉に揺れ動く心の天秤。

 理性はそれを見つめながら、どちらにも傾くことが出来ず――

「あまり時間がかかると困るんですが」

 久鎌井は、曖昧に答えることしか出来なかった。

「時間はとらせないつもりだ、せいぜい一時間くらいか」

「………」

 鏡谷と名乗った女、後ろにいる男、そして膨れっ面の綾香と、久鎌井は次々に視線を移した。


 警戒心が拭い去れず、回答に詰まったそのとき――


「ああ、もう!」

 突然、綾香が我慢できないといった様子で声を上げた。

「あんた! わたしにいろいろ教えろとか言ってたじゃない! この人たちがすべて答えてくれるわ! さっさと車に乗っちゃいなさいよ。わたしは、もういいわよね、わざわざ早退までさせて……帰るわよ!」

「待ってくれないか綾香くん」

 鏡谷はそういって綾香を呼び止めた。そのやり取りや今までの様子から、久鎌井にも彼女らが既知の間柄であることは知れた。


「そうだ、綾香くんも一緒に来てくれないか? それなら、君も少しは警戒心を解いてくれるのではないか?」

 鏡谷は、久鎌井にそう尋ねた。しかし、彼が答える間もなく、綾香が割って入った。

「わたしは嫌よそんなの。面倒だもの」

「君は一応人質だ。人質は人質らしく言うことを聞いてはくれまいか?」

「嫌よ! あいつがここに来たんだから、わたしの役目は終わりよ!」

「いや、彼が最後まで話を聞いてくれてようやく君の仕事は終わる。そういう約束じゃなかったかな?」

「あいつと話がしたいから協力してくれと言われただけよ」

「まだ、肝心な話は出来ていないのだが」

「それでも、話が出来たことには変わりないでしょ。そこではわたしはお役御免よ!」

「そう硬いことを言うな。そんな屁理屈ばかり言っていると、いじわるばあさんになってしまうぞ?」

「何ですって!」

 顔を真っ赤にして声を上げる綾香と、それを涼しげに受ける鏡谷という女性。

 その光景を見てか、不思議と久鎌井の中にあった緊張感も不信感も薄れていった。

 そうなれば、好奇心が勝る。


「分かりました。行きます」

 そして、久鎌井は二人に割って入るようにして答えた。


「そうか、君が話せる人間で助かったよ」

 まだ文句を言い足りない様子の綾香を尻目に、鏡谷は久鎌井に振り返って頷いた。

「でも、花住さんも一緒にお願いします」

「! ちょっと、何あんたまで勝手なこと言ってくれちゃっているのよ!」

 綾香が、今度は久鎌井の方を向いて大声を上げる。

 ますます嫌われてしまいそうだと久鎌井は思ったが、つい口走ってしまった。まだ不安がないわけではない。そうなれば、やはり知人がいてくれた方が、安心感が生まれる。

「決まりだな。さあ、行こう」

 鏡谷は後ろの男、日比野勇に眼で合図を送ると、土手を登っていった。


「ちょっと、待ちなさい! 話を勝手に進めるな!」

 その後姿に叫びかける綾香。

「………」

 綾香は頭から湯気が出そうなほど、いや、陽炎すら立ち昇りそうなほど怒っていた。


 久鎌井はそんな彼女の後姿を眺めていた。

「もう! ………何よ」

 彼の視線に気づいた綾香は、少しばつが悪そうに呟いた

「いや……」

 久鎌井は、思わず苦笑していた。

「何よ! 言いたいことがあるならいいなさいよ!」

 綾香は、そんな久鎌井の反応に対し、不満の大声を上げる。

「別に……ただ、嘘をついていたんだなと思ってさ」

 彼女は何も知らないといっていたが、彼女らと知り合いである以上、今から彼女らが久鎌井に話す内容を知らないわけがなかった。

 しかし、久鎌井はそのことで笑っているわけではない。彼女の、久鎌井の視線に気づいたときの反応や、今の大声を上げている様子が、まるで悪戯をして咎められている悪ガキのようで、微笑ましかったのだ。そんなことは、口が裂けても言えないが。

「そうよ。何か悪い!」

 ふん! っと、彼女は勢い良く顔を背けた。

 その様子もまた、同じように見えたが、これ以上笑わってしまったら、彼女が怒りを抑えられなくなってしまうかもしれないと思い、久鎌井は何とか自重した。


「君が嘘をついていたのは……理由があるからだろ?」

「……え、えっと……そ、そうよ」

 久鎌井の一言が思い掛けなかったのか、綾香の怒りの勢いは削がれ、戸惑いながら頷いた。

「自分の貴重な時間を邪魔されたくなかった。っていう理由がさ」

 初めてあった夜、翌日の屋上、そして昨日の夜の彼女の行動を見ていれば、彼女にとって“夢”の時間がどれほど大切な、至福の時間であるかは、久鎌井にも分かる。

「知りたがっていたのは僕の勝手だからね。君が嘘をつくのも仕方がないさ」

 物事の価値は人それぞれだ。


 それに、良く考えてみれば、久鎌井にも彼女が嘘をついた気持ちも分からなくもないのだ。

 久鎌井にとっては、何よりも家族が優先だ。だから、学校に行く前には母と妹を起こし、朝食と弁当を準備する。そして、学校が終われば、真っ直ぐ家に帰って、さらに家族の世話をする。

 友人を積極的に作ろうとしない理由の一つは、間違いなくそれである。

 かつて、もう辞めてしまった部活で聞かれたことがあった。『あまり友人を作らないね?』と。そのとき久鎌井は、『あまり人と話したりするのが得意じゃないんだ』そう言った。

 そうやって嘘をついた。

 それは、彼女のついた嘘と、どれほど違うのだろうか?


「たださ、これはお願いなんだけれど……」

 久鎌井は彼女の顔を真っ直ぐに見つめた。

「鏡谷さんの話を聞くのに付き合ってくれないか? さすがに、今日初めて会った人間と車なんて密室で話すのは緊張してしまうし、不安だ。いてくれると助かる」

「………え、まあ、そうね」

 綾香は、久鎌井の言葉にどう反応していいのか困っているようで、曖昧に頷いた。

「ありがとう。それじゃあ行こうか」

 久鎌井は、彼女の気が変わらないうちに考え、さっさと歩き出した。

「え、ちょ、ちょっと、待ってよ!」

 綾香は、戸惑いながらも、彼の後ろを追った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る