第2章 ボーイズ・デイリー・ライフ ー②
二ヶ月ほど前からだろうか、久鎌井は変な夢を見るようになった。
その夢の中で彼は白い甲冑を着ていた。漫画やアニメや映画で見たことのあるような白い西洋鎧だ。しかも、全身を覆うフルプレート。
しかし、周囲の景色は中世の街ではなく、いつもの良く見る現代の街の風景――というか、自分が暮らすこの街だった。
だが、彼は違和感を覚えなかった。夢ならば、そんなこともあるのだろうとそれぐらいの感覚で受け入れていた。
そんなことよりも、彼の心は妙な高揚感と開放感に満たされていた。端的に言って非常に気分が良かった。
だからそのまま、その姿のまま街を散歩した。
突然、背後から悲鳴がした。
彼が驚いて振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
彼女は、目を見開いてこちらを見ていた。間違いなく自分の異様な姿を目の当たりにして悲鳴を上げているのだと分かり、直感的に『まずい!』と思った瞬間に、目が覚めた。
それが始まりだった。
起きてみればベッドで寝ている。やはりあれは夢なのだ。久鎌井はそう思った。しかし、あまりの臨場感に、胸の動悸が止まらなかった。
その後も久鎌井は数度同じような夢を見た。彼も不安を感じないわけではなかったが、あの夢の中で得られる充実感は、それを掻き消して余りあるものだった。
そしてある日。
また同じような夢の中、久鎌井は白騎士になって歩いていたがその途中、不審な男につけられている女性を見つけたのだ。
女性はしきりに後ろを気にして、恐怖を感じたのだろうか、だんだんと早足になっていく。
しかし、背後の男もそれに合わせて歩く速さを変えている。
間違いなく、女性は男に追われていた。
女性が耐え切れなくて走り出すと、男も走り出した。そのとき、白騎士姿の久鎌井は衝動的に、男の前に立ち塞がるように飛び出していた。
「ぎゃ!」
男は白騎士の体にぶつかると、情けない声をあげて倒れた。
その声に、女性も何があったのかと振り返る。
男は顔を上げ、いつの間にか現れた眼前の存在に驚き、目を見開いた。
「ひっ、な、何だてめえ」
男は怯えた声を上げ、白騎士を指差した。白騎士は男の手首を掴んで捻りあげて男の背後をとると、そのまま頭を地面に押さえつけた。
久鎌井は別に護身術を習っているわけではないが、自然と体が動いていた。夢であればそんなことがあっても不思議ではない。むしろこんな恰好になっているぐらいなのだからそれぐらいは当然というような、よく分からない万能感すらあった。腕力も強いのか、相手は全く動けない。今の久鎌井にとっては、まさに赤子の手をひねるが如くであった。
「警察呼んで!」
久鎌井は少し大きな声で、離れたところで見ているはずの女性に指示を出した。しかし、女性はいつの間にかいなくなっていた。それも当然だろう。助けてもらったとはいえ現れたのは白い鎧を着込んだ不審人物なのだから。
久鎌井は仕方なく男のポケットを探り、出てきたスマホを使って警察を呼んだ。そして、相手の上着とベルトを使って両手両足の自由を奪うと、警察が到着する前にその場を去った。
そして翌日。ニュースはこう言っていた。
『正義の白騎士現る!』と。
その時に、久鎌井はあの体験が夢ではないことということを知ることになった。
― * ― * ― * —
「夢じゃない?」
「ええ、僕が見ていたものは、現実に起こっていたものだったんです」
昼休み、久鎌井は約束通り弓道場に来て、沢渡衣に話をしていた。
ちなみに、家族以外の人間の前で『僕』の一人称を用いるのは、久鎌井の昔からの癖だ。
「そうよね、目撃情報もあるし、噂になってるし、ただの久鎌井くんが見ている夢じゃないわけよね。だったら何だろう? 夢遊病みたいなもの?」
衣は久鎌井の話を笑い飛ばすようなことはしなかった。彼女はその白騎士を目の当たりにしているのだ。笑い飛ばすことなどしたくてもできないだろう。
だからできうる限り現実的に考え、純粋に疑問を彼に尋ねた。
「僕が寝ている間に勝手に起きて、それを着込んで徘徊しているってことですか? 僕の部屋にあんな西洋甲冑はありませんよ。それに夢遊病だったら、意識のない間に勝手に動いてるはずですよね? 僕はしっかりと意識がありました。あの白騎士は、僕の意思で動いています」
「そうよね。それにあの白騎士は、中に誰も入っていなかった。あなたもいなかった」
白騎士の中は空洞。人が鎧を着込んでいるのではなく、鎧そのものが動いている。
久鎌井にはそれは分からなかった。あの時の自分は隙間なく鎧に覆われていたし、自分の顔を見ることはできない。ニュースで語られる目撃談で知り、その事実に彼も驚いた。
「だから僕は、幽体離脱みたいなものなのかなと思っています」
自分の魂が、夜になって肉体を抜け出し、鎧騎士の姿になって夜を徘徊する。漠然としたイメージでしかないが、久鎌井はそう思うようにしていた。
「なるほどね。そっちの方が非現実的なりに筋が通っている気がするわね」
うんうん、衣も数回頷いた。
