第四章②

 轟々と吹き荒ぶ風が、朽ちた城を巡る。

 雷鳴が呼んだ雨は嵐になりそうだった。

暗く沈んだ曇天に、城内にいる彼らは気付かない。

雨が打ちつける協奏を、他人事に聴いているだけだ。

 アンザース城の入り口に近い回廊で、ユリンカとルフェルトは対峙していた。

「ユリンカ、無意味な抵抗はやめることだ。お前がいくら抵抗しようとも状況が変わることはない。お前は、ここで孤独のまま朽ちる」

 ルフェルトは冷たく、猛るユリンカを睥睨する。

 雨音が喧しいと言うのに、彼の軍靴が鳴らす冷たい響きは、しっかりとユリンカの耳に滑り込む。

 それよりも、鼓動がやけにうるさい。

「無意味? お兄様は抗うことを無意味だと言うのね?」

「お兄様、か。我が妹――その呼び方も違うな。叔母上、とお呼びしよう」

 ずい、とルフェルトが前に出る。ユリンカの手にした弩にも、全く動じた風でない。

 底冷えした黒真珠の瞳で睨まれても、逸らしもしなかった。ユリンカの方が根負けして背けそうになるほどだ。

 威厳のある声で、ルフェルトは宣告する。

「叔母上、あなたはここで朽ちるのだ」

「わたくしを……わたくしを殺すためだけにあのような者と手を組み《ヴィッカー通り》を潰そうとしたと、あまつさえミハイルに手を汚させようとしたの!?」

「そうだ、私はお前が邪魔だ」

 圧倒的な威圧感――負けてたまるものか、とユリンカは歯を食いしばる。

 屈してはならぬ、と炯眼がますます熱を帯びる。

「祖父上が遺した最後の娘……父上も随分と苦悩したようだよ。祖父上の遺言には、父上が亡くなった後はお前がセルトワを継ぐ、と書き記されていた。父上も本当は息子に後を継がせたい、親がそう考えるのは自然なことだ。だが、父上は優柔不断だった。祖父上の遺言を握り潰せるのに、それをしていいものかとひたすらに悩み続けたのだ。最も、今は柵から解き放たれているがね」

 淡々と、ルフェルトは憎しみを混ぜた毒を落としていく。

ユリンカとの最後の会話を楽しむように、それでも表情を崩さないままに。撒いた棘の猛毒に、彼女が刺されて命を絶たれることを切に望みながら。

「最期は安らかに眠られたよ。子から親への、せめてもの孝行だ。じわじわと苦しませるのも忍びなく思えたのでな」

 ユリンカは目を見開き、絶句する。

 ――今、兄は何と言った?

 告白の内容に、愕然とする。

 冷え冷えとした回廊が、さらに冷却される心地を覚えた。兄の言葉を反芻し――その意味を、吟味する。味わえば味わうほど、心の底に、闇の色をした何かがでっぷりと横たわっていく。

 ――殺した?

「お、お父様を……?」

 ユリンカは、膝ががくがくと震えるのを感じる。

 目の前にいる彼の姿が、見たこともない異形へと転ずるような心地さえ、覚える。

「まだあれを父と呼び、私を兄と呼ぶか。偽りの関係に縋るか。それも良かろう。父上は私よりもエルンストを後継者に据えようとしていたからな。あの昼行灯に何ができる? 帝國に――セルトワに尽くしてきたのは、エルンストよりも私の方だ。セルトワ次期当主の座は誰にも渡さぬ」

 暗い告白をこぼし、ルフェルトは右手を挙げる。彼の挙動に、周囲の兵士が一歩前に出、ユリンカを取り囲んだ。

ぎらり、と幾重にも張り巡らされた刃の網が、どこか絵空事に思える。

 ――逃げられない。

 ユリンカは悟った。

 兄の執拗な固執から、今逃げ出すことはできない。退路など、端からない。

 ユリンカの表情が変わったのを見て、ルフェルトは感嘆の息を吐いた。

悲愴なまでの決意を秘めた少女の面差しに、沈殿され醸成してきた憎々しさが浮上してくる。自分の未来を常に脅かしてきた小娘に、もっと絶望を感じさせたい。

 暗い欲望に、大声で笑い出しそうなのをぐっと堪える。

「ほう? 抗うと言うのか。だが、お前に人を殺せるのか? いつもミハイルやセシエレに護ってもらっていたお前が。――そういえば、セシエレも今頃は空でお前を待っているぞ?」

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