第4章 アンユージュアル・ホリディ ー①

五月十三日  土曜日。



 久鎌井はいつも通りに目を覚ました。そして、目覚まし時計が鳴るのを待ってからそれを止めるために手を伸ばした時、全身に痛みが走るのを感じた。

「っっ!」

 昨晩の日比野と戦いの結果だろう。

 分かりやすく言えば筋肉痛のような感じだ。全身をどの方向に動かしても、痛みを感じる。しかし、気合を入れれば動かせないほどでもない。


 日比野との戦いの後、ほどなくして解散となり、疲れていた久鎌井はその場で白騎士としての姿を消した。そうすれば精神は寝ている体のもとへ戻ることになる。

 姿を消す直前に鏡谷から『ゆっくり休みなさい』と声をかけられたのだが――

(そう言われてもね)

 心の中でそう一人ごちると、久鎌井は気合で体を動かした。


 土曜日はもちろん休日だ。学校は休み。しかし、彼にはやらなければならないことがある。

 それはいつも通りのこと。

 妹には部活動があるため、起こさなければいけない。そして、彼女のためにご飯を作らなければならない。他にも掃除に洗濯、家事は休日こそ忙しいこともある。


 ちなみに、母親に関しては、特別な用事がない限り好きなだけ寝かしておく。


 しばらく動いていると、体のだるさは若干残っているが、体の痛みはさほど気にならなくなってきた。

 妹が家を出て、やるべき家事が一段落してしまうと、流石の久鎌井にも少し時間の余裕ができる。


 とはいえ、主夫というのは時間に拘束されてしまう。昼には昼飯、夜には夕飯の準備があるからだ。外で友人と遊ぶといったことは、彼にとっては容易なことではない。だから彼には友人がいない。それに、二年に入ってからは授業の予習、復習をしっかりしているため、空いた時間にやれることといっても限られてしまうのが実情ではあった。


 では空いた時間に何をするか?


 必然、家の中でのレクリエーションになるが、テレビゲームは少しだけ楽しむというのがなかなか難しい。気が付けば長い時間が経ってしまう。テレビはこちらの都合では止められないし、映画のDVDを借りてきても、余計に長い時間拘束されてしまう。

 そんなこんなで、彼が半ば消去法で行き着いたのが、読書であった。本ならば自分のペースで、手軽に楽しむことができるし、中には一冊読みきらなければ気がすまない人もいるだろうが、久鎌井は好きなときに切り上げて、時間になれば家事を始められる。


 読書が、彼にとって唯一の趣味と呼べるものかもしれない。


 だから久鎌井は、保冷バックを持って食料品を買い出ると、ついでに街の図書館に寄った。普段であれば適当にその場で物色するのだが、今日は目当ての本があったので、それを探して借りた。


 買ってきた食材をしまってから、借りてきた本を読もうと食卓に腰を下ろしたところで、母親――唯奈が起きてきた。

「友ちゃん、おなか減ったわ」

 彼女は大抵、腹ペコになって起きてくる。

 久鎌井が時計を見ると、もう十一時半近かった。

 彼も、そんなに時間が経っているとは気づいていなかった。目当ての本を探すのに少し時間がかかってしまっていたようだ。

「ああ、分かったよ」

 久鎌井はすぐに母親の朝兼昼の食事作りを始めた。


 土曜の昼はいつも簡単な麺類になること多い。今日のメニューは焼きうどんだ。

 ソースとめんつゆを合わせた特製焼うどんは、唯奈も舞奈も大好きなメニューであった。


 唯奈と自分の食事が済むと、時間差で舞奈が部活から帰ってきた。

 彼女の食事を作らなければいけなくなり、後片付けも済ませて、久鎌井が再度自由になったのは午後一時すぎであった。


 今度こそゆっくり読もうと、久鎌井は二階の自室に入ると、借りてきた本を机の上に置いた。

 それはギリシア神話の本だった。

 神秘隠匿組織、通称パンドラの人間であるという鏡谷の話では、あの白騎士はアバターと呼ばれる存在らしい。そして、アバターにはギリシア神話の登場人物の名前が与えられるという。


