第6章

 道中、いろいろなところに奔走した後、事後処理として【特務隊 零】のみんなには蒔苗さん経由で指示を出していた。各自の任務遂行後、定時解散を命じて後のことを任せたけど心配になった。

 念のため、一度部署に顔を出したが、すでに全員帰宅した後だった。

 それもそうだ。

 時刻はすでに夜の10時を回っていた。

 腕の中で、モミジもスピスピと寝息を立てていた。

 僕も眠りたいが、今日はもう一つやらなければいけないことがある。

 これからこのコロニーで最も古参のお宅に住むことになっているのだ。

 いわゆる政略結婚というやつだ。正確には、コロニーの法律上、婚姻は十六歳になるまで、且つ向こうの家柄由来のルールとして二十歳になるまで不可能となっているので、それまで同棲しましょう、とのことだ。

 聞いた時には、耳を疑った。

 向こうには、何の得もないからだ。

 コロニーの政略結婚なら、御用家同士の結びつきの方がいいのでは?、と思ってしまった。まあ、向こうには向こうなりの思いがあるのだろう。


 本題に戻ろう。

 本来であれば、しっかりとあいさつをして、これからのことを話し合っていたことだろう。………現状、約束の時間を3時間以上過ぎている。

 連絡は入れたが、向こうの電話口の温度が下がったのは感じた。

 気まずかった………。

 昔、何度か顔を合わせたけど絶対零度感はあるんだよな。冷たい、というより凍てついている感じだ。例えていうなら、氷ではなくドライアイスみたいなものだ。

 さて、これからしなければいけないことを考えよう。

 まず荷物を回収すること。

 ………回収してから向かうとなると、今日の日付は越すことになるだろう。

 そのことを考えると肩にかかる重みが増した感じがした。

 そこで、ふと自席を見るとキャリーケースと置手紙があった。


 『香織さんから回収してきた。隊長のことだから、遅い時間にここに来るであろうと思ったから置いておく。それと隊長は、明日のスケジュールに午前休を入れておいた。申請はこっちで済ませておく。事後報告は明日の午後に聞く。 

                         以上     月下健吾。』


 健吾君………。

 どうやら行動パターンを読まれていたらしい。

 まあ、付き合いもそれなりに長いし、阿吽の呼吸というやつだろう。

 しかも、自分の出勤管理のボードには午前休となっていた。

 「健吾君、気が利いてるけど、それは過保護だよ。」

 実際、もう動けてるわけだし。

 確かに胸の中に異物感はあるけど、すぐに死ぬわけでもない。

 それに、

 「また守らなきゃいけないものもできたし。」

 腕の中で、眠っているこの子を保護すると決めた。

 昔、この手で彼女にそっくりなこの子を………。

 見たときに、これが因果か、と思ったほどだ。

 だから、決めた。

 この子がこれから生きていくための技能を授け一人でも生きていけるようにする。

 それが親となる責任だ。

 昔、自分の引き取り手に教えてもらったことだ。

 すでに零れ落ちた水は元の盆には返らない。

 今まで取り落としてきたものは数知れないが、それでも残ったものがこぼれないように最善を尽くす。今までも。これからも。

 僕の保護者である爺さんは、ずっと自分がやってきたことを嘆いていた。

 死ぬ間際まで、苦しみ続けた。

 それがコロニーのためだと信じて。

 それでも、一人でいるときによく泣いている姿を目にした。

 その役目を僕は引き継いだ。

 それを今でも誇りに思っているし、今後も難題だらけの道になると思っている。

 そして、今日最後の難関。

 「先方には、この子のことを、どう説明すればいいのだろう………。」

 どうにも、自分には格好をつけることは難しいらしい。

 格好のつけ方も教えてほしかったな。

 僕も保護してくれた爺さんのように、一人愚痴りたくなった。




 キャリーケースをガラガラ引きながら冷や汗はダラダラ流れていた。

 すでに時刻は夜23時を回っており、お叱り確実コースとなっている。

 行先は四乃宮邸。

 四乃宮家は代々コロニー3の医療、戦闘支援品の補填を担う御用家だ。

 そのご令嬢から自分に対しての指名を受けたのだ。

 当初、お断りを入れたのだが向こうの策略に嵌り、今こうして婿養子として迎え入れられる形となったのだ。

 実際、僕たちの保護者が1年前に亡くなったこともあり、僕だけで稼いではいるものの、僕と妹の生活は厳しいのが現実だ。四乃宮家の提示するいくつか条件として婿養子として来ることで兄弟を支援するという点が魅力的だった。

