第7章
視界は黒く塗りつぶされていた。
落ちているのか、上がっているのか。
止まっているのか、浮かんでいるのか。
わからない。
だが、とても静かで温かかった。
穏やかで、満たされた空間。
その快感に身を委ねていると、突然目の前に扉が現れた。
………初めからあったのかもしれないし、突然現れたのかもしれない。
扉が、いつの間にかあったのだ。
その扉がかすかに振動したかと思ったら、ギギギと音を発した。
扉が歯ぎしりでもするかのように開かれた。
その扉は俺を招待しているのだ。
促されるまま、扉の中へ歩を進める。
扉をくぐると、中は裁判所だった。
自分の認知できる空間で少し安心した。
いや、どうしてこんな空間があるのかは謎だが………。
ホッ、と息を吐こうとしたところで裁判官が座る位置に大男が座っているのに気が付いた。座っているものの座高だけで2メートルはあろう高さ。おそらく、立ち上がれば5メートルくらいにはなるだろう。強面の顔、強靭で大きな肩幅、筋骨隆々でガタイがいい男の姿はもはや人間のそれではなく、鬼のように見えた。
その男は、まっすぐに俺を見た。
見られている圧力だけで、こちらが矮小に思えるほど存在感が大きかった。
沈黙を破って男の口が開いた。
「名を名乗れ。」
言葉を発しただけで、地面が揺れている感覚に襲われた。
実際に脚を見てみるとそれは自分の脚が勝手におびえて震えているだけだった。
生理的恐怖。
生物が持つ死の恐怖が一瞬で想起したのだ。
震えが脚だけでなく体まで到達したときには立っているのが限界だった。
それでも求められたことに対して名乗らなければ、そのまま死ぬ。
だから無理やり口を開いた。
「月……下…け、健吾。」
その言葉聞いた大男は、満足げに返答した。
「この恐怖の中で、言葉を発することができる………。見事。」
ほめているのだろうが、こちらはすでに足がすくんでいる。
さらに、男は質問を繰り出す。
「ここにいる理由はわかるか?」
再度の問いに首を横に振るしかない。
どうして、ここに飛ばされたのか。
事前情報など教えられなかった。
だから、わからないのだ。
………いや、正確には予想が外れてほしいという願いだ。
現状況から察したくないことだった。
「相変わらずだな、あの坊主は。」
おそらく、隊長のことだろう。
「貴様の能力は他の人間のものとは違う。さらに言えば、体の回路が歪に作られている。まるで機械基盤のように、な。現状では意味がない、空白の基盤に配線が伸びている。」
頭の中に疑問符が浮かぶ。
理解が追い付いていない。
だが、これからどうしろというのだ。
その思いを察したのか、大男は言葉を発した。
「ゆえにこれから新たな基盤を体に刻む。死ぬ気で耐えろ。」
実にシンプルで、それでいて選択肢がない。
そして制止する声を発する前に、全身に針が突き刺さるような痛みと、体をバーナーで焙られている感覚に声を上げる間もなく地面に突っ伏すことになった。
数多もの不快な痛みと燃える肉体に意識を手放した。
どのくらい時間が過ぎただろうか。
ゆっくりと視界を広げていく。
どうやら、床に倒れたらしい。地面から冷たい感触が伝わってくる。
瞼を数回、動かしたのち、指の感覚を徐々に回復させていく。
その時に、視界外の大男から声がかかる。
「どうやら無事に終わったようだな。後はこいつに聞け。」
顔をゆっくりと上げる。
そういうと奥の方から影が揺れた。
「あとは頼んだぞ。」
「お任せを。」
そういうと、あの巨大な気配が消え、逆に気配が薄いものが近づいてきていることが感じ取れた。
動かせる部分で体を起き上がらせると、目の前に女がいた。
着物を少しはだけさせ、簪を髪に刺し、キセルを加えた女。
昔、実在した花魁を連想させた。
「その体で動くとは………。中々気骨がありんすね。」
その美しい出で立ちに目を奪われそうになるが、彼女からは死の匂いが漂っていた。まるで首元にナイフがあるように、全身に毒を回されているかのように、目の前の相手に生命線を握られているのかのように感じた。
体が危険信号を発しているのだろう。
汗が止めどなく吹き上げる。
「ほう、第六感も働いている。死の匂いに敏感とは………。合格だね。」
そういうとキセルをふかしはじめた。
ふっ―、と様になっている動きには無駄を省かれた美しさがあった。
「さて、自己紹介でもしておきましょう。あたしは絡新婦(ジョロウグモ)。
ただの首斬り太夫さね。」
「首斬りはね、人の罪を洗い流すための洗礼。」
キセルから煙を吹かせながら、女は語る。
「次の人生に前世の罪が重なってはいけない。無垢な状態であるべき場所に返してあげる。それが首斬りの大本、起源さね。魂と意識を切り離し、肉体から脱離させてあげる………。」
キセルの柄を叩き、灰を出す。
「相手を斬るうえで重要なのは、斬るのは憎しみではなく罪であること。首斬りが憎さで人を殺めれば、それはただの殺人になりさがる。これは絶対の原則。鬼を斬るつもりが鬼になっちゃ世話ないって話。」
そして、キセルを回したときには、キセルのかわりにどこからかナイフが握られていた。死の気配が濃厚過ぎてどの行動に注意を向ければいいのかわからなくなっていた。
「まあ、あんたさんは、憎しみを背負う前に死ぬだろうから大丈夫だろうけどね。でも、忘れないでほしいものさね。」
そういうと手のナイフを投げてよこした。
受け取ると、見た目に反してずっしりと重く、それでいて美しかった。
「あんたは、決断を迫られる。その時にどう判断するのか。お前さん次第さ。」
その言葉と共に、急な浮遊感に襲われた。
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