(俺のアバターは、鏡谷さんから“ペルセウス”と名づけられた)


 ギリシア神話は、小学校のときに学校の図書館で読んだ記憶はあった。だから、組織の通称でもあるパンドラの箱の話など、有名な物語であれば、久鎌井は知っていた。

 ペルセウスについても、メデューサを退治した英雄という程度には知っている。

 とはいえ、記憶はあいまいだった。

 鏡谷の話では、アバターの力というのは、その神話の英雄と能力の点で奇妙な一致が見られることがあるという。


(白騎士は不思議な盾を出すことができた。そこから彼女はペルセウスと名づけた)

 ギリシア神話をしっかり読めば、自分のアバターとやらについて、少し理解できるかもしれない。そう考えて、久鎌井はこの本を借りてきたのだ。


 せっかく読むのだから、子供向けの簡単なものではなく、少しは専門的な本を読もうと借りてきた本は、パッと見たところ辞書かと思えるような外装だった。

(見るからに大人向けだな)

 それを見て、久鎌井は満足そうに頷いた。


 今や、調べるだけならスマホで十分な時代ではあるが、本には読破する満足感というものがあり、久鎌井はそれが好きだった。

 中を開けば、当然のように文字は細かい。


 とりあえず、表紙を開き、目次からペルセウスの項目を探した。

 しかし、なかなか見つからない。


 まず、天地の生成から始まって、いろいろな神様の話が続く。それだけで全体の半分くらいを占めている。

 次に神様と関係があった王家の話があって、ようやく英雄の名前が出てきた。

 ペルセウスは、様々な英雄がいる中で、最初の章にあげられていた。

(よし!)

 久鎌井は心の中で気合を入れて、そのページを開き、読み進めた。


「…………」

「…………」

「…………」

「………………………………………………………読みにくい」


 ギリシアのどこどこの州の何とかいう国の某という王様が、ある神様の子供の孫に当たる何たらという神様との間に子供をもうけて、その子がまた何とかいう国の王子と……


 といった感じで地名や人名のカタカナがたくさん出てきて、久鎌井には何が何やらさっぱり分からなかった。

「見栄張らずに、子供向けの本借りてくれば良かったな……」

 一体、誰に対して見栄を張ったのだかと、自分に対して呆れながらも、とりあえずペルセウスという名前を眼で探し、そこから前後を読み、何となく出生を把握したところでさらに読み進めていった。



 ある国の王様が一人娘に子供ができないことを悩んで、神殿で神様に尋ねた。そうして下った神託は、娘から生まれた子が将来自分を殺すだろうということだった。

 そこで王様は殺されてはたまらないと、可愛い娘を誰も手の届かない高い塔に閉じ込めてしまった。

 しかし、ギリシア神話で一番有名な神様、オリュンポス神族の最高位であるところの大神ゼウスがその娘を気に入ってしまった。ゼウスは黄金の雨に変じて、彼女の元を何度と訪れた。

 そして、娘は身ごもった。赤子の鳴き声を聞きつけた王様は、我が子を殺すわけにはいかないので、二人を海へと流し、その命運を天に任せたのだ。


 その娘の名はダナエ、そして子供が、ペルセウスだった。


 彼らはたまたまある島で漁をして暮らしている兄弟に助けられた。兄弟はとても優しく、親切で、ダナエとペルセウスを匿い、養ってくれた。そこでペルセウスはさすがゼウスの血を引く子供だけあって、雄々しく育ち、立派な成人となった。

