第四章⑪
帝都シェルレスタ、ヴェネト区市民共同墓地――。
のどかに小鳥のさえずりが響く片隅で、数人が黙祷を捧げている。献花の香りが敷き詰められた緑の絨毯に、何千何百もの墓標が立てられている。
その中の一つには、『ミハイル・ディアレ』と刻まれているものがある。
彼女たちは、彼の墓標の前で、静かに死者の冥福を祈る。
大地に眠る彼らの魂が、どこに行くのか――誰も知らない。ただ、この地上よりも安らかな楽園であることを祈るだけだ。
「ヴィニは?」
ユリンカは、同行者がセシエレ一人だけに気付き、もう一人の行方を尋ねる。押し殺した声で、セシエレは主へ説明した。
「あの方ならば、自分はミハイルと親しく話したわけじゃないから水を差したくない、と。エルンスト様とどちらかへ行かれました」
「そう」
柔らかな風が、墓標にしがみつき、すすり泣く少女を撫ぜる。長く伸ばした黒い髪の一房が、ふわりとなびいた。
彼女の姿を見て、ユリンカはどうしてこんなことがあるのだろう、と思った。ミハイルはセルトワの抗争に巻き込まれただけ――持てる者の争いに、持たざる者を強引に引き込んだ結果。
その結果が、こんなに無情なものであるなんて――ユリンカは、まだ信じられない。
もう、自分は泣くだけ泣いた。
彼の死に目に追い縋って、泣いた。
だから、彼の妹である少女にかける言葉が見つからない。自分の与り知らぬところで兄を殺された少女に、何かを言う資格がない。
「ただ、安らかに……」
右手を胸に添える。
――彼は、優しい青年だった。
幼い時分から、よく一緒に遊んでもらったものだ。
本当の兄のように、慕っていた。
初めて会う彼の妹――こんな形でなければ良かったのに。どうしてもっと早く、紅茶と菓子を囲んで歓談しなかったのだろう。悔やんでも仕方のないことだったけれど、彼女はそう強く思った。
落ち着いたのか、少女――シェスタが、憔悴しきった足取りで立ち上がる。
「ユリンカ……様。兄は、最期に何て言っておられましたか?」
彼女の顔――泣き腫らし充血した目――それでも、シェスタは目尻を下げて笑おうと試みていた。
胸が詰まり、視線を落としそうになる――ユリンカは、逃げたくなる衝動を捩じ伏せ、静かな眼差しで、シェスタを見つめた。
――伝えなくちゃ。
彼が自分で伝えたかったことを、きちんと彼女に。
「幸せになってくれ、と。……そう、あなたに伝えて、と」
「そう……ですか」
痛いほどの、沈黙。
墓地に、青い葉が舞う。
それは涙のようで、彼女たちに別離を告げる彼の笑顔のようにも思える。
穏やかな日差し。
「ユリンカ様、兄のためにも……止まらないでください……。ずっとずっと、笑っていてください。兄もそれを望んでいるはずです」
彼女は、兄と同じ言葉を言った。
喪服の裾が、風にそっと波打つ。墓地に佇む彼女を、ユリンカは綺麗だと思った。
――ああ、わかった。
彼女は漠然と思った。
何故、祖父の遺志を告ごうと思ったのか――やっと、わかった。
何故、あんなにも《ヴィッカー通り》にこだわっていたのか、ようやく思い出した。
何故、彼は最期に恨み言を一つも漏らさず、自分に託したのか。
咲かせたい、だけ。
だから、ユリンカは微笑み――手を差し出す。
シェスタも、その手を恐る恐る握り締める。
二人の少女を見守るセシエレの傍に、ミハイルが立っている錯覚を覚え――きっとそれは錯覚などではないのだろう。
いっぱいの悲しみに埋もれていた嬉しさが、たった一つだけ芽を出したのを感じる。
きっとそれは、彼の置き土産。
きっとそれは、彼の願いなのだろう。
きっとそれは、彼が自分の傍らにいてくれることにも繋がるのだろう。
だから、シェルレアン人ならば皆が知る、報われない者の代名詞でもある童話の少女の名を名乗ると決めた。
「ええ、約束するわ。わたくしの――ユリンカ・カペラ・セルトワの名において」
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