第7章

 「………ドさん、メイドさん!」

 体を揺する振動で目が覚める。

 どうやら眠っていたようだ。

 とても懐かしい夢だった。

 ゆっくり目を開けると愛くるしい小さな妖精がいた。

 正確に言えば、少し前から同じく暮らし始めた幼女がいた。

 「どうかされましたか?」

 「あのね、ママがパパを壁に突き刺しちゃったの! それでね、泣きながら引っ張ってるんだけど、抜けないし、パパ意識がないのか動かないし………。だから、助けてほしくて!」

 なにをしたらそうなるのか。

 新たな同居人を私の後継として連れてきて月日が流れた。

 後継のメイド見習いとして、連れてきてすでに3カ月経つというのに仕事がなくなるどころか、さらに増えている気がする。

 あの子事態は、仕事をしているときは別に問題ない。だが、こと特定の人物のこととなるとすべての仕事を放り出してまるで引っ付き虫のように抱き着きに行く始末である。

 なぜだか、昔の自分を見せられているようでむずがゆい。

 「どうすれば治るのか………。頭が痛い。」

 「私もママの行動には思うところがあるけど………。」

 頭を抱えていた時に、小さな妖精さんがこちらを凝視していた。

 スミレ、と名付けられた彼女は愛くるしいほど可愛らしく、また聡明でもあった。

 「どうされました?」

 「メイドさんはどうして髪を染めているの?」

 「!? どこか塗り残しでもありましたか?」

 定期的に黒に染めていた。周期的にもまだ期間があったはず………。

 「ううん。なんとなくわかるから。」

 ………この子の感覚はどこまでもずば抜けているようだ。

 おそらく、相手の行動一つ一つが手に取るようにわかるのだろう。

 「もともと、きれいな、朱色でしょ? それなのに黒い色で染めるのはもったいないなあ、って思ったの。」

 「………これはケジメのようなものです。」

 「………?」

 「私たちは昔、一人の人生を犠牲にしました。………スミレ様、トロッコ問題は知っていますか?」

 「一人を救うのか、五人を救うのかって問題?」

 「それです。その結果、私たちは一人を犠牲にしました。まさに功利主義といっていいでしょう。」

 この問いは、今でも私の中で渦巻いている。


 本当に正しかったのか。

 他の選択肢はなかったのか、と。


 今となっては意味のない問であることには変わりないが、無駄に思考は反芻する。

 「その人はまさしく聖人と呼ぶのにふさわしいと今でも思っています。分け隔てなく、多くの人を助け、自分の体を顧みないで行動し、死ぬことすら厭わなかった人でした。………私たちはそのやさしさに甘えてしまった。」

 「………。」

 「彼は、最後の力を使って、このコロニーの危機を救いました。しかし、最後の時に言ったのです。」

 今でもこの言葉は心を抉るような気持ちにさせられる。


 「もう少しだけ生きたかった、っと。」


 この言葉を聞いた人たちがどんな思いだったかはそれぞれだろう。

 だが、私にはひどく刺さるものがあった。

 他人のために最善を尽くし、多様なあり方を一人一人に示してきた人が、最後にかなわない願いをつぶやいたのだ。


 いや、このコロニー全員が彼を助ける行動をとれば、彼は生きていた。


 しかし、当時の人たちは彼に責任を背負わせて自分たちが生還する道を選んだ。それは私も同じだ。だが、彼にも彼の幸せがあったことを考えるとひどくつらいのだ。

 「その人、メイドさんにとって大切な人?」

 「いえ、身勝手な人です。勝手に助けて親代わりになって育ててくれた………バカです。例えるなら、あなたとパパのような関係だと思います。」

 「私はパパのことが好きだもん!」

 「ええ、知っています。私もその人が好きでした。止めるべきでした。しかし、それができませんでした。『みんながいるこの空間が返ってくる場所だから。ここが無くなるのは死んでるのと変わらない』と、言ったのです。その言葉を聞いた時に止める手段がなかったのです。後々になって、あの人がいない空間もありえないことがわかりました。」


 すべては過去の中。

 でも、懺悔せずにはいられない。

 せめて、

 「あの人の本当の子供である、真衣様を抱かせてあげたかったです。」


 死後、四乃宮静の妊娠がわかり、事件の後多くの人がお祝いに訪れ出産時には多くの人たちが涙した。

 しかし、全員、真衣様を抱くことができなかった。

 見殺しにした人の子供を抱く、その重みに耐えることができない、と。

 だから、私だけは抱き上げた。

 私のこぼれる涙が堰を切ったように流れ落ち赤子の頬を濡らしたのを今でも覚えている。

 「その人、愛されていたんだね。」

 少女から発せられる声は幼いが、それでも老年の慈悲を感じさせる声色だった。

 「人は死んだ後、忘れ去られることで本当の死を迎える。でも、その人は今もみんなの心に生きているんだね。だとしたら、忘れずに前を向いて生きていくことがその人のためなんじゃない? いつの日かその人を記憶する人たちが消えても、その人が残した子孫、意思、思想を伝えていくことで存続させていくことができる。だから、振り返ってもいいけど、歩んで語り継いでいくことがその人に対しての最高の恩返しだと思うよ?」

 この子は本当に子供だろうか?

 達観の極地に入っているように思える。

 それでも、心持は軽くなった。

 「ありがとう。」

 目の前にいる子を抱き上げて頭をなでる。

 「えへへ。」

 こうしているとただの子供なのに………。

 彼と同じく聖人のような包容力を感じてしまう。

 ………。

 「あなたは、聖人に成ろうとしてはいけませんよ?」

 「? どうして?」

 「聖人というのは、自分の人生を捨てて他人に尽くす人のことを言います。それがどんなに美しく見えても、やっていることは他人の尻ぬぐい、不条理の廃棄先であり自殺行為にほかなりません。」

 おせっかいでも、今のうちに釘をさす。

 「うーん? わかんない。」

 「なら、一つだけ覚えておいてください。あなたの人生はあなたの物です。決して他人が決めていいものではないということです。」

 その言葉の真意まではわからなくてもこの子なら過ちを犯すことはないだろう。

 私のように………。

 「それでは、ダメママのところに行きますか。」

 「うん!」

 そういって、立ち上がった後にふと自室の棚奥のコーヒーメーカーが目に留まった。

 「スミレちゃん。」

 「ん? なーに?」

 「今度、コーヒーの作り方を教えてあげる。」

 「コーヒー? パパが飲んでる黒いやつ?」

 「ええ、あの黒い飲み物のことです。」

 「うん! 教えて!」

 嬉しそうにはしゃいでくれるこの子を見ていると、おそらく彼もこんな気持ちだったのだろうと思える。

 「おいしく入れるコツは後々。ただし、入れる砂糖は角砂糖一つです。」

 そういって、彼女を抱えながら喧噪の日常に引っ張られる。

 思い出の品を大切にしながら。

 私はみんなと一緒に生きています。

 お父さん。

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