 そんなある日、島の長が美しいダナエに目をつけた。

 だが、ダナエは長の申し出を断っていた。それでも長はしつこかった。息子のペルセウスが、母親を長の魔の手からどうにかこうにか守っているような状態が続いた。


 しかし、それでも長が手を引くことはなかった。彼はあるとき、祝宴へ進物を募った。近くの小島の主たちを呼び寄せたのだが、その中にペルセウスの姿もあった。

 他の者たちはそれぞれ馬を用意することになったのだが、居候の身であるペルセウスにそんなものを用意することはできなかった。しかし、若かったペルセウスはかわりにメデューサの首を持ってくると大見得をきってしまった。


 それこそ、長の思う壺だった。


 メデューサは髪の毛が蛇で、口が耳まで裂けた醜悪な女の怪物だ。しかもその眼を見たものは石に変えてしまうという魔力で有名だった。長は、ペルセウスがそのまま帰ってこないことを期待していた。


 ペルセウスは頭を悩ませてしまったが、そんな彼を見て神々は味方した。有名な戦女神アテナは彼をメデューサの居場所まで導き、ギリシア神話のトリックスターである神ヘルメスは姿を隠せる兜と空を飛ぶ靴を与えた。


 そしてメデューサの住処まで辿り着くと、アテナはメデューサを直接見ないようにするために、鏡のように表面を綺麗に磨き上げた盾――アイギスの盾を与え、ヘルメスはメデューサの首をはねるための鎌剣――ハルペーを与えた。

 そうしてようやくメデューサの首を切り取ったペルセウスは旅の途中で出会ったニンフからもらったキビシスの袋にその首をしまい、母の元に急いだ。


 彼が島に着くと、長がダナエとの結婚式を強引に挙げようとしていた。

 彼は母の前に歩み出ると、長にメデューサの首を見せた。すると長も含め、その首を見たものたちが石に変わっていった。

 こうして、ペルセウスは母を救った。



 これが有名なメデューサ退治の話だ。

 途中、天を支える巨人アトラスを石にしたり、国のために生け贄にされかけていたアンドロメダを助けるなどの逸話もある。


 ちなみに、ペルセウスの祖父、ダナエの父がどうなったかというと、ある国で開かれた競技会にペルセウスが参加し、円盤投げを行ったところ、その円盤が見物人の老人の頭に当たり、死なせてしまう。その老人こそ、たまたま来ていた彼の祖父だったのだ。


「盾と、家族思いか……」

 それらの点が久鎌井とペルセウスとの共通点ではないかと、鏡谷が言っていた。

(だとしたら俺のアバターにはまだいろいろ力があるのだろうか?)

 ペルセウスはいろいろなものを神様やニンフからもらっていた。空とぶ靴、姿を消す兜、首を刈る鎌剣、メデューサの首を入れる袋。


「あ」

 思い当たる節がある。白騎士――ペルセウスになっているとき、姿を消せていたのはその兜の力なのだろうか……

「じゃあ、やっぱり他にも……」

 白騎士には、まだまだ力が隠されていると考えていいのかもしれない。


「ペルセウスか……」

 母のためにメデューサの首を持ち帰った英雄。

 しかし、良く考えてみると、彼は母を守るために、長を初めとする多くの人間を石に変えてしまった。石に変えてしまったということは、殺してしまったと考えていいだろう。

 久鎌井は思う。

 もしも、母が誰かに危害を加えられそうになっていたり、妹が誰かに酷い眼に合わされそうになっていたら、自分はどうするだろうかと。

 相手に、メデューサの首を突きつけるだろうか……。


(突きつけるだろうな……)

 久鎌井は迷いなくそう思った。絶対に相手を許さないだろう。


(そっか)

 心の底で騒ぐもの。

 守りたいという『思い』。

(これが、俺の核なんだ)


「友ちゃ~ん、何かおやつな~い?」

 一階から、舞奈の声が聞こえてきた。

「ああ、カステラがある。いま紅茶を淹れるよ」

 久鎌井は本を閉じると、部屋を出た。

 時刻は三時を回っている。女性陣のおやつを用意したら、そのあとは洗濯物を取り入れないといけない時間だ。


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