第2章 ボーイズ・デイリー・ライフ ー③
――キーンコーンカーンコーン――
終業のチャイムがなると、久鎌井は脇目も振らずに帰り支度をして、そのまま家路についた。
彼にはこれからやることがたくさんある。
洗濯物を取り込み、買い物に行って、ご飯炊いている間に軽くリビングとキッチンの掃除。夕飯を準備したら、残りの時間で宿題を片付ける。
(兼業主夫は忙しい……)
と独りごちては見たものの、いつものことで慣れっこだった。久鎌井にとっては別に苦ではない。他人に聞こえない程度の鼻歌交じりに夕飯は何がいいか考えながら歩いていると、いつの間にか校門を出ていた。
久鎌井が校門を出て最初の交差点に差し掛かるころ、何やら声が聞こえてきた。
「ふふふ、ひとーつ、一目あったその日から」
一人の女子生徒が、電信柱の影から姿を現した。
「ふたーつ、ふと思うのはあなたのこと」
続いて二人目。
「み、みっつ、みんな先輩のファンです!!」
さらに三人目。
「……最後、ちょっと語呂が悪い」
そして、四人目。
「ちょっとそこ、水差さないの!」
最初に現れた少女が、最後に出て来た少女をビシッと指差した。
「今ここで口上を止めたら、まるでわたし達が久鎌井くんの追っかけをしている後輩みたいね」
「「なにおー! なんでわたしらがこんな朴念仁の追っかけしなきゃいけないのよ!」」
最後の少女のツッコミに、二人目の少女も加わり、二人して鼻息を粗くしている。
「ま、まあまあ、落ち着きましょう」
一番背の小さい三人目の少女があわあわとしながら二人をなだめた。
騒がしい少女四人組だった。
それぞれの関係性と性格のよくわかる掛け合いとともに現れたのだが、久鎌井はあまり関わりにならない方が良いと判断し、目を伏せてその場を去ろうした。
「そうだった。とにかくコノヤロー!」
しかし、そうはさせぬと四人が立ちはだかった。
「は、はい、何か用ですか?」
久鎌井はできるだけ冷静に対応しようと振る舞った。
それにしても、昨日に引き続いて、二日連続で帰宅途中に、しかも女性に声を掛けられるなど、人生初ではなかろうか。
(これが女難ってやつかな……)
久鎌井は内心で苦虫をかみつぶした。
「あたしらは非公認沢渡先輩親衛隊!」
「ゆ、ユリレンジャーです」
「言いたくなかったら、言わなくてもいいと思うよ。レンジャーはやっぱ五人じゃないと。いや、
良く見れば久鎌井にも見覚えのある四人だった。沢渡衣のファンで久鎌井と同じクラスメイトたちだ。昨日彼が昼に弓道場に行かなかった理由の一つは、彼女らがこちらを警戒し、睨みつけるように動向を伺っていたからである。その時の久鎌井にとっては丁度良いい言い訳になったのだが。
「ふふふ、唖然としている君に自己紹介してやろう。わたしはユリレッド!」
「わたしはユリイエロー!」
「わ、わたしはユリピンク、です!」
「あなたは本当に人がいいわね……」
「あ、こいつはユリブラックね」
「うわ、勝手につけられた」
顔は隠さずなぜか本名を隠す四人。クラスメイトなのだから顔を名前も割れているはずなのに。要はノリなのだろう。
ただ、久鎌井は彼女らの顔に覚えていても、名前は覚えていない。
「とにかく、わたしたちはあなたに聞きたいことがあるのよ!」
ユリレッドが久鎌井にビシッと人差し指を向けた。
「は、はあ」
久鎌井も、彼女らが非公認沢渡先輩親衛隊と名乗っている以上、その内容は何となく察しがついている。
(逃げたい……)
しかし、肉食獣のように目を光らせている四人(のうちの二人)から逃げ出す隙が見つからなかった。
「あ、あのですね。お昼、弓道部で沢渡先輩と何をされていたんですか?」
勢いのあるレッドとイエローの激しい追及が始まるのかと思いきや、彼女らは睨みを聞かせているだけで、一番おどおどしているピンクが久鎌井に尋ねた。
「どう? この子に聞かれると答えずにはいられないはずよ」
にやりと笑いを見せるレッド。
「そう、そしてこの子のあどけない子犬のような瞳には嘘がつけないはず」
自信満々に頷くイエロー。
「わざわざ説明する必要はないよ」
そして、冷静にツッコミを入れてくれるブラック。
「うっ……」
確かに久鎌井の目の前に立ったピンクの潤んだ瞳は強烈だった。
ぶりっ子ではなく、純心な子供のように澄んだ瞳が久鎌井を捉えて離さない。
邪険には扱いづらい雰囲気にのまれながらも、久鎌井は何とか思考を巡らした。
「ああ、だから先輩が言ったとおり、退部した理由を話していたんだ」
「それは嘘だと思う。久鎌井くんが退部してから一ヶ月も経っているもの」
レッドとイエローにツッコミを入れるだけだと思っていたブラックからの思いがけない指摘が入った。
勢いがある二人に振り回されているピンクと、ブレーキ役のブラックかと思いきや、ちゃんと志は同じくしているようだ。
「ふふふ、この子に嘘をつくとはいい度胸じゃない?」
「早く言わないと、久鎌井くんはいたいけな女の子を騙した男として皆の間に知れ渡ることになるわよ!」
「え、わたし騙されたんですか?」
人聞きの悪いイエローの言葉と、心底信じていたピンクの素直な反応が、久鎌井の罪悪感をかき立てる。
(……どうしたものか)
四人は追及を止めるつもりはなさそうであった。初めはただのお馬鹿な二人組とお世話係と思いきや、なかなかチームワークのいい仲良し四人組ではないか。
しかし、久鎌井としても本当のことは言えないし、とはいえ変な勘ぐりをされても困る。腹をくくって切り抜けるしかない。
「ああ、ちょっと言い難いんですけど……」
久鎌井は一瞬感じた心苦しさを切り捨て、ここば誤魔化すことにした。
「僕さ、進路の相談していたんですよ」
「「「「進路?」」」」
ユリレンジャーの声が見事に重なった。
「僕が弓道部をやめた理由は、家事をするためなんだ」
「え、久鎌井くん、家事してるの?」
ピンクが尋ねてくる。
「うん、うちは父親がいなくて、母親は働いているから、家事は僕の仕事なんだ」
久鎌井は少ししんみりした様子で返答する。
もちろん演技だ。
「それで、沢渡先輩は優しいから」
久鎌井の言葉に四人がうんうんと頷いた。
触れにくい話題から入って自分のペースを作り、さらに四人の羨望の対象である沢渡衣を褒めることでさらにこちらのペースに引きずり込む。それが久鎌井の算段だった。
「退部の理由を知って心配してくれて……僕もさ、沢渡先輩って頼りがいあるから」
またもや四人がうんうんと頷く。
(よし、良い反応だ)
久鎌井は心中で小さなガッツポーズを見せながら、話を進める。
「つい、気になっている進路のことというか、県内の大学にどれぐらい学力がいるのかを聞いていたんだ」
「そうなんだ。ごめんね変なこと聞いてごめんね」
純朴少女であるピンクは、すっかり久鎌井の話を信用したようだった。
「いや、別にいいよ」
「「えと、あと、変なこと聞いて、すいません」」
こうなってはレッドとイエローも意気消沈せざるをえない。
完全に久鎌井の思惑通りだった。
「それじゃあ、ごめん、家のことがあるから」
そして、久鎌井は速やかにその場を去った。
「なかなか策士ね。久鎌井くん」
ブラックの呟きは久鎌井の耳にも届いたが、彼は振り返ることはせずにそのまま歩き続けた。
― * ― * ― * —
久鎌井家の夕食は少し遅い。
母親が仕事から帰ってくるのを待つため、必然八時くらいになる。
兄が用意をした料理を前に、妹は空腹を耐える表情は見せるものの、文句は言わずに待っている。ほどなくして母親が帰ってきて、手を洗ってすぐに食卓に着く。
「「「いただきまーす」」」
三人が揃ってご飯を食べることを大事にしたい。それは久鎌井の思いであった。それを妹も母親も理解している。
これは絆だ。この行動そのものが、絆の表現なのだ。
「あー、疲れたー」
いつもの母親――唯奈の口癖だ。
「あのね、今日ねー……」
妹――舞奈は今日あった出来事を話す。
「ふーん、それで?」
兄――友多は基本的に二人の聞き役。
普段の久鎌井家の食事風景。
父が守ってくれた、そして、久鎌井がこれからも守っていきたいと思う家族の姿だ。
今日も楽しい夕食の時間が過ぎていく。
この時間は、久鎌井友多にとって幸せの時間であった。そのためであれば、自分の時間がなくとも、家事と勉強に追われることになろうとも、苦にはならなかった。
食べ終われば久鎌井は食器洗いに精を出す。
舞奈は、夕飯が終われば風呂の時間だ。
「はあ……」
「あれ? 珍しいね友ちゃん」
「え?」
「ため息」
「ああ」
久鎌井は、母親に言われて初めて自分がため息をついたことに気がついた。
「何かあったの?」
「いや、別に何もないさ」
「そうなの? 何かあったらどーんと母に相談しなさいよ」
唯奈が胸を張って拳で叩く仕草をみせる。
「まあ、今日は珍しく色んな人と話をしたから、疲れたのかも」
思い返してみれば、衣と話をしたし、あの四人組とも話をした。あまり積極的に他人と関わろうとはしない久鎌井にしては珍しいことだ。疲れていても不思議はない。
「そう? たまには母にも相談して欲しかったなあ」
唯奈は不貞腐れたように頬を膨らませた。
「大丈夫。俺の心配はいらないさ」
「……たまには心配させなさい」
「え?」
「別に、何もないならいいのよ」
「ぷはー、いいお湯だった」
そのとき、舞奈が風呂から上がった。
「わたし、風呂入ってくるわ」
「うん」
こうして今日も、久鎌井家の夜が更けていく。
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