第三章⑨
視界を阻まれ、何が起こったのかわからないユリンカは、呆けた声を漏らすしかなかった。何かが、自分に覆い被さる気配を感じる。
――ぴちゃり、と頬に触れたそれは、生暖かい液体のようだった。
拍子に、目隠しの布がずれる。
ユリンカは、眩しく白む視界の中で、彼の姿を探した。
どこにも、ミハイルの姿はない。それどころか、目の前にある何かのせいで、景色が暗い。
「……ミハイル?」
「良かった……大丈夫ですか、お嬢様?」
彼は、自分を抱き締める形で、何かから護ってくれていた。
「大丈夫って何が……?」
頭が痺れたように、思考がまとまらない。震えに、歯がカチカチと鳴る。ああ、厭だ。
力なく微笑むミハイルが、手足の拘束を解いてくれている。その光景を、呆然とした面持ちで眺めながら、ユリンカはミハイルの身体の一点から視線を外せない。
あれは、何だ?
――右胸から突き出たあれは、一体何?
ミハイルの背中を貫き、右胸と肩の境目から生えたそれは――。頬に触れた液体を指でなぞる。赤い。
少女は、自由になった手を恐る恐る伸ばそうとして、引っ込める。ミハイルは弱々しく微笑み、立とうとして――ぐらり、と身体がよろめいた。
ずしり、と彼の重みがユリンカにかか――らない。主を汚さまいと、ミハイルがどう、と床に頽れる。
「ミハイルッ! あなた……矢が……矢が!」
「大丈、夫です。それよりお嬢様、お逃げください」
ユリンカの狼狽を、ミハイルのか細い声が塞ぐ。その視線は、ユリンカには注がれていない。自身の後方に、気を張っている。
「そうは言っても、そんなに血が……っ!」
頬に付着したのは、矢から落ちた血の雫――赤は染みとなって、ミハイルの服を汚している。
ミハイルは少女の頬に、取り出したハンカチを当て、血を拭った。
「大丈夫、大丈夫ですから」
ユリンカを宥めながらも彼の瞳は炯々と敵意に燃え、広間の入り口――褪せた赤い絨毯の辺りを見据えた。
「困るよ、ミハイル・ディアレ。せっかくお膳立てしてあげたというのに」
ユリンカは弾かれたように顔を上げた。
一体いつの間にそこにいたのか――銀月の髪をなびかせた男は、場違いなほど優雅な笑みを浮かべ、手にした弩を弄んでいた。
ミハイルが持っていたものと同一ではなく、証拠に、ミハイルの弩は離れた場所に落ちている。
「無粋だな。せっかく心を痛ませている君の代わりに僕が手を汚してあげようとしたのに君が僕の邪魔をしたら、本末転倒もいいところだろう?」
凍結した空間に彩りを添えたのは、冷え冷えとした声だった。
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