 また四乃宮家の当主が代替わりすることも要因の一つでもあった。

 選出された当主は、今年で19歳でありながらすでに両親や部下共に信頼が厚く、絵にかいたような善人だとか。

 前に会った時には、片方は笑顔の圧力が強い印象だったけど。

 そうこうしていたら、目的の家付近まで来た。

 「そろそろなはずなんだけど………。」

 「まだ?」

 いつの間にか、モミジは起きていた。

 腕からするするとよじ登り肩に脚をかけた。

 肩車だ。

 適応力早くない?

 お父さん、びっくりだよ。

 でも元気になってよかった。

 「もう少しのはずなんだけど………。」

 四乃宮邸には初めてくる。

 前は、四乃宮家が保有する仕事用の別宅には行ったことがあるけど、本家には初めてだ。

 なんでもこの住宅区の中でも大きいらしいから一目でわかるとは言っていたが―。

 見えているのは大きな公園みたいなところと、そこを取り囲むような柵のフェンスだけだった。

 「検索してみるか。」

 そういって、困ったときの道案内。

 アプリを起動して住所を打ち込む。

 すると、

  『目的地に到着しています。』

 そう表示されていた。

 いや、家見えんがな。

 もう一度打ち込むと。

 『いや、もうついてるって。』

 すごいため口で言われた。

 このアプリ、まさか学習機能でもついているのか。

 そう思いもう一度打ち込む。

 『目が腐ってるんじゃない?』

 罵倒された。

 だって、見えないもん。

 もう一度だ。

 『ワシがおもろいからって、楽しんどるやろ? こちとら暇やないねん、ホンマ。』

 一体、どこの出身の人だろうか。方言が入ってる。

 しかし、どうしたものか。

 アプリでも目的地が出てこないとなると………。

 そう思っていると、頭の上に載っていたモミジが頭を叩いた。

 「あれ!」

 「ん?」

 指をさしている方向を見ると旧世代のランタン。

 蝋燭に火をともすタイプのランタンを持ったメイドが立っていた。

 その方向に向かって歩き出すと、メイドさんも気が付いた。

 「夜分遅くにおそようございます、甲斐田様。」

 あれ?

 なにしてるの?

 「えっと。静さん? 何しているんですか?」

 「お初にお目にかかります。私、四乃宮家に仕えております。ビアンカと申します。以後よろしくお願いします。」

 いや、淡々とした説明、そして笑顔から発せられるその圧。

 間違いなく………。

 いや、ここは合わせるべきなのだろう。

 「あ、ああ。すみません、ビアンカさん。遅くなりました。その………、四乃宮邸がどこかわからなくて………。」

 「はあ。ここですが。」

 「?」


 「ですから、この敷地丸ごと四乃宮邸ですが?」


 え。

 このバカでかい土地丸ごとなの?

 この前まで住んでいたアパートと比較すると広すぎて目が点になる。

 「それにしてもトラブルが発生したとはいえ、今は深夜手前の時間。約束の時間も守れないとは。」

 「すみません。」

 もはや言い訳もない。

 そう思っていると、ため息を吐かれた。

 「そこは反撃の一つでもしたらいかがでしょうか。あまりにもあっけなさ過ぎて面白くありません。」

 楽しんでたの?

 もしかして遊ばれてた?

 「若いのですから、理不尽には言い訳ぐらいしても問題ありませんよ。」

 「いえ、社会人ですから。」

 「………つまらない人ですね。」

 ものすごいあきれられている。

 いや、これは彼女なりのやさしさなのだろう。

 気にせずに発言しても問題ないとの意図だろう。

 まあ、こちらの立場からすると難しいと理解してほしい。

 「それでそちらのお嬢様は?」

 やっぱり質問が来るよね?

