第四章④

 銃創の苦痛よりも大きな衝撃が、ルフェルトを撃つ。

 彼は愕然とした表情で、超然と己を見据える弟を凝視した。

「馬鹿な! 私は陛下を誅するなどという企みをした覚えはないぞ! エルンスト、貴様何の権限があって勅令などと――」

 ハッとしたように、ルフェルトは歯軋りを響かせる。あまりの激しさに、歯が砕けるかと思わせるほどに。

「エルンスト、貴様謀ったなっ!?」

「兄貴、言い逃れもできませんよ。証拠も押さえてあります。帝國軍総帥イェスロ閣下に送った書簡も保管してありましてね」

 ルフェルト・セルトワからイェスロ・タル・ディエスに送られたのは、自分がセルトワ当主に座したなら、全面的にイェスロを支持する。その代わり自分に協力してくれ、というものだった。その協力の内容は、セルトワ家を軍で蹂躙するという――家督継承の抗争対象となる者への攻撃。しかし、自分の間者に届けさせたつもりが、間者はエルンストに抱きこまれた者であった。

そして、イェスロ宛ての書簡はエルンストの手に渡ったのだ。その甲斐もあり、ルフェルトの計画は頓挫することになる。

「本当に、お粗末ですよ。三文芝居よりも性質が悪い」

 絶句するルフェルトに、エルンストはなおも言い募る。

「それに、あなたが闇医者に処方させた毒――父上は先刻召されましたが、その因となった毒を与えていたのは、兄貴――あなたですね。医者にも全部吐かせましたよ。俺も闇に葬ろうとなされたようですが、失敗はこの通り」

 自身の健在を誇示するように、エルンストは会釈をしてみせる。

 ルフェルトは、わなわなと拳を震わせた。いつもの口調とはまるで違う――荘厳とした雰囲気さえ感じるエルンストが、憎い。こんなところで朽ちるわけにはいかぬ。まだ私は、負けてはいない!

「認めん、認めんぞ!」

 ルフェルトは銃を構え、エルンストを狙う。引き金を引くよりも早く、背後から忍び寄ったセシエレによって、あっさりと銃を奪われた。そのまま羽交い絞めにし、地面に押さえつける。抵抗を試みるルフェルトだったが、間接を固められ身動きが取れない。

「そうそう、シェスタ・ディアレも無事保護しましたよ。彼女を人質に取ってミハイルにユリンカを処刑させようなどとは、少々悪趣味が過ぎますな。お堅いことで有名な兄貴からは考えられないほどに」

 シェスタが解放された――ユリンカはほっと胸を撫で下ろし、そのことをミハイルに一刻も早く告げたいと強く思った。

 ――ミハイルに知らせないと。彼を助けないと。

「綿密に計画をしていた割には、兄貴は父上を殺すのを急ぎすぎた。全てを見誤ったのがあなたの敗因です。俺を昼行灯として見くびりすぎましたね。猜疑心に塗り固められた末路がこれです、俺は別にセルトワの当主になるつもりはありませんよ。柄じゃないんで。それに何より、セルトワに縛られる人生は窮屈ですからね。その任は、ユリンカに押しつけますよ。――おい、連行しろ」

 エルンストはさっと腕を挙げ合図すると、兵士にルフェルトを捕縛させる。

「エルンスト、私をどうするつもりだ? 私は何も吐かんぞ」

 弟は余裕のない兄に一瞥をくれると、にたりと暗い弧を唇で描く。

「何、そんなことは結構。言ったでしょう? あなたを極刑に処す、と。安心してください、身内の不祥事を市井に曝すような真似はしませんよ」

 死の宣告に、セルトワ次期当主候補は、がくりとうな垂れる。完全に未来を摘み取られたことを、思い知らされたのだ。

ユリンカは呆気なく捕まったルフェルトに、一抹の不憫さを感じた。だが、それを振り払う。

 ――早く、ミハイルを助けないと。

「セシエレ、ミハイルが危ないの! わたくしを庇って……っ! 急がないと!」

「ミハイルはどちらに?」

「わたくしを逃がすために、広間に残っているわ。急がなきゃ、ルジェに殺される!」

 脳裏に、満身創痍の彼の姿が映るが、振り払う。急げば、まだ間に合う。

「ヴィニ殿!」

 セシエレの呼びかけに、ヴィニは力強く頷く。

「エルンスト様、後はお任せできますか? ――お嬢様、エルンスト様とご一緒にお待ち下さい、ミハイルは絶対に連れて帰りますから」

 ユリンカは大きく首を横に振った。

「嫌、わたくしも行く。足手まといなのは重々承知。でも、わたくしが自分でミハイルを迎えに行きたい。もう苦しまなくていいと伝えてあげたい」

「なりません、危険です。後生ですから聞き分け下さい」

 セシエレの懇願に、ユリンカは頑として譲らない。

「嬢ちゃん、死ぬかもしれない。それでもいいのか?」

 横から口を挟んだヴィニに、ユリンカは晴れ晴れとした笑顔を見せた。満開の百合が咲き誇ったかのような笑顔――思わずヴィニは見惚れてしまう。セシエレやミハイルが必死に彼女を守ろうとした理由の片鱗が、少しわかった気がした。

 この少女は、こんな風に笑っている顔が一番いい。

「ええ、死ぬ覚悟はできているわ。――でも頼りにしています、セシエレ、ヴィニ?」

 屈託のない彼女の笑みにヴィニは、

「……仕方ないな、折れそうにない。鉄砲と言われてるだけあるな、君は」

 苦笑で返した。

《セルトワの鉄砲娘》――一度決めたことは、梃子でも引かない。

「ユリンカ様……」

「わたくしが案内するわ、セシエレ。こっちよ! エルンストお兄様、後を頼んでもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わない。ミハイルは死なせるには惜しい男だからな」

 妹を見やるエルンストの瞳は、彼女が初めて接する慈愛に満ちている。意図せず目頭が熱くなるが、呑み込む。

 泣くのは、まだ早い。

 会釈だけすると、彼女はセシエレを促し、回廊を走り出す。彼女たちの後姿を見送るエルンストに、ヴィニは忠告した。

「エルンストさん、君は兵を連れて岸で待機していた方がいい。ルジェの《誓呪》は危険だ。下手したら城が崩れかねない」

「わかった、ゲインズブール君。妹をよろしく頼む」

「やめてくれ、俺は嬢ちゃんの部下なんだ。上司を助けるのは当たり前だろう?」

「お前とは一度飲み交わしたいね」

「ま、帰ったら一杯やろう」

 エルンストの肩を叩き、ヴィニはユリンカたちの後を追った。

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