第1章 ガール・ミーツ・ナイト ー③

 授業後。

 衣は鞄を持って教室を後にすると、そのまま昇降口に向かった。

 途中、弓道部の部長の姿を見つけ、ついでに声をかけた。


「部長、ごめん、今日ちょっと外せない用事があるから部活休むね」

 ああ、と曖昧に頷いている部長を尻目に、衣はずんずんと歩き続けた。


 階段を下りて、昇降口で靴を履き替え、そして、たどり着いたのは校門。

 そこで、朝に教室前でしたのと同じように、久鎌井を待ち続けた。

 しかし、朝のようにただ待つだけではなく、自分の姿を見た途端に逃げ出す可能性もあるので、衣はより注意深く目を光らせていた。


 それほど長い時間待つこともなく、久鎌井は現れた。


 そして衣の想定通り、久鎌井は彼女の姿を見つけると、立ち止まり、振り返ろうとした。何となく、何かを思い出して引き返すような素振りで。


「久鎌井くん!」

 衣は大きな声で呼び止めた。


「――っ! ……何か用ですか?」

 久鎌井はビクリと反応すると、ゆっくりと衣に向き直った。


「お昼、弓道場に来て欲しいって言ったはずなんだけど」

 衣は彼の傍まで駆け寄った。


「ああ、それは、クラスメイトに捕まってしまったんですよ。朝のあれは何だったんだって。ほら、うちのクラス、先輩のファンの子がいますから」

 自分は悪くないんですよ。と久鎌井は答え、しかし衣とは目を合わせようとはせずに、その場を去ろうと歩き出した。


「そうなんだ。それは悪いことしちゃったわね」

 衣も、今朝は自分でもやり過ぎたと思うところはあったため、その可能性もなくはないだろうと思うが、八割がた嘘だろうと思っていた。


 何にしろ、今は逃がすつもりはないと、衣は足早に久鎌井の隣に並んだ。


「いえ、ただ、何のお話だったかは知らないですけど、先輩は人気があるんですから、今だって一緒に歩いていると、変に勘違いされますよ」

「まあ、そう思う人にはそう思わせておけばいいのよ」

「ところで部活はいいんですか?」

「それよりも、昨日の夜の話を聞かせて欲しいわね」

 足早に歩く二人は、不自然な歩行速度のまま校門を出た。


「昨日の夜? 何の話ですか?」

 久鎌井は依然として衣と顔を合わせようとはせず、前を向いて歩いていた。それは話をしたくないという意思表示なのだろうと、衣は思うが……

「あら、とぼけるのね。昨日わたしを助けてくれたじゃない?」

 衣は怯むことなく話し続けた。


「助ける? 僕はそんなことをした覚えはありませんよ」

 久鎌井も負けじと、速度を緩めずにずんずんと歩き続けた。

 気が付けば校門を出てから一個目の信号を越えていた。


「じゃあ、あの白騎士は何なの? あなた、関係あるんでしょ?」

「白騎士? ああ、あの噂話の? 先輩会ったんですか?」

「ええ、そうよ」

「へえ、凄いじゃないですか! あれ、単なる都市伝説じゃなかったんだ」


 ようやく久鎌井が衣の方を向いた。

 驚きの言葉と表情を見せているが、衣の眼にはわざとやってみせているようにしか見えなかった。


「久鎌井くん、とぼけても無駄よ。悪いけど、あなたの行動からわたしは確信してるの」


 久鎌井は徹頭徹尾とぼけようとしている。だから、一つ一つ慎重に追い詰めて、彼本人の口から認めさせる言葉を引き出さなければならない。衣はそう意気込んでいる。そのための道筋は、彼女の頭の中にすでにあった。


 二人は交差点を右に曲がった。


「え? 僕が何かしました?」

「今日の朝、わたしの顔を見て立ち止まったのはあなただけよ」

「へ? あ、そんなことで疑っているんですか? それは偶然でしょう」


 それがどうかした? とういう久鎌井の態度。言葉は丁寧なものだから、若干小馬鹿にされたような感じがするが、それを苛立ってしまってはいけないと、衣は冷静に話を進めた。


「確かに、上級生の人間が、下級生の階にいるのは不自然だけど、それでもみんな驚きはしても立ち止まらなかった。つまり、あなたの驚き方は異常なの」

「……偶然ですよ」

「それに、声だって似てたわ」

「声の似てる人だっているでしょう? というか、あの白騎士は言葉を話すんですね」


 頑として認めようとしない久鎌井ではあったが、不自然な歩行速度も、ほぼ衣の目を見ようとしない態度も、むしろ肯定しているようなものだと衣は感じていた。

 久鎌井は認めさえしなければ良いのだと高をくくっている。とすれば、そろそろ伝家の宝刀を抜くときだ。


「照れたときの仕草」


「え?」


「鼻を掻くの、癖でしょ?」


 去年に新入生歓迎会としてみんなでカラオケに行ったとき、自己紹介を兼ねて当時の一年生が歌を一曲ずつ歌ったのだが、そのとき久鎌井も歌い、それがなかなかうまかったもので、みんなから盛大な拍手をもらっていた。


