第29話 あかねに報告

 予想した通り、廊下は誰もいなかった。上についている豆電球がほのかに廊下を照らしていた。

 真は恐る恐る、先に進むと、いくつものドアがあった。一番近いドアをゆっくり開けた。

 そこには誰かの部屋であり、その人物がいびきをかきながら眠っていた。

 真はその人物を見た。別にバレてもいい。どうせ、自分は手足がほどけていることだけでも、ヤクザの逆鱗に触れるのだ。

 真はそのチンピラがベッドで眠っている横の、小さな引き出しの上にあるスマートフォンを手に取った。電源は入っている。ロックが掛かっているか確認すると、掛かっていなかった。

 真は思わずニヤッと笑った。いつしか、この空間も少し慣れている自分もそこにいた。無論大量の汗は止まらないままだ。

 真はそのスマートフォンを持ち出して、廊下に出て、自分の部屋に戻った。

 時刻は深夜一時過ぎ。大利組の中で多分起きている人物もいるだろう。しかし、少なくともこの階数は静かである。

 真は少し躊躇したが、笹井探偵事務所に電話をした。少なくともコールだけでも鳴ってほしい。

 コールも鳴らずに、“本日は、営業時間は終了しました”という音声が流れたら、自分は人身売買の被害者として生きていかなくてはいけない。

 真は震えた手で、ダイヤルを押し、電話番号を入力して掛けた。

 コールは鳴る……。後は電話に出てくれるかだ。ずっと鳴らしっぱなしだったら出るだろう。

 コール十回目になると、「もしもし」と声が聞こえてきた。寝声だ。

 すぐにあかねの声だと分かった。

「あかねさん。僕です……」

「……真? 真なの?」

「そうです」

「何してんだよ。お母さんも心配してたよ。今どこにいるの?」あかねは寝声だったが、さっきとは打って変わって声に力があった。

「今、大森組にいます。工藤っていう人に拉致られてここに来てます」真は誰にも聞こえないように小声で喋った。

「それで、大丈夫なの? ボコボコにされてない?」

「今は何とか……」真は一瞬早乙女にされたことを言おうか迷ったが、あかねもそんなこと聞きたくないだろうと思って、押し黙った。「何とか大丈夫です」

「今は何とかって、どういう意味? これから何かあるの?」

「はい、あかねさん。落ち着いて聞いてください。僕と誘拐された二人含め総勢六人が、人身売買されます」

「人身売買? どういう事?」

「つまり、海外と人身売買でお金を稼いでいたんです。大森組は」

「舞子の事件はどうなったの? あれは内村っていう人が握ってるんでしょ」

「早乙女の証言によると、内村が舞子を殺害したんですが、肝心の舞子のスマホが見つからなくて、それを早乙女が家まで探したようです」

「ということは、あの部屋に落ちていた髪の毛は……」

「あれは、きっと早乙女の物だと思います」

「なるほど。早乙女とは真君会ったんだね」

 真は早乙女とのやり取りを想像してしまって、思わず息を呑んだ。「……はい」

「どうしたの? 誰かいるの?」あかねは真の様子がおかしいのを汲み取って言った。

「いえ、大丈夫です。まあ、舞子の事件よりも、僕が今伝えたいことを聞いてほしいんです」

「……分かった」

 あかねは真の様子を素直に察した。

「その人身売買が、二日後に中国のマフィアと取引をされます。場所は西京湾。時間は夜の九時です」

「二日後って言うと九月十日ってことだね。九時。でも、西京湾は面積が広いから、どの辺か正式に言ってもらわないと分からないよ」

「彩り公園の浜です。あそこは最近、公園内の工事が行われて、一般の人が入れなくなってます。そこで、取引をします」

「分かった。菅さんにも伝えておくよ」

「多分、不誠実な取引だから、早く終わると思います。その事だけを伝えておきます」

「分かった。取り合えず真君はここから逃げ出せそうなの?」

「僕は逃げません。ここにいます」

「どうして?」

「何故なら、ここでもし、脱走に成功したとしたら、奴らはこのやり取りをキャンセルするか、別の日に行と思います。そうなると、この人身売買の証拠が無くなり、大森組を捕まえることができなくなります」

「なるほど……」あかねは感嘆した。

「なので、その二日後に彩り公園で来て欲しいんです。お願いします」

「……分かった」

 あかねはそれだけを言って、真は「失礼しました」と、電話を切った。

 取り敢えず、あかねには伝えた。後は彼女が菅にこの状況を話してくれるかだ。彼女がここのことを打ち明けてくれなかったら、自分は少なくとも日本には戻れない。

 真は冷や汗がどっと出た。緊張で手が震えている。……まだだ。このスマートフォンをチンピラの部屋に、何事もなかったかのように置かなくてはならない。

 緊張感はずっと続いている。ずっと続いているからこそ、どこで落ち着けばいいのかも分からない。

 真は相変わらず静まり返った廊下に出て、チンピラの部屋を開けた。

 チンピラは相変わらずいびきをかきながら寝ている。良かった。相当疲れているのか、物音が鳴っても起きられない性格なのか、どちらでもいい。真はスマートフォンを元の位置に置いた。

 置いた途端に、チンピラが起きてくるんじゃないかと、ヒヤヒヤしたが、そういうこともなく安堵した。

 ドアを開けて廊下に出た。そして、自分の部屋に戻った。

 さて、ここまでは順調だった。後は、この手足を解いたことをどうすればいいかを考える必要がある。

 真は考えに更けていた。

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