終わったはずの始まり

 【黒い雨事件 追悼石碑】

 石碑に刻まれたお父さんの名前を愛おしくなでる。

 ここに彼らはいない。

 数年前に起きた出来事で命を落としたお父さんや、当時の仲間たち。

 それを記した石碑。

 「ねえ、ここにパパが寝てるの?」

 私の後ろにいた、小柄な少女が聞いてくる。

 「いいえ、遺留物はなく。彼らの骨もないのです。」

 「それなら、どうしてここに来たの?」

 不思議そうにこちらを見ている少女の顔に一瞬だけ面影のある顔が滲むと、それだけで心が軋む。

 また少女の疑問にも正確に答える手段がない。

 「そうですね………。最後の地だからですかね。この場所が、生きた証であり、終わりを迎えた場所だからです。」

 「………紅葉姉さんの言うことは、よくわからないや。」

 「その名前は、もうありません。今はただのシュガーです。」

 「だって大切な贈り物なんでしょ? 甲斐田紅葉って名前だってパパが―——。」

 「本来であれば拾われた私ではなく、お嬢様。あなたに―——。」

 「肩書なんてどうでもいいよ。それよりお腹空いた。帰ってご飯にしよ?」

 「………お嬢様、はしたないですよ。」

 「いいじゃない。顔も知らない故人を想うのは難しいの。それより地上の商業地区で食べ歩きしよ? 理奈ちゃん家も近いし、誘って食べよう。」

 「………月下のご息女でしたか。真衣様、そちらが本命でしたか。」

 「さあ?」

 とぼけているが、丸わかりだ。

 あの家は母子家庭であり、月下健吾亡きあと月下知里と一人娘と暮らしていたが、すでにネグレクト状態であることから真衣様が気にしていたようだ。

 同様に四乃宮家の静様も気にかけていた。

 「………はあ。わかりました。」

 「紅葉姉さん、わかってるー!」

 「シュガーとお呼びください。」

 「はいはい。それで、何から食べる?」

 「なんでも。」

 「もう、一流審査員として失格だよ?」

 「誰が審査員ですか。………それと私は、もう少しここを掃除してから向かいます。お嬢様は理奈様をお連れください。」

 「わかった! 行ってきます!」

 真衣様を見ていると胸が締め付けられる。

 こんなにも………。

 あの人もこんな風に生きる未来があったのだろうか。

 真衣様と生きる未来が。

 いつまでもこの胸を焦がす思いは消えず、祝福は呪いへ転じて、くすぶり続ける。

 今となっては、無駄なことだと割り切ろうとしても、何も返すことができず与えられることに甘んじてきた私の罪が鎖のように私を絡めとる。

 私の行動を阻害する。鈍らせる。

 痛みに涙がでる。

 返すことなどできはしない。

 会うことなどできはしない。

 死ぬことは許されない。

 ………それでも思わずにいられない。

 石碑の甲斐田悠一の文字を撫でる。

 「あなたの思うように、私は生きれていますか?」

 せめてもの贖いを。

 咎人として。

 これかも。




 きれいに石碑を拭いていったところで、空が雲に覆われていた。

 

 その雲は。

 

 黒く。

 

 雨雲のようでありながら。


 渦を伴っていた。


 元を探ってみようと中心部へ目線をやる。

 

 そこには黒い雲が地上にあるマンションビルを意思を持つように、飲み込んだ。

 

 包み込んでいた。

 

 そのマンションは………。


 「真衣!」

 

 私は、全ての荷物を捨て走った。


 3076年 6月 「黒い雨雲事件」発生。






                          月華の灯編 完

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