第二章⑩

 セシエレは無言で追撃に移る。

今度は男も黙ってはいなかった。襲来する彼女の拳を腕で受け、力を分散させると短刀を一閃させる。

「っ!」

 彼女が身体を後方にずらし銀の流線をやり過ごそうとした隙を狙い、襲撃者は返す刃で斬りつける。それもセシエレは難なく躱したように見えたが、反するかのように彼女の頬が薄く切れる。動揺することなく男の足を払い、腕を掴むと引き寄せ、浮いた身体の下に自身を滑り込ませると、背負い投げの要領で投げる。

傷つき手負いになることなど、主人を護るという職務にあっては日常茶飯事だ。いちいち気にしていられない。

「お嬢様とミハイルはどこです!?」

 セシエレは、襲撃者が床に背中を強かに打ちつけた衝撃で緩んだ手から短刀をもぎ取り、剣先を突きつける。彼女の空いた手は、襲撃者の肩を押さえつける。

仰向けに転がされた彼に、セシエレは半ば馬乗りになった。

「答えなさい、お嬢様とミハイルはどこです?」

 ミハイル・ディアレと同じ相貌をした人物は、悪びれた風もなく笑んだ。

意図の読めない嗤笑に、今にも怒鳴りつけたい気持ちを抑え込み、セシエレは三度詰問を繰り返す。

「オレの負け、か? どう思う、ヴィニ・ゲインズブール?」

 襲撃者はセシエレを無視して、傍観していたヴィニに視線を投げかけた。

身動きの取れない状況にありながら、襲撃者はふてぶてしいとも言える態度を崩そうとはしない。ミハイル・ディアレのまま嘲りに歪む顔が、とても醜悪に思える。今にも自分を刺し貫こうとする短刀を、恐れてはいないようだった。

「ああ、負けだな」

 ヴィニは肩をすくめた。問いを封殺されたセシエレは、襲撃者に突きつけた刀身を寝かせ、首筋に当てる。

「おお、怖い怖い。可愛らしい顔が醜く歪んでいるぞ、ふふふ、ふはは」

 襲撃者はミハイルの面差しで、いやらしく哂う。

神経を逆撫でる声に、セシエレは短刀を握った手に力を入れることで応えた。

 つう、と襲撃者の皮膚が薄く切れ、赤が滲む。

 襲撃者の瞳がすぅ、と細められる。恐怖を覚えたわけではないのだろう、口元はへらへらと哂ったままだ。

「そうか、君は《百貌》だな。シフ・ジフだったか?」

 ヴィニは記憶から検索した名前を舌に乗せる。

「シフ・ジフ……《変貌の魔女》か!」

 セシエレは襲撃者を凝視し直し、声を上げた。《変貌の魔女》、《百貌》――シフ・ジフは、裏社会で悪名高い暗殺者の名前だ。彼女の狙った獲物は幸福あるいは絶望の内に死ぬ、と言われている。

闇の世界に名高い百の顔を持つもの、その異名の由縁は――。

「なるほど、確かに噂を裏切らない変装だな。声までも変えてしまうとは」

 ヴィニは、愉快気に笑む暗殺者を素直に賞賛した。

「こんなに早くわかってしまうなんて……オレも有名になったものだ。あの剣士ミダの直弟子に褒められるとは、恐悦至極だね」

 圧倒的な劣勢にあっても、襲撃者――シフ・ジフは不敵に笑み続ける。言われてはじめて、セシエレの抱いていた曖昧な違和感が形を成す。

「言わなくていいさ、セルトワの従者。そうさ、俺は女だからな」

 セシエレの顔を見つめ、シフ・ジフは言った。どうやら、顔に出ていたらしい。悟られた動揺を押し殺し、詰問することで紛らわせる。

「答えなさい、《変貌の魔女》。お嬢様とミハイルはどこですか?」

「ふふ、ふははははははは! そんなに聞きたいか、聞きたいのか? ああん? そんなに聞きたいなら、オレを殺して糞塗れの死体にでも聞いたらどうだい?」

 シフ・ジフは哄笑し、己の生殺与奪を握ったセシエレを口汚い言葉で挑発する。首に当てられた刃の冷ややかさにも、全く動じた風ではない。

「そら、腕の力が弱まっているぞ? どうした、使用人? ふ、ふふふ」

 シフ・ジフの嘲弄が耳に障る。

「力任せにオレを押さえつけていても、無駄だぜ? お前如きの力なんて、簡単に抜け出せられるからな。……ほら、外れた」

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