第四章⑤
風雨がアンザース城を濡らしていく。
渓谷の川は徐々に濁りを増し、濁流となってうねりはじめる。
断続的に鳴る雷の雄叫びが、城内で孕まれた緊張感を高める。
「やっと来たね、ようこそ終幕の間へ」
出迎えた男が、にっこりと微笑んだ。玩具を手にして喜んでいる子供のような、無邪気な笑顔――裏に、叡智を覗かせる悪魔の微笑。
「どうして……ミハイル……ニコラ……?」
曇天によって薄暗さを増した広間の中心に、三人の人影が佇んでいる。銀色の輝きを放つ男の両側に、見知った影が二つ――何事も発さず、冷たく虚ろな眼でこちらを睥睨している。
「ミハイルッ! ニコラッ!」
招かれた三人の招待客の一人――ユリンカ・セルトワは、大声で彼らの名前を呼んだ。
「お嬢様、あまり前に出ないでください」
セシエレは今にも駆け出さんとする主の肩を掴む。
「セルトワの従者――失敬、セシエレだったかな? 君も来てくれたのか。そしてヴィニ――言っただろう? 僕らは邂逅する、と。ここが、僕と君の終着地――僕か君か、どちらか。あるいは双方が死ぬところさ」
「返事しなさい、ミハイルッ! 目を覚まして、ニコラッ!」
「無駄だよ、カペラ様。彼らの意識はとても深いところで眠っている」
「――ルジェ、君はいったい何をしようとしているんだ?」
ユリンカを護るように、彼女を背にしたヴィニが抜き身の剣をぶら下げる。仄かな闇に、雷光を塗した白刃が、ぎらりと映える。
「僕が何かをする……その問いかけは実に無意味だと思わないか、僕の分身」
輝く月光と、鈍い月光が真っ向からぶつかる。
「何、単純なことだよ。これは遊戯だと思ってくれていい。僕と君がこれから殺し合う。そうだな、僕と君以外の四人は、見届け人――観客のようなものだ」
「馬鹿なことを! ルジェ、今すぐミハイルとニコラを元に戻しなさい!」
ユリンカは煮え滾る義憤を、ルジェにぶつける。涼しげな表情を消さないルジェは、悠然と前に歩み出た。その手には、いつぞやの儀礼用の剣が握られている。
彼が、自らの《誓呪》で産み出した《誓呪具》だ。
「邪魔をしないでくれないか、ユリンカ様。これは僕とヴィニの問題――退屈なら、ミハイルに遊んでもらえばいい。ニコラ――子供に人を殺めさせるようなことはやらないから安心してくれていいよ」
その言葉に、ミハイルが反応する。無言でルジェの横を駆け抜けると、瞬く間にユリンカの元へと馳せ参じ――両手の短剣で斬りつけた。
「お嬢様、下がって!」
セシエレは手甲で凶刃を受けると、ユリンカに後退を促す。
「ど、うして……ミハイル……?」
半ば無意識に後退するユリンカは、ミハイルの双眸から目を離せない。彼の目は、何者も映してはいない。鈍く光る黒には、意思は見受けられない。
「心配しなくても、ヴィニ。僕を殺せば彼は元に戻る、もう致命傷だけれど。ニコラ君はどうなるかわからないけれどね、僕の魂と深いところで混じり合っているから」
「そうか、ならば遠慮なく斬らせてもらうっ!」
たん、と軽い足音――その瞬間、ヴィニの姿が魔法のように掻き消える。
否、それは魔術などではない。日々の鍛錬の賜物――掬い上げる剣撃をルジェは難なく阻む。
打ち鳴らされる金属音――それが、幕開けの号。
数秒と間を置かず、ヴィニは次々と手数を加えていく。剣戟の響きは、一合、二合、と増えていくうちに苛烈さを増す。上段から袈裟切りかと思えば、下段から突き上げる。防いだかと思えば、中段から脇腹に吸い込まれる。その速さには、際限がなくルジェは防戦一方となった。
「君とはこんな風に喧嘩をしたことはなかったな、ルジェ!」
ヴィニは屈託なく笑った。
対するルジェも、神速かと錯覚してしまうほどの速度に食いついていく。八合、九合、十合――二本の刃による協奏は鳴り止まない。
ひるがえる、白と黒――単一の色彩が、より凄惨さを増していく。
手が痺れはじめる寸前、ルジェは手首の力を緩め、ヴィニの剣を受け流す。そのまま噛み合わせずに、後方へと跳んだ。しかし、ヴィニはそれを認めぬと追撃をかける。
「ちぃっ!」
再び膠着状態に追い込まれ、ルジェは舌を打った。
「そら、休む暇なんてないぞ! そら、そら、そら!」
大振りに襲い掛かる刃をしゃがんで避け、ヴィニは巧みに後方へ前方へ跳ね、踏み込む。さながら一流の踊子が魅せる剣の乱舞――目に見えて、ルジェの表情に焦りが芽生える。十九合、二十合、三十合、一歩も退かぬとばかりにヴィニとルジェは撃ち合う。
切っ先がガリガリと石床を削り取りながらルジェへと吸い込まれる寸前――彼の姿が掻き消える。
空振りに終わった攻撃に動揺することなく、ヴィニは上空を見上げた。
鈍い月の眼が見ているものは――豪奢なシャンデリア。
「逃げ足だけはいつも速いな。《誓呪》を使ったらどうだ?」
「君は僕を苛立たせるのが相変わらず上手だ」
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