第三章②

 ――抜け出さなくては。

 牢に嵌め込まれた鉄格子付きの小さな窓から、陽光が射し込む。夜が明けたのだ、と思うと居ても立ってもいられなくなる。

 焦りを弄んで、まとまらない思案が心に障る。

 ――けれど、抜け出すったって……どうやって?

 ユリンカはおもむろに立ち上がり、鉄格子の傍まで歩み寄る。窓からは昼の光が射し込んでいるというのに、廊下は相変わらず蝋燭の灯りだけで薄暗い。

 見張りも誰もいない。

 昨晩、あのルジェという男の瞳を見た瞬間、意識が暗転した。何らかの力が作用したのだろう――ユリンカは、あれこそが《誓呪》であると結論付けた。催眠術の類と予測しても、強すぎる効力だ。

 それに加え、あの趣味の悪い女――シフ・ジフのことを思い出し、腸が煮える心地になる。ミハイルに化け、自分を欺こうとした――何て、何て嫌な奴!

 彼ら二人がどういった組織で、自分を拉致監禁する理由も見当たらない。

――否、理由は明白だ。セルトワ家末席とは言え、ユリンカはまがりなりにもシェルレアン貴族だ。身代金を要求したり虜囚を解放することなど、誘拐犯の要望が、容易に想像できる。

 彼ら二人の素性がどうであれ――ここから抜け出して、セシエレのところに帰るのは至上命題だった。

 ――ミハイルは、どうなったのだろう? あの嫌な女が化けていたけれど、本物のミハイルはどこに行ったのだろう? 自分を探しているには違いなかった。

「……はぁ、どうしたものかしら」

 ユリンカは溜息をこぼし、鉄格子を揺らす。わずかな期待――牢の扉は開いているわけもなかった。

ルジェと名乗ったヴィニに瓜二つである男や、あの嫌な女――シフ・ジフが、捕らえた者を自ら解放するなどという、間の抜けた真似をするような連中には見えない。

 八方塞がりのよう――雨も降っていないのに、暗澹たる気持ちを隠しきれない。

 石壁に背をつけ、天井を見やる。

「……ニコラ……どうなったのかしら……」

 憂慮が胸を締め付ける。セシエレとヴィニがうまく薬を入手していることを祈ることしか、自分には残されていないのだろうか。

「――違う」

 強く、否定する。

 自分は――ユリンカ・セルトワは、牢に押し込められたからと、くすぶっているような人間ではないはずだ。セシエレとヴィニが薬を入手している可能性を期待して憂慮しているだけならば、ここで野垂れ死ぬだけ――そんな結末は御免被りたい。

 自分の誇りにも多大に関わる。シェルレアンの内政を変革し、富める者も貧しい者も公平に生きられる国を作る――。その理想を実現する前に、こんなしみったれた場所で朽ちるなんて、考えるだけでもおぞましい。

 それこそ、報われない。

 ――少女カペラのように。

「抜け出さなくては。セシエレたちも心配しているはず」

 ――どうやって? どうやって逃げ出せばいいのだろう? そもそも、ここはどこなのだろうか?

 自分がこの場所に対しての情報を何ら持っていないことに気付き、ユリンカは頭を抱えたくなった。

 どこか確認できるものさえあれば――小さな窓があることを思い出す。窓に目をやれば、自分の身長では届きそうにない高さであることに落胆する。

「足場にできるものがあればいいのだけれど」

 牢を見回す。

 台にできそうなものは、なかった。牢の中に存在しているのは壁から生えた、ベンチなのかベッドなのか、判別しづらい代物だけ。窓から外を見ようと思えば、そこから跳んで鉄格子を掴むより他はないだろう。

「――よし」

 ユリンカは、拳を作り自分を鼓舞した。

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