 ここはストレートに言おう。

 ごまかすとややこしくなる。

 「娘です。」

 その言葉に一瞬、たじろぐしぐさをしたものの面白そうに頬を緩めた。

 「これはなかなか楽しめそうです。」

 緩めたのではなく、おもちゃを見つけた子供のような顔だった。

 そこで一旦区切り、ビアンカさんは持っていたランタンを空に掲げた。

 そこで初めて目の前に———邸宅が見えた。

 この暗さで全く気が付かなかった。

 「少々、お待ちください。主人を起こしてまいります。」

 「あ、いや。もう深夜ですし。あいさつなら明日の朝でも―。」

 「主人の要望ですので。」

 「はあ。」

 そこまで言われると、逆に断ることに抵抗が出てくる。

 「では、ここでお待ちください。」

 そういってビアンカさんは邸宅の大扉を開けて中に入っていった。

 「はあ、これは怒られるかな。」

 「ん?」

 「いやね、向こうはいわゆる貴族的な身分の人だからね。」

 「? でも敵意は感じないよ。さっきの人からもピリッとした感じはなかったし。それどころか、嬉しさがにじみ出てたけど。」

 そうだといいな。

 でも相手は大御所でしょ。

 はあ、なんでこんなことに………。

 そう思っていたら。

 邸宅内から散弾銃を乱射する乾いた音が何回も聞こえてきた。

 それに合わせて、悲鳴と逃げるようなバタバタといった音が聞こえてきた。

 「えぇ………。」

 状況が読み込めなくなってきた。

 ここ、四乃宮邸だよね?

 マフィア組織のアジトじゃないよね?

 フリーズしていると大扉をぶち破るように、とある人の登場だった。

 そして、目と目が合った。

 「え。」

 「あ、夜分遅くにすみません。」

 開口一番、口をポカーンと開けた人は背後のことなど一瞬にして忘れたのだろう。

 ………背後から近寄るメイドのことなど。

 バンッ。

 容赦なく背後からショットガンを打ち込まれ倒れこむドジっ子。

 「グヘッ。」

 当主に似つかわしくない声が口から漏れ、顔からは漫画並みのコメディを感じる。

 ものすごい顔芸だ。

 これは一種の才能かもしれない。

 まさか潰れた魚のような顔をここまで表現するとは………。

 い、いや。ここで何も言わないのは失礼か。

 「あ、あの。」

 「~ッ! お姉ちゃん! 痛いじゃない!」

 そういって、ご当主様が涙交じりに抗議の声を上げるもののメイド様は相変わらずどこ吹く風といった顔だ。

 「お嬢様。甲斐田様がお目見えになったら、起こすように言っていたではありませんか?」

 「言ったけど、誰がショットガン担いで起こせ、って言ったのよ!」

 「お嬢様からは絶対に起こすようにとのご命令だったので。」

 「銃声が目覚ましなんて聞いてないんですけど!?」

 「言っておりませんから。」

 残酷なほど綺麗な微笑みだ。

 そこで微笑まないでメイドさん。

 それにご当主様がまだご立腹ですから。

 「それに私が甲斐田さんに恥をかいちゃったじゃない!」

 いや、キャラ的に知っていたけどね?

 だが、ここで言うのはさすがに無粋だよね?

 成長したな、自分。

 そう自分に言い聞かせていると、

 「安心してください、すでに甲斐田様には円(まどか)様が馬鹿キャラであることは知っておいでです。」

 「ちょっと!」

 せっかくノータッチで行こうと思ったのに!

 しかも寝間着がジャージ………。

 僕の妹と比較するのもあれだが、せめてパジャマはいかがでしょうか、お嬢様。

 とにかく、この膠着した空間を何とかしなければいけない。

 そう思っていると、モミジがご当主様を指さして、

 「女子力0?」

 一部の時が止まった。

 まさか魔法以外で時を操るなんて我が娘ながら恐ろしい子!

 「くくく! 予想以上のコメントです。」

 メイドさんは絶賛失笑中。

 「うぅ。」

 ご当主は相当なダメージを受けたのだろう。

 地面にひれ伏している。

 いや、涙ぐんでいた。

 これはもう見てられないな。

 「あ、あの。」

 「ん?」

 もはや、誰が話しかけているのかもわからないみたいだけど仕方ない。

 「ハンカチ使いますか?」

 「ありがとぅ。」

 そういって目頭についていた涙を拭いたあと思いっきり鼻をかんだ。

 いやそれハンカチなんだけど………。

 粗方落ち着いたのか、ハンカチを折りたたんで再度こちらを見てフリーズした。

 「あ、あ、あああ。」

 どうしてそこで固まるのか。

 そしてメイド様。後ろで笑いをこらえてないで説明してよ………。

 「ビアンカ! せめて初回くらいカッコくらいつけさせてよ!」

 どうやら、僕の前ではかっこよく振る舞いたかったみたいだ。

 「お嬢様………フッッ。すぐ……バレることは………クッ…無駄ですよ、ハハハ!」

 最後、思いっきり笑ってますよ、メイドさん。

 これじゃあ、一生コントを見せつけられる。

 これはこれで面白いものがあるが、間に入るとしよう。

 「そろそろいいでしょうか?」

 その言葉で、二人の緩んだ空気は無くなった。

 その変わり、一方からは新しいおもちゃを見るような眼差し、一方からは泥にまみれながら体裁を取り繕うとしているかわいそうな人の雰囲気が感じられる。

 「えっと、本当に夜分遅くになってしまい申し訳ありません。甲斐田悠一、これからよろしくお願いします。」

 そういうと、ご当主様が慌てたようにあたふたして、

 「あ、あの! 全然、大丈夫です。いや、ほんと。だからそんなにかしこまらないで、ね? 無理を言って来てもらってるし。」

 「このように(バカ)当主も言っておりますのでお気になさらず。」

 「なんか今、余計なもの入ってなかった?」

 「気のせいです。」

 なんだ? 四乃宮家に来たんだよね? 吉本家じゃないよね? 永遠にボケとツッコミを見ている気がする。

 「ところで………。」

 ご当主様がモミジの方を見る。

 最大の難関が来てしまったか。

 でも、事実を告げるしかないか。ここは経緯をしっかりと………。

 「娘さんですって。」

 「説明させて!」

 はっ! ツッコミをしてしまった。

 そしてご当主の背後から衝撃に撃たれた音が聞こえる。

 なんだ、ここ。ギャグマンガの中にでも入ったのか?

 「む、娘!? 今の子たちって、発育がいいからありとあらゆることをするって聞いてたけど、すでにそのラインも古かったのね。十代で子持ちもいるのね。」

 ご当主様、魂の抜けたような顔をしないでください。

 あと、メイド様。笑ってないで誤解を解いて。

 あ、もはや笑い疲れた? 無理?