「でも、そんな夢を見るようになって――いや夢じゃないな。なんて言えばいいのか分からないけど、眠ると自分が白騎士になっているなんて、不安じゃないの?」
夜になると自分は幽体離脱して、鎧騎士の姿になった魂が徘徊している状況は、どう考えても普通じゃない。それが自分の身に起こったらどうだろうかと考え、衣は少し背筋に寒気が走った。
「まあ、実際、最初は怖かったです。単なる夢かなと思っていたときは良かったけど、夢じゃないと分かったときなんて、本当に不安でした。毎日毎日白騎士になっている夢を見るわけじゃないですが、そんな状態になっている自分は一体何なのか、この先どうなってしまうのかと怖い気持ちもあります。でも……」
「でも?」
「楽しいんですよ」
「へ?」
久鎌井の一言に、衣は素っ頓狂な声をあげた。
「白騎士になっているとき。僕の心は何かから解放されたというか、自由になったというか、何でもできるような気持ちになるというか、細かいことはどうでも良くなってしまうんですよ」
「……そうなんだ」
「それに最近、うまいこと姿を消せることに気がついたんです」
「姿を消す?」
「ええ、そのときは何も触ることができません。意識がそこにあるだけで何もできなくなってしまいますけど……移動することはできます。そうなると本当に幽霊みたいですね。ただ、そうやって姿を消して、移動して……」
「悪者を退治しているのよね」
「……はい」
久鎌井は頷いた。
ニュースになってからも、久鎌井は白騎士になる夢を依然として見続けた。以前のようにただ楽しいと歩き回っているわけにはいかないと考えたものの、その時に彼を満たす高揚感は、そんな考えを吹き飛ばしてしまった。
白騎士になったときの自分には力がある。先程の話でも、大人を簡単にいなせるほどに。そして、その体は見た目どおり鎧だ。何をされても大抵は痛くない。
姿を消せることにも気が付いた。だから不必要に人に姿を見せないことも可能になった。だったら姿を消しながら街を徘徊し、誰かが困っていたり、悪いやつらに絡まれていたりすると、姿を現して助けに行く。それも可能だと考えた。
だったらこの前のように、誰かを助けることが出来る。
それではただのヒーロー気取りだなと、久鎌井は思う。だが、それでもいい。
普段の自分ではやりたくてもやれないことを、白騎士のときのやれるのだ。
助けた相手は、白騎士の姿を見てびっくりしてしまう。そして、逃げるように去っていってしまうこともある。しかし、それでも誰かを助けることができる、そんな力を持っているのは快感だった。
久鎌井にとって、決して普段の生活が苦なわけではない。母や妹の世話をすることは自分の役割であり、それで得る充実感も十分にある。しかし、その不可思議な体験で得られる快感は、やめがたきものであった。
「そうやって、先輩も助けましたね」
「う!」
久鎌井の一言に、衣の顔が見る見るうちに赤くなっていった。
「それ、忘れてくれないかしら?」
ただ、毅然とした態度を保とうとはしている。
「はいはい、分かりました」
久鎌井はそんな衣の様子がおかしくてつい笑ってしまった。
この人は、普段はとても美人で、凛として、大人っぽいが、昨日久鎌井が白騎士であることを認めたときの喜び様や、犬が苦手で、なんでそこまでと思うが、顔を赤くして必死で隠そうとしているところなどをみると、意外と子供っぽいところがある人なのかもしれないなと、久鎌井は思った。
「返事は一回!」
「はい」
「よし! っと、もう時間ね」
衣が壁にかかった時計を見上げると、久鎌井もそれに倣う。気が付けば昼休みももう終わりの時刻となっていた。
久鎌井は、朝から憂鬱な気持ちを抱えていたわけだが、話し始めてしまえばとても楽しい時間を過ごすことができた。今までこの話を打ち明けられる相手はいなかったのだ。もちろん家族にだって話してない。だから、話ができて良かったなと、今では思えていた。そして、これで終わるのが少し寂しい気がした。
「じゃあ、教室に戻りましょうか」
「そうね、続きはまた明日」
「へ?」
と、衣の言葉に、今度は久鎌井が素っ頓狂な声をあげる番だった。
「どうして?」
彼女が知りたがっていたことは答えたはずだ。だとしたらもう会う必要はないだろう。
「何でも何も、聞きたいからよ。他にもあるんでしょう? 噂では何人か助けてるみたいじゃない? よっ、正義のヒーロー!」
「か、からかわないでくださいよ」
「ま、せっかく面白そうな話が聞けるんだから、いろいろ話してもらいたいわね。ということでまた明日。あ、来なかったらどうなるか分かってるわね?」
「は、はい」
「じゃあね」
そう言い残すと、衣は先に弓道場を出た。
彼女が見せた自分をからかうような笑みと、明日からも衣のような美人と話ができるという幸運を前に、久鎌井は少し呆然としてしまった。
正気に戻してくれたのは予鈴のチャイムだった。
「まずい!」
久鎌井はあわてて弓道場を飛び出した。
その様子を眺めている者がいた。
四つの影が、それぞれがそれぞれの感情に体を揺らし、走り去る久鎌井友多の姿を見ていた。
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