第四章

第四章①

 静謐が、その場に舞い降りる。

 それを許さじと城の壁が、不気味な地鳴りにびりびりと震動する。

 夕立か――雷鳴が轟いた。

 荒い息を吐く男と、涼しげにそれを見つめる男、そして寝間着の少年。

「だんだん自分で考えるのも億劫になってきただろう? 君の魂を拘束しているものを教えてあげようか?」

 ルジェは、虚ろな目をした少年を手元に手繰り寄せ、膝を突くミハイルに囁いた。

「言葉も徐々に消えていく。大丈夫、心配いらないよ。忘れていくだけで消滅してしまうわけじゃない。僕があの男――ヴィニに殺されれば、自然と君は死ねるし、この坊やも元に戻れる」

 立ち上がろうとするも、力が入らない。

 ――違う。筋肉が弛緩した、というわけではなかった。自分の意思で身体を動かせないのだ。

「君やこの坊やを束縛しているのは、僕の《誓呪》だよ。やっと完成してね――実に苦労したよ」

 遠くで、ルジェの声が木霊している。殷々と頭に流れ込む言葉の奔流も、心へ届くより遥か前方で霧散してしまう。自身に何が起こっているのか――それすら、思考を紡げない。

「君に語っても仕方がないけれど、ちょっとした時間潰しに、僕らのことでも教えてあげようか」

 ルジェは広間をふらり、と歩く。

「君たち《ディナ・シー》ではない人は、僕らのことを誤解していてね。特にヴィニは間違った知識を植えつけられている。僕らは別に何かを誓い、何かを犠牲にしているわけじゃないんだよ。僕らにとっての制約は、僕らの魂そのものなのさ。生まれた時からすでに《異の力玉》に支配されている、と言ってもいい。《異の力玉》は言ってみれば、僕らに寄生した存在だ。――精霊、と言ってもいいかもしれないね」

 ルジェは足音を響かせ、蝕む苦痛と闘っているミハイルの周囲をぐるりと回った。少年は無表情に、ルジェの動きを追いもしない。

「例えば、その精霊に力を借りれば何もないところから道具を産み出すこともできる――こんな風にね」

 冷え、澱んだ空気に亀裂が生じる――そこから噴き出た黒い霧が、ルジェの白い腕を覆う。ぎらり、と闇が光る。

「……でも、これは僕にとっては呪われた力そのもの――枷だ」

 闇が亀裂に吸い込まれ――ぴたりと閉じる。

「そこで僕は考えた。力を失わずに、その精霊から逃れられる方法を」

 雷の後に降りはじめた雨は、強さを増していく。城の屋根を叩く雨粒の演奏が、静寂に寂寞を添えた。

「僕の身体にいらないものがあるなら、他人に移せばいい。それに気付くのは早かったけれど、簡単なことじゃない。だから僕は利用したってわけさ、この街を」

 少年の傍へ戻り、彼を抱き締める。

 いとおしむように、優しい眼差しで彼を見つめる。

「そして、やっと完成した。彼が、僕の精霊の器となる――ニコラ君だ。君のご主人様が必死に助けようとしていた少年、それが彼だよ」

 優しくニコラの髪を撫で、ルジェは艶やかな笑みを浮かべる。

「大人は、すぐに拒絶反応を起こしてしまう。子供は柔軟でね、受け入れてくれたよ」

 ミハイルはルジェの話を聞いていない。聞こえない。

「まぁ、まだ完全というわけじゃないよ。完成するには、どうしても邪魔なんだ。僕の片割れであるヴィニ・ゲインズブールが。奇妙な具合に僕と彼の魂が絡まっていてね、ほぐす方法がわからないから、彼を殺そうというわけ」

 ルジェはしゃがみ、ミハイルの顎を持ち上げた。彼の黒瞳は濁り、何ら景色を写していない。ルジェは嬉しくなった。

「ほら、もう苦しくないだろう? 僕の《異の力玉》の一部を流し込んだからね。そのまま何もされなければ、君はただの宝石になる。とても綺麗なんだ、人間が結晶になるとうのは――どんなに見苦しい人でも」

 傷口をなぞる。

 痛覚はおろかあらゆる感情が排されたように、呻きもしない。

 ゆっくりと、ミハイルは立ち上がった。

 その瞳は全てを失くし、ルジェを見つめる。黒に映った銀月の男は、優雅に笑んだ。

 ミハイル・ディアレは無言で、ルジェに跪く。

 ルジェは、満足気に両手を広げた。自身の存在を誇示するように、静寂に佇む。

「僕はセルトワの内紛などどうでもいいんだよ、もう僕の目的は半ば達したも同然だからね。君はしばらく僕の騎士として活躍してもらおうかな。カペラ様を絶望させるまでは」

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