第三章⑦

 ヴィニは窓を軽く指でなぞる。割れば、間違いなく中の連中に気付かれるだろう。

 そこで、ヴィニは思い出したようにセシエレを呼ぶ。

 ヴィニとは別の場所を探っていた彼女は、呼びかけに応じる。

「何でしょう?」

「そもそもの疑問なんだが。……嬢ちゃんを誘拐して、何か得があるのか? 確かにセルトワ家令嬢だが末席で、決して優先順位は高くないはずだ。そんな嬢ちゃんが今後、皇位を継ぐという可能性も皆無に等しい。多少の危険を冒してでも、ルフェルト・セルトワやエルンスト・セルトワを拉致した方が、セルトワは崩せる。こう言っちゃなんだが、嬢ちゃんの場合、いざとなればセルトワは切り捨てられるだろう?」

 彼は、単なる疑問を舌に乗せる。

 一般に広まっている認識では、ユリンカ・セルトワはあくまで『セルトワ家四女』という立場であって、そこまで重要視されてはいない。彼女は貴族ではあるが、末端なのだ。

 セシエレは、数秒考える素振りを見せた。

 そして、何かを決心したように口を開く。

「――あなたももう、部外者ではありませんからね。いいでしょう、お話します」

「ああ、ちょっと待ってくれ」

 自分から振っておいて、ヴィニは待ったをかけた。セシエレの言わんとすることが、とてつもない重みを持っていることを悟ったからだ。

「ええ、あなたの想像通りでしょうね。これを聞いたからには、あなたは間違いなくセルトワに一歩踏み込むことになります。――ただ、お嬢様は私の話そうとしていることをご自身は知りませんし、私にもあなたを拘束し害するような考えはありません。口外さえしてくれなければ、落ち着いたら帝都を離れることもできましょう。どうなさいますか?」

 淡々とセシエレの言葉が、静寂の森に染み渡る。小声であるのにも関わらず、鮮明にヴィニの耳へと届けられた。

 ――仕方がない、か。

 ヴィニは胸の裡で呟く。乗ってしまった船だ、最後まで付き合うのは筋だろう。今後の身の振りはそれから考えればいい。

「――聞かせてくれ」

 セシエレは淡く微笑んだ。

「いいでしょう。――けれど、終わってからにしませんか? 間違いなく長い話になりますから」

「わかった。それにしても、《銀月の死者》……俺は少し引っかかっているんだ」

「と、申しますと?」

 ヴィニは窓から離れ、

「俺は、ルジェが絡んでいると見ている」

 とだけ言った。それだけの言葉で、セシエレは彼の言いたいことが飲み込めたようだった。黙して、洋館の裏へ向かう。器用に、踏んだ木の枝などが音を立てないよう、工夫をして歩いている。

 ヴィニは、入り口の方向だ。

「向こうから仕掛けてきたのなら、手間が省けていいんだけどな」

 ヴィニは頭を掻いた。手にした剣は、まだ鞘から抜く時ではない。生い茂る草の匂いに、思わず口元が綻ぶ。昔、里でこうしてルジェと遊んだものだった。ルジェは隠れるのが下手だった。

「銀月――あいつの好きそうな言葉だよ」

 哀愁を漂わせるその言葉を吐いた時、正面からセシエレがやってくる。彼女は、首を横に振り、他に出入り口がないことを知らせていた。

「やはり、入り口はここしかないようです。もしかすると、地下道があるのかも知れませんが……この場所ではそれを探すのは困難かと」

「もう、形振りかまうわけにはいかないか。――手早くやろうかね」

 あくまで軽く、ヴィニは歯を見せる。

 その手に収まった剣を、ひらひらと主張させた。

 セシエレは真剣な顔つきで頷く。

 ヴィニは剣を構え、腰を落とす。

 軸足をしっかり、地面に縫い付ける。

 セシエレが彼の傍を離れた。

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