 そのとき、久鎌井は照れて鼻の頭を掻く仕草を見せたのだ。


「それは……」

「どうなの?」

「ともかく僕は知りませんよ」


 久鎌井はまだ認めようとはしなかった。そして、歩行速度がさらに速くなった。もう、衣では小走りにならなければ追いつけないような速度であった。


(もうひと押しだ)

 彼を追い詰めている。そんな手ごたえのある態度だと、衣は感じていた。だが、重要なのは彼の口から認めさせる一言を引き出すことだ。彼が言い逃れできないように。今ここで。


「逃げるの?」

 安っぽい挑発の言葉だ。今はそれでいいと衣は思った。苛立ちを引き起こすために。


「ええ、別にそうとってもらってもかまいませんよ」

 久鎌井も努めて冷静を装っている。足取りが緩む様子はない。


「ふうん」

 しかし、衣も引き下がろうとはしない。


「………」

「………」

 早歩きとしては限界の速度に、久鎌井の息が上がってきている。

 それでも、小走りしてでも衣は引き離されないようについてきている。

 もはや根比べだ。

 しかし、あと少し。そんな予感が衣にはあった。


「ああ、もう!」

 久鎌井が立ち止まり、振り返った。


「先輩の家向こうでしょ! 何でついてくるんですか!」

 そして、そう叫んだ。


「あれ?」

 衣が意地悪くにやりと笑みを見せた。


「どうしてわたしの家の場所知っているの?」


「あ」


 久鎌井が顔をゆがませた。『しまった』という心の叫びがそこには刻まれていた。


「わたしを昨日、家まで送ったものね?」

「………はあ」

「お姫様抱っこしてね。結構恥ずかしかったのよ?」

「………」

「それに最後のお辞儀は、ちょっと気取りすぎじゃなかった?」

「……悪かったですね」

 肯定する久鎌井の態度。ようやく待ち望んだ言葉に、衣は飛び上がるようにして喜んだ。


「やっぱり! あなたあの白騎士と関係あるんだ!」


「でも、他言無用ですよ」

 久鎌井は疲れた表情で呟いた。


「あれなんなの? ねえねえねえ?」

「簡単に説明するのは難しいですから、また明日にでもお話しますよ。僕もう家そこなんで」

 久鎌井が指差した先には白い小奇麗な家が建っていた。


「わかったわ。明日のお昼、弓道場で話を聞かせてよね」

 はしゃぐ衣の姿は、弓道部での副部長としての姿とはかけ離れ、小中学生のようだった。

「もし約束を破ったら、あなたの教室の前で『なんでわたしを捨てたの!』って大声で叫ぶから」

「分かりましたから、それは勘弁してください」

 久鎌井の顔が青ざめる。昼休みにクラスメイトにつかまったという彼の言は、決して嘘ではなかったのだ。

「それじゃあね」

 衣は上機嫌のまま振り返った。

「はい、それじゃあ」

 久鎌井も自分の家に体を向けた。


「あ、そうだ」


 しかし、久鎌井は何かを思い出したように声をあげて振り返った。


「どうしたの?」


 衣も振り返った。


「犬に気をつけてくださいね」


 少年の口端に意地悪な笑みが浮かぶ。


「な!」


 今度は衣が顔を赤くする番だった。


 犬が苦手なことに関して、衣は何となく恥ずかしくて周囲に隠していた。子犬など、確かに写真で見ればかわいいと思わなくないのだが、近づくことが出来ないし、吠えられようものなら身がすくんでしまう。別に恥ずかしがるようなことではないのだろうが、自分が思っても見ない反応をしてしまいそうで、他人には見られたくないし、知られたくないことであった。


「そ、それ、他言無用よ!!」

「はい、分かりましたよ」

 思いの外、衣が良い反応を見せたことに気をよくしたのか、口箸に笑みを浮かべ、久鎌井友多は家の中に入っていった。


「くっ、あの子、学校では大人しくしてるけど、いい性格してるじゃない」

 最後の最後、一矢報いられたというのに、衣の顔には笑みが浮かんでいた。鼻歌交じりにスキップしたくなるほどの心地よい感覚を胸に、衣も家路に着いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る