第二章⑦
「お嬢様」
車中に舞い戻った沈黙を切り裂いたのは、再びミハイルの方からだった。
彼は、ユリンカが今まで見たことのないほど酷く、張り詰めた顔をしていた。ただごとならぬと思った彼女は、そのまま部下が口を開くに任せる。
ミハイルは言いあぐねている思考を束ねているかのようであった。
「お嬢様に、申し上げたき事柄がございます」
時間をかけて彼が舌に乗せたのは、改まった言葉。前を見たまま、決してハンドルを離そうとはしない。
「このような場所で打ち明ける事柄ではないかも知れませんが――っ!?」
刹那、ミハイルはハンドルを切る。同時に、側面の窓ガラスに亀裂が入った。何事かを確認する余裕すらなく急激な動きに車内は弾み、ユリンカは小さく悲鳴を上げた。
「な、何――きゃあっ!?」
「お嬢様、頭をお伏せ下さい!」
ミハイルは背後を鏡で確認しながらも、巧みなハンドル捌きで車を走らせる。
駆動車は雨を切り裂き、水溜りの水を跳ね飛ばして畦道を走る。
イェレ区のすぐ傍と言っても舗装はされていない剥き身の道で、車は派手に振動を車内に伝える。胃はおろか内臓が浮き沈むような苛烈な感覚に、ユリンカは顔を蒼ざめさせた。乗り物に弱い方ではなかったが――ここまで揺れる遊具で遊んだことはないし、こんなにも酷く揺れる嵐の船に乗ったこともない。
「舌を噛まないようお気を付け下さいませ!」
不思議なほど滑らかにミハイルが喋ったのを鑑みる余裕が、ユリンカにはなかった。上下左右に弾む座席から放り出されないよう必死に、装着した安全ベルトにしがみつく。
何者かの襲撃は、蛇を彷彿とさせるほどしつこく、まだ止む気配を見せない。
初弾を除いて巧みに避けているが、その度にユリンカは目を強く瞑り、嘔吐感に堪えている素振りを見せる。
「くっ!」
鉛の弾丸――蜘蛛の巣のような模様をガラスに描き、二弾目が着弾する。
ミハイルは歯噛みし、ハンドルを切る。
襲撃者がどこから撃っているのか車内から確認はできず、駆動車は畦道を突っ切る。
なおも襲撃は止まない。まるで、どこかへ駆動車を誘導しているかのようだった。イェレ区からどんどん遠ざかっていくのがわかる――否、離れざるを得なかった。
「ミハイル……じょ、状況は?」
揺れ続ける振動を全身に受けながら、ユリンカは舌を噛まないようゆっくりと訊ねた。
「わかりません。どこから狙撃しているのかも」
ミハイルは視線を四方に巡らしながら、答えた。何故か、銃撃は止んでいる。その静けさは、さながら嵐の目の中にいるようであり、不気味さを伴っている。
ユリンカは恐る恐る目を開け――驚愕した。前方に、しゃがんで遊んでいる子供がいるのが見え――思わず声を荒げた。
「ミハイル! 今すぐ車を止めて! あの子たちを轢いてしまう!」
ミハイルはユリンカの声に聞こえていないのか耳を貸さず、眼前の子供が見えていないかのように駆動車を加速させる。
ユリンカは反射的に身を起こし、必死の形相で彼を止めようとした矢先――彼女は、足下から不可思議な鳴動を聞いた。
――がくん、と床が沈み込む。
一際大きな衝撃音が響く。
今までにない衝撃が、駆動車を上下に揺らしたのだ。瞬間的に跳ね上げられたユリンカの身体が強かに車の天井を叩く。
息を詰まらせ座席へ叩きつけられる寸前、彼女は、弾け跳んだ車輪の後方に流れる様を横目に映した。
全身を貫く、鉛にも似た衝撃に、彼女の意識が吹っ飛ぶ。
暗転した意識の中でミハイルが自分に向けて言った一言を聞いている余裕が、ユリンカにはなかった。
耳をつんざく轟音が、辺りに響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます