第三章⑥
「ここか?」
ヴィニは、今にも崩れ落ちそうな洋館を見上げる。
住民に放置されて、相当の年月が経つらしい。周りは鬱蒼とした木々に覆われていた。
「……ええ。エルンスト様宛ての脅迫状が事実であると仮定するならば、ですが」
――シェルレスタ郊外、《ヴィッカー通り》とは正反対にある裏寂れた場所だ。
「しかし、おあつらえ向きというかお約束というか……身も蓋もない場所だな、ここは」
苦笑と共に草を踏みしめる音が、静かに鳴る。
「確かに。けれど、私たちに与えられた情報はシフ・ジフの存在と脅迫状のみ。第一、私個人の網を使って行方を捜すのにも、時間がありません。一応、網には頼んではありますが……罠とも限らないですから。エルンスト様は《帝騎警》を動員して下さりましたが、ユリンカ様の私兵として動けるのは、私とヴィニ殿だけです。……ミハイルまで消えてしまうとなると、ユリンカ様と共に拘束されている目算が高い」
セシエレは表情を崩すことなく、小声で言う。
洋館の傍には誰も視認できないが、中には明らかな人の気配があった。洋館内にいる人物たちにこちらの気配を知らせることは、得策ではない。
「まぁ、囲んで下さっている《帝騎警》の皆様の期待には添えたいね」
ヴィニは頬を掻き、辺りに目配せをした。
鬱々とした木の影に隠れて窺い知ることはできないが、《帝騎警》の人間を十数人程度、待機させている手筈である。事は貴族の誘拐――さすがのルフェルト・セルトワも腰を上げざるを得なかった。
エルンストへ届けられたユリンカ誘拐の脅迫状には、この場所に幽閉している、と記されていた。差出人は、《銀月の死者》という組織。《帝騎警》保有の記録帳簿に、同名の犯罪組織は該当しなかった。
だが、セルトワ邸に現れた
彼ら《銀月の死者》の要求は、《ヴィッカー通り》の無条件譲渡――これには、関係者全員が意図を測りかねた。その上、直接的な金品を要求するでもなく、丁寧にユリンカを監禁しているところへの地図も同梱されていたのにも、全く理由が掴めなかった。
彼らの目的自体が、要としてわからないのだ。
本来、決断を下す立場であるセルトワ家現当主ラーバンス・セルトワは病床に臥せっており、思うように指揮を取れず、ユリンカ奪還の全権をルフェルト・セルトワに委ねることになる。
当初、「《帝騎警》を総動員して確保せよ」とルフェルトが号令を発したのを、エルンストは止めた。代わりに、ヴィニとセシエレに幽閉されているとされる場所へ行くよう命じた。主君をみすみす攫われた名誉を挽回する、という名目で。
結果、セシエレとヴィニが先行して乗り込み、二人の合図を待って、《帝騎警》が突入する計画になっている。
――最も、脅迫状そのものが罠であるという仮定も絡めて、《帝騎警》を総動員するのを嫌った、という側面もある。また、他の六貴に付け入る隙を与えないため、全てを隠密に処理しなければならないためもあった。
《帝騎警》が表立って動けば、帝都中にユリンカ誘拐の醜聞が露見してしまう。それを、エルンストは配慮したのである。
静寂の中に、鳥の鳴き声が響く。
草木の陰から耳を刺激するのは、虫の音だ。
「もう少し近づきましょう」
木々から身を曝さず、セシエレは先導して洋館の傍へ辿り着く。
洋館の外壁に触れると、見た目以上に傷んでいた。誰かがこちらを観察している気配も何もなかった。
不気味なほど、静まり返っている。反して、洋館の中から確かに感じられる人の気配が、奇妙に思えた。
「ガラスはきちんと張り直してあるな。確かにこの辺は少し寒いから妥当か。……セシエレ、ちょっといいか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます