第二章⑫

「俺も混ぜてくれ、この三文芝居に」

 闖入者――セルトワ家次男はずかずかと絨毯を歩き進め、わざとらしく大仰に腕を広げて見せた。

セルトワ家随一の役者として知られる彼にとっては染み付いた仕草――元来の華やかさと相俟って、嫌味にはなっていない。

「どたばたとうるさいから何事かと思えば――詰めが甘かったようだな、ミハイル」

 弾かれたように、セシエレはエルンストを見やる。

「おや、見知らぬ顔があるな。名前は?」

 セシエレとシフ・ジフの存在を無視して、エルンストはヴィニに誰何する。エルンストの介入によってもたらされたのは、張り詰める緊張感。

「――ヴィニ・ゲインズブール。ユリンカ・セルトワに雇われた新米さ。セルトワ家の次男坊、エルンスト・セルトワ卿か?」

「ああ、侍女が言っていた気がするな、妹に新しい使用人ができた、と。その通りだよ、俺はエルンスト・セルトワという。そちらは《シェラー》か? 愛しい妹も、面妖なことをする。ま、俺は家柄などに拘らないからな。あいつは気が強いから手を焼くとは思うが、よろしく頼むよ。――そういえば、そのユリンカの姿が見えないようだが? どこに隠した、ミハイル?」

 微笑を崩さないエルンストに、シフ・ジフは言い様のない怖気を感じた。自分がミハイルでないことを、見透かされている――刻一刻と状況は不利になり、確かに聞こえてくる死神の足音。

 忌々しいことこの上なかった。《百貌》と謳われるこのシフ・ジフが、慈悲を以って放った一撃を躱され――挙句、追い込まれることなど。否、そのことは認めよう。ヴィニ・ゲインズブールを度外視していたわけではないのだから。

 錠前の外れる音を手で抑える。

これで、逃げる準備は万全だ。

「エルンスト様、危険ですので下がってください」

 セシエレの制止に、芝居がかった動きでエルンストは足を止める。軽薄な笑顔から零れ落ちる無形の威圧感に、室温が下がっていく。

 時間が凍結する感覚――わずか数秒の沈黙を破砕したのは、シフ・ジフ。彼女は無言で、ベランダコートへ繋がる窓を蹴り壊すと、飛び散るガラスの破片と共に身体を夜気へ投げ出した。

 まさに、一瞬。

 誰もが身動きを取れない内に夜の空を舞うと、闇に溶け込む。

 疾駆するセシエレとヴィニも間に合わない――彼らの視界から消えるミハイル・ディアレの面差しは、明らかな嗤笑を刻んでいた。

「追うな、セシエレ。追わなくていい、ゲインズブール君も」

 エルンストは悠々とソファーに腰掛けると、葉巻を咥える。

「何が起こっているのかもわかっている、愛しい愛しい妹――ユリンカが攫われたのだろう?」

 驚愕に、セシエレは目を丸くする。彼女も今し方知ったばかりだというのに、どこで知ったのか。

ヴィニは黙し、エルンスト・セルトワを眺めている。彼は、セルトワ家にあっては新参者――口は挟まない方がいい、と判断したのだろう。

「エルンスト様……ご存知なのですか?」

 頷きもせず、エルンストは得意気に、懐から一枚の紙を取り出した。

「それは?」

 セシエレは彼の手に握られた紙を注視する。

手のひらほどの大きさをした紙片だ。

産業革命により成長の著しいシェルレアン帝國であっても、偏見からか使われることの少ない、木材を漉いて拵えた紙。信頼性の高さに、宮廷や市井で広く使われている羊皮紙とも異なる、薄っぺらさ。

「それは……まさか?」

 何かしらの文字が書かれているのが判別でき――セシエレの表情が険しくなる。

エルンストは愉快そうに、肩を揺らす。

「お前の想像の通りさ、セシエレ。これはユリンカの誘拐について書かれた――いわば、脅迫状だ」

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