第四章③

「な、んですって……?」

 がらがらと足下が崩れ去り、目の前が暗い帳に落ちる錯覚に陥る。いつも傍にいてくれた姉のようなセシエレが――死んだ?

 馬鹿な、と声にならない。

 はじめて、くっくとルフェルトが引き攣れた哂いを落とす。ユリンカの憎悪と絶望を引き出すのを楽しんでいるかの如く。陰惨に光る彼の瞳は、悦楽を貪っている。

「セシエレも寂しかろう。主君として、早く傍らに行ってやれ」

「ルフェルトォォォォォォォォォッ!」

 ユリンカは憎悪に煮え滾る指先を、弩の引き金にかける。

 ――殺してやる! ころしてやる! コロシテヤル!

 復讐に燃える彼女が弩の引き金を引き絞ろうとした――一瞬よりも早く、銃声が轟く。ユリンカの手が血に汚れるのを嫌うかのような轟音。

 弾かれたようにルフェルトが振り向いた刹那、もう一発の咆哮。脇を押さえ、ルフェルトが足を折った。

「危ない、間に合った」

 銃口から紫煙をくゆらせた銃を構える男が、一歩ずつこちらへ向かってくる。曇天の鈍い光に照らされた、ルフェルトを撃った人物はエルンスト・セルトワだ。

「お嬢様っ!」

 入り口の方から、ユリンカの聞き覚えのある声が、した。

「お嬢様、ご無事ですか!?」

 そう叫びながら近づく人物に、そうはさせまいとルフェルトの兵が壁を作る。

 彼女の姿を確認したユリンカは、驚きに目を丸くした。

「セシエレッ!?」

「馬鹿な……! 貴様、どうして……っ!?」

 驚くユリンカに、ルフェルトの動揺が被さる。

「何、兄貴が拵えた橋を利用させてもらっただけですよ」

「どきなさい、あなたたち!」

 セシエレは兵士たちを押しのけようとするが、彼らの一人が刀身を以って阻む。刃を左の手甲で受け止め、右の拳を兵士に見舞う。その動きに反応した別の一人に当身を食らわせ転倒させるとそのまま、もう一人の脇に蹴撃。一気に三人が崩れ去ったことで、兵士たちの士気が明らかに乱れた。

 間隙を縫い、セシエレはあっさりとユリンカの傍まで辿り着く。

「お嬢様、お怪我はありませんか!? こんなに憔悴なさって……大丈夫ですか?」

 ユリンカは呆然としたまま、セシエレに抱擁される。死んだと聞かされたセシエレが目の前にいて、抱き締めてくれている――理解が追いつかない。

「え、ええ大丈夫よ、心配いらない。……でも、どうして?」

 ――死んだはずじゃ、と口には出さないが、暗に匂わせる疑問。

「功を焦りすぎましたね、兄貴」

「何だと?」

 被弾した脇腹を押さえつつ、よろめきながらルフェルトは立ち上がった。計画を崩された、と憎悪に瞳を炯々と燃やしながら。

 エルンストは葉巻を咥えると、燐寸で火を点けた。

 心の底から美味そうに吸い、煙をくゆらせる。

「全てが突貫すぎたんですよ、セシエレとゲインズブール君の実力も見誤った」

「馬鹿な……っ!」

「ユリンカを拉致せずに、シフ・ジフに暗殺させれば良かった。少なくとも彼女は、変装の達人だ。殺す対象がセシエレやゲインズブール君ではなくユリンカだったら、情にほだされてあっさりと殺せたのに。功を急ぐ割に、その辺りがずさんすぎましたね。セシエレ一人泳がせるのは、別に痛くも痒くもないでしょう? ああ、そうそう彼女はこちらで確保してありますよ」

 軽薄を着込んだ男は、うっすらと微笑む。頑迷を糧に育った男は、眉根をひそめて弟を睨みつけた。

「それとも、ユリンカの配下を一人たりとも生かすつもりはなかった、と。そういうことすか? 《ヴィッカー通り》を《ディナ・シー》に明け渡そうとしたのも、つまりはそういうことでよろしいですか?」

「ルジェと手を結んだのは、予想外だったけどな」

 そう言ったのは、エルンストの後方にいたヴィニだ。彼の数歩後ろには、《帝騎警》の制服を着た兵士たちが二十人ほど、ずらりと待機している。

「だが、ルジェの性格を誤っていたんだ、君は。あいつは戯曲的な芝居を好む。回りくどいやり方を好むからな」

 エルンストに斬りかかろうとする兵士たちを牽制するように、彼は剣を抜いている。剣呑な光が白刃と双眸に宿り、兵士たちは怯懦に足を縫い止められた。

「兄貴、皇帝陛下よりの勅令です」

 エルンストはそう宣言すると、懐から一枚の書状を取り出した。ひらひらと振りかざし、折り畳まれた書状を広げた。

「どれどれ――国家転覆を計った叛逆罪により、ルフェルト・セルトワの《帝騎警》副総監職を解任し、シェルレアン帝國皇帝の名を以って、汝を極刑に処す」

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