 魂が抜けかけたご当主様の両肩を掴み、

 「この子は、今日、僕の養子になった子です。なので、お気になさらずに………。」

 その言葉を聞いて、生気を取り戻したご当主様。

 「よ、よかった。」

 「いや、そもそも結婚してませんので。」

 そこで黙っていたメイド様が再度口を開いた。

 「そうですね、防衛局に勤める者はあえて結婚しないようにするとか。自分がいつ死んでも相手にバツを付けさせないために。」

 おい、メイド様。話がこじれるからやめてくれ。

 「それなら。大丈夫だね。」

 「ん?」

 「だって、甲斐田さんより強い人、いないでしょ? もし甲斐田様でも相手にできないのならこのコロニー3の命運が尽きただけです。」

 信頼はうれしいが、こちらもボロボロなんだけどね。

 「それで名前はなんていうの?」

 そういうと、モミジの方によってきた。

 モミジの方は僕の頭を盾にして身をかがめてぼそっと呟いた。

 「甲斐田紅葉。」

 「モミジちゃんね。よろしく。」

 よかった。

 すぐに受け入れてくれる人で。

 「改めまして、私がここの現当主になった四乃宮円(しのみや まどか)。こっちのメイドはビアンカよ。」

 こうしてみると———。

 「姉妹?」

 モミジの方から声を上げた。

 その言葉に二人とも驚いたが、言及することはなかった。

 僕は知っている。

 本当は、この二人で四乃宮家の当主をやっていることを。

 そして、僕を呼んだのはこの円さんではないことも………。

 まあ、事情がいろいろあるのだろう。

 元当主の病床の容態が急変したことによって急遽、代替わりをしたと聞いている。

 どの家庭にもトラブルはつきものだ。

 「それじゃあ、お姉……ビアンカ。夜も遅いことだし、彼らを寝室に案内して。」

 「お嬢様の寝室で?」

 「それはやめて!」

 すごい気迫だ。

 まるで見られたくないものでもあるかのようだ。

 「だから、あれほど掃除をするようにと………。」

 「うるさい! 掃除は苦手なの! 部屋を片付けたら魔境になっていたの!」

 「はあ………。」

 そこは深いため息をするんだ。

 「それでは、各お部屋をご案内します。」

 そういって通された邸宅は見たことのないほどの内装だった。

 質素でありながら、職人の技をかんじさせるものだった。

 ………所々、破壊痕が残っていたが。

 「こちらになります。」

 そういって通された部屋は妹と今まで住んでいたアパートの部屋の2倍はあろうかという広さだった。

 「では、モミジ様。あなたのお部屋は隣にします。」

 「え? これで一人用なの!?」

 驚愕だった。

 てっきり一緒の部屋で寝泊まりするものかと思っていたからだ。

 「部屋は余っておりますので。」

 どうやら心配は杞憂らしい。

 が、それでも今の地上地区の住民問題を考えるのであればこれだけのスペース占有には引け目に感じるのだ。

 その感情にメイドさんがくんだのだろうか。

 返答があった。

 「それに甲斐田様、少しは自分に見返りを求めるべきかと思います。」

 「え、何かしましたか?」

 そういうと、ビアンカさんは哀れみの目を向けてきた。

 なんで?

 「そんなボロボロになって。自分を酷使してまで他人を助けようとする人はいませんよ。」

 「あれ、どこかほどけてました?」

 そういって、体を見回してもホログラムが消えている部分はない。

 「ご安心ください。私にだけ見えてしまう体質なので。」

 ああ、だとすると嫌なものを見せてしまったな。

 「すみません。」

 「なぜ謝るのですか?………少なくとも私はあなたを尊敬しています。いえ、私は尊崇しています。」

 尊崇ときたか。

 嫌な言葉だ。

 「やめてください。私はただの殺人鬼です。戦場でしか生きられない鬼です。誰かを助ける方法を他に見いだせなかった愚者ですよ。そんなものを尊敬してはいけないし、ましてや崇拝するように扱ってはいけない。」

 そういうと、メイドさんは先ほどよりもキツイ目を向け、

 「殺人鬼は他人を助けません。他人のために自分の体を寄贈する人はいません。ましてや生きている段階で。そして、敵であろうと元凶以外はすべて救い出す異常さを私たちは好ましく思っています。それだけです。」

 その言葉に反論を許さない圧力があった。

 「は、はい。いや、でも殺しは殺人だ。許されはしない。」

 「この世界には神はいません。また人間は悪性腫瘍と一緒です。世界にとって実害でしかありません。世界が人間を見限り、切除したがっているのです。その代行をしたと思えばよろしいのでは?」

 「その理論はテロリストと同じだよ。」

 「彼らはおそらく星に人類という汚点を残したくない、という行動原理の元で動いていますから違いますよ。生き残るためではなく滅ぼすために存在しています。まさしく嫌悪の対象です。」

