第三章⑮

 息が切れる。

 アンザース城の回廊は、静かなものだった。

周囲に安置された埃塗れの、それでも豪奢な鎧の騎士たちが、冷たくユリンカを見下ろしている。

 迷うことを覚悟していたが、幸運なことにアンザース城の構造はチェバーク城と酷似していた。建造者は、アンザース城をそのままチェバークに移そうとしたらしい。

 ありがたさを噛み締めている余裕はない。

「はぁっ! はっ! い、急がないとっ!」

 急がなければ、ミハイルが死んでしまう。

 ユリンカは、ただその衝動のみを原動力にし、止まれば壊れそうな足を突き動かす。

 ――死なないで、ミハイル。

 願いが届かないことくらい、彼女にもわかっていた。認めたくない、誰の死も認めたくない。願いが聞き入れられるのなら、何だってする。

 こんなところで足を止めては駄目だ。自分はまだ頑張っていない。報いるための努力をしていない。だから、休んではいけない。

 必死にそう言い聞かせて、城の入り口を目指す。

 川を渡ることなど、ユリンカは失念していた。とにかく急ぐ――その思考が脳内を埋め尽くしている。

 焦燥に駆られ、回廊を走る。右、左、左、右、右――。

 開けた直線の廊下を真っ直ぐ――入り口へ差し掛かった時、ユリンカは足を止めざるを得なかった。

 ――囲まれている。

 気付いた時には既に遅く、十数人の兵士が自分を取り巻いている。彼らは全員、《帝騎警》の制服を着用し、あろうことか抜剣している。ずらり、と並べられた白刃は、身を竦ませる迫力に満ちていた。

――こんなところで屈してたまるものか。

ユリンカは憎悪の眼差しで彼らを睨んだ。鋭い眼光に怯む者は誰もいない。普段犯罪者を相手にする彼らが、貴族の娘とは言え、人を殺傷したこともないような小娘の三白眼に動じる道理もない。

弩を、ぎゅっと握り締めた。

「あなたたち、そこをおどきなさい。わたくしが誰だか――ユリンカ・セルトワであることをおわかりですか!」

 一喝にも、せせら笑うかの如く、兵士たちは道を譲らなかった。ユリンカは息を吸い込み、弩の矢を彼らに向けた。ぎらり、と突き出た鏃が獰猛な光を放つ。

「おどきにならないのなら、ぶっ放しますよ!」

 普段は言わない言葉遣いで、脅しをかける。彼女の鬼を彷彿とさせる形相と、ぎらぎらと底冷えした眼に射竦められて、兵士の一人が息を呑んだ。ボウガンを構える少女に覚えた恐怖が周囲に伝播する一瞬前、

「臆するな」

 彼らの後ろで、誰かが溜息を吐いた。

 銃声。

 動揺した兵士が崩れる。

 撃たれたのだ、と思った時には、彼は息を引き取っていた。

理不尽な、唐突な断罪。

 動揺したのは、兵士たちだけではなかった。ユリンカも、突然の凶行に目を剥いた。

「娘一人に怯える兵など、不要だ。――ユリンカ、お前はミハイル・ディアレに殺されたのではなかったか?」

 威厳に満ちた声音に、ユリンカは心がざわつくのを感じる。頭に血が昇り、沸騰するのを抑えるのに必死だ。

 妹を人質に取るという卑劣な手段を盾にして、ミハイル・ディアレに耐え難い重責を負わせた――憎むべき、敵。

「ミハイルがしくじったか。それで? お前は彼を殺してここにいるのか?」

 犬歯が唇を突き破り、滲み出る鉄の味。

 彼女が生まれて初めて味わった、憎悪という名の苦痛。これほどまでに、人を侮蔑し憎んだことはない。憎い、彼が恐ろしく憎い。

それを与えたのは、目の前に立っている全ての感情を顔から消している男――。

「お兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッッッ!」

 怒りを孕み、震える絶叫が、ユリンカの口から迸った。

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