第8章

 「あ、起きた。」

 目を開けると僕を地獄に落とした張本人がいた。

 「地獄への旅はどうだった?」

 ニコニコ。

 こともなさげに言ってくる問いに、どうしたものか悩む。

 軋む体を起こそうとしたときに力が入らないことに気が付いた。

 よろけた体を隊長がそっと受け止めてくれた。

 しかし、今までと違う部分があることに気が付いた。

 体中に今まで存在しなかった何かを感じた。

 「………なんだ、これ。」

 そんな間抜けな声しか出なった。

 しかも、のどがカラカラに乾いており、汗が着ている服を濡らしていることに気が付いた。

 隊長は、そんな俺をみながらゆっくりとベッドに戻してくれた。

 「それは、魔力回路だね。君が見事に死にかけながら獲得したものだよ。」

 「………それならなんで地獄なんですか? あの裁判所に行く必要性がわからないです。」

 その言葉にさして驚くことなく淡々と悠一氏は語る。

 「最初の質問には答えられないけれど………。君には裁判所に見えたの? あの場所は簡単に言えば、人類の理だよ。だけど世界のシステムを生きている者は認知できない。だから認知しやすいものに置き換えて見せているんだよ。」

 「………それなら隊長は何に見えたんですか?」

 その言葉に困ったように頭をかいている彼を見た。

 こうしてみると年相応の少年に見える。

 「隊長じゃなくて、悠一だよ。僕は、あそこにはいけないんだ。だから、君が見たであろう門はただの壁にしか映らなかったよ、僕にはね。」

 ………行くには行ったようだ。

「あ、それとね。」

「なんですか、まだ体が重くて眠気も………。」

 いったい何だろうか。

 「君、二日間眠ってたから。」

 眠気が吹っ飛んだ。




 どうやら向こうの時間とこちらの時間では差異があるようだ。

 向こうでは一瞬の出来事でもこっちでは数日のことのようだ。

 「どうするんですか⁉ 勝算がこれっぽっちもないですよ⁉」

 もはや八つ当たりに近い。

 訓練も魔法の使い方もまだなのだ。

 それに対して、向こうはこのコロニーの防衛を任されているベテランなのだ。

 奇策でも用意しなければ勝機への見込みはない。

 そのはずなのに………。

 「なんで?」

 目の前の隊長は不思議そうにこちらを見るだけだった。

 もしかして天然なのか?

 とにかく考えなければ………。

 知里の弱点は………。

 いや、いっそのこと話術にでも………。

 そんなことを逡巡しているときに肩を叩かれた。

 叩いたのは隊長だった。

 「今から教えることをよく聞いてね?」

 そう言って、耳を貸すようにとジェスチャーをしてきた。

 おとなしく、耳を傾けた。

 「君は彼女を見続けていればいい。」

 は?




 それは一瞬のことだった。

 視界がブラックアウトした後に、


 私は、首を斬られた。

 

 体と頭が分離した。

 今まで命令していた体が時間差で行動しようとしているところを目は見ていた。

 別な命令を出そうと思っても、すでに司令塔である頭はない。

 宙を舞っているのだから。

 でも痛みはない。

 押し寄せてくる恐怖もない。

 ただ自然の摂理のように。

 風が吹く。

 水が流れる。

 動物が呼吸するように————。

 私の首は落ちて行く。

 私の体は倒れていく。

 すべてがほどけていく。

 落ちる。

 墜ちる。

 オチル。

 

 

 

 「君の魔力は君自身の魂を経由して地獄とつながっている。」

 

 「地獄と直接つながった魔力にあてられたら、気がフれる。」

 

 「実際には、自分の死を認知するって言った方がいいかな? 本当に今すぐ死ぬわけじゃないよ?」


 「ただ、生物として絶対に避けて通ることができない『死』を見るんだ。」

 

 「命の終わりを疑似的に味わうことになる。そんなものを見せられたら人はまず意識を失うよ。つまりは初めから彼女に勝ち目はないんだ。」

 

 「でも、気を付けてね。」

 

 「すべての生物に効くわけじゃないよ?」

 

 「あくまで人理、人の枠である地獄。」

 

 「人には通じるけど他には意味がないよ。」

 

 「そして君も、人であることを忘れないで。」

 

 「え、魔力ってどうやって流すのか?」

 

 「あー、感覚でやってたからな………。」

 

 「それじゃあ、外部から操作するから感覚を覚えてね。本番では、僕は見ているだけだから。」

 

 


 倒れた知里に駆け寄りたかったが、ぶっつけ本番で行ったせいで、魔力の制御ができない。

 瞼で視界を遮り、観戦している他の人を移さないように必死だった。

 会場は、どよめき立っているがそれどころではない。

 こんな状態で瞼を開ければ、制御できない魔力が拡散されてしまう。

 そうやって焦っていると、さらに魔力量が上がっているのか、体の中をのたうちまわる感覚が襲ってきた。

 まずい。

 直感で理解できた。

 

 これは致死量だ。

 

 この量の魔力をここにいる人たちに当ててしまえばショック死する。

 会場からすぐに退散するか?

 いや、入口まで転げまわったとしてどこに行く?

 いっそのこと、この目を潰すか?

 目を潰して魔力が拡散したら意味がない。

 それとも命でもって………。

 「そこまで。」

 その声は真横から聞こえてきた。

 それと同時に、両手を掴まれた。

 幼い手にも関わらず、安心感があった。

 「力み過ぎ。まず呼吸。そして糸をほどくようにゆっくりと落としていけばいい。」

 隊長の声に従い、焦っていた呼吸を整える。

 いまだに心臓は高鳴っていたが呼吸法を身に着けていたおかげですぐに規則正しい呼吸になった。

 次に目に集中していた魔力をほどいていく。

 その過程で感覚が鋭敏になっていく。

 口の中が甘く感じる。

 味覚のシャットダウン。

 周りの音が煩わしく感じる。

 聴覚のシャットダウン。

 鼻につく、観客の体臭の匂いから香水の匂い、プラスチックの匂い、汗の匂い。

 嗅覚のシャットダウン。

 体を触る空気の流れ。

 触覚のシャットダウン。

 残された視覚のみ意識を集中する。

 虹彩から発する魔力の流れ。

 切れ目。

 一本一本ほどいていく。

 毛糸玉をほどくように。

 一本一本を緩め先端から、あるいは内側から。

 そして、完全にほどいた時に。

 

 世界が反転して、あの花魁がいた。

 

 「まあ、練習も必要さね。」

 少しだけあきれるようにこちらを見ていた。

 「………ただのね。数刻もしないうちにこっちに戻ってくるとは。」

 ふぅー、と煙を吐いているさまはため息のようだ。

 

 「あの小僧に言われただろう。お前も人間なのさ。たとえ死に敏感であっても死を克服したわけじゃない。むしろ克服しちゃいけないものさ。」

 

 そういっておもむろにキセルを回した。

 そのキセルがなぜが凶器に見えた。

 「せめて稽古くらいつけていきな。毎度毎度、こっちにきてたんじゃあ、私の名折れだよ。構えな。」

 静かだが、圧倒的な殺意。

 地獄の中で初めて死を覚悟した瞬間だった。

 




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