 「でもやっていることは一緒だよ。」

 「存続のための殺しと絶滅のための殺戮は違います。」

 「結果から見れば一緒になりそうだけど………。」

 「結果を重視するか過程に光を見るのかは人それぞれです。それは個人の思う範疇です。」

 そこで一泊置き、

 「少なくともあなたは生存や絶滅という枠組みにとらわれず、一個人ができることを着実にこなしています。」

 「それしかできない不器用な人間だからね。」

 「………人間はできることでもやらない人が大半です。」

 なんだろう、諭されているのだろうか。

 ところで気になっていることがあった。


 「もう、魔法は安定したの?、静さん?」


 その言葉に、彼女が振り返ることはなかった。

 「では、本日はこれにて。明日、7時に起こしに来ます。それまでご自由にしてください。」

 そういって、モミジをつれてどこかに行ってしまった。

 そして重要なことを聞き忘れていた。


 トイレ、行きたいけど、どこにあるの?。


 あ、部屋についてるのね。

 キャリーケースを開いて中に収納していた服を数着取り出し、明日の用意をする。

 その中かから、あるものを取り出す。

 コーヒーメーカーだ。

 こんな遅くに、だが飲まないと逆に寝られない体となってしまったのだ。

 まさに中毒だが、これで安心感が得られるのだから安いものだ。

 水を入れ、セットしておく。

 こいつはお湯が沸騰したら勝手に作ってくれる優れものだ。

 その間に、トイレに入る。

 完璧だ。

 そして、便座に座っているとコーヒーの独特な香りが漂ってきた。

 用も足したことだし出ようと思い、トイレットペーパーに手を伸ばしたときに気が付いた。

「か、紙が、ない………!?」

 緊急事態だ!



 緊急呼び出しコールを連打した後、メイド様もとい冥怒様が降臨され紙様を下さり一命をとりとめた。名誉は瀕死の状態となったが………。

 その後、2日ぶりのシャワーを浴びベッドの中で目を閉じようとしたときに音もなくベッドにもぐりこんでくる侵入者が来た。

「モミジ?」

「!?」

 小さな体をビクッと震わせて顔を見せた。

「………もう眠ったと思った。」

「残念。もう少しだったね。それでどうしたの?」

「………眠れそうな場所を探してただけ。」

 それでここまで来るとは。

 そこで、急にモミジが語りだした。

「さっきの人、去っていくとき、顔が真っ赤だったよ。」

「ああ、多分昔のことを思い出したんじゃないかな。」

「昔?」

 それ以上は、ビアンカ………静さんの名誉にかかわるから止そう。 

 それに今日は大変な一日だったとはいえ、一つ教えていなかったことがあった。

「シャワー浴びてないよね?」

「シャワーって何?」

 ああ、やっぱり。

 移植の時に、マキナさんが洗浄はしてくれたものの、それっきりだったからな。

 でも………。

「………明日、シャワーの使い方を教えるよ。……ついでにコーヒーの淹れ方も。……眠さが限界だ。」

 すでに瞼は限界だ。

 人口心肺がおそらく就寝に合わせてアセチルコリンの分泌を促しているのだろう。

 疑似的な神経でも効果はあるみたいだ。

「………ねえ。」

 すこしためらいながら声をかけられた。

「ん………?」

 もう目が落ちそうなのだが………。

「どうして助けてくれたの?」

 ああ、そんなことか。

「なんとなく………。」

「なんとなく、で?」

「……似てたから。」

「?」

「それに………。」

 そういって、これ以上何か言う前に腕を伸ばして抱き寄せる。

 「もう後悔したくないから。」

 そういって意識が落ちた。




 本来、彼の胸の中で鳴っている音は、今、私の中で正常に脈打っていた。

 目の前の男が今でも訳が分からない。

 気まぐれで助けたり、後悔したくないからと、ここまでする必要性が見いだせなかった。

 でも、わかっていることもあった。

 「………温かい。」

 ここに来る前のベッドでも感じたがここには安心感がある。

 世界は私に優しくはない。だけどこの温もりだけはくすぐったいくらい優しい。

 自然と眠りの中に落ちていく。

 記憶中でその日は、最も安心して眠った日だった。




 でも、気が付くべきだった。

 私という存在を。

 彼の慈悲深さを。

 私もまた、周囲と同じく光に目が眩んだ愚か者であることを。






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