第二章②

 ようよう搾り出されたユリンカの声音は、低く震えていた。今にも暴発しそうな感情を必死に抑えているかのように、きつく唇を噛んでいる。

「――ユリンカ、一時の義憤で動くのは容易いが、それはお前の命取りになるぞ」

「一時の感情? 悪害をもたらすものが出回り、民を苦しめる――為政者の立場に立つわたくしたち貴族が慮ること……それを一時の感情だと仰るの、お兄様は?」

 礼を欠いた口振りになるのを、ユリンカは止めようとはしなかった。

ルフェルトもまた、食いかかってくる妹を静かな瞳でひたと見据えている。

「為政者は皇帝陛下であって、我々ではない」

「言いたいことはそんなつまらない揚げ足ではございませんわ!」

 ルフェルトは深く長い息を吐き出す。

「いいや、ユリンカ。《帝騎警》を動かすということはそういうことだ。私がこの職権を濫用し、あの場所に介入すれば六貴の他家が黙っていまい。お前の感情一つで動かせるほど、この組織は単純なものではないのだ」

「ですが!」

「お嬢様、お静まりください!」

 今にも詰め寄りルフェルトの襟を掴み上げんばかりのユリンカを、ミハイルが制す。

「放しなさい、ミハイル! わたくしにはまだ言いたいことがある!」

「そう熱くなるなよ、愛しい妹よ。潔癖すぎるのは、この世界では損さ」

 ノックもせず入ってきたのは、だらしなく黒髪を伸ばした優男だ。

髪型から服装まで統一された質感を持つルフェルトとは対照的――着ているものは《帝騎警》の制服だが、それをだらしなく着崩している。首や手首には金属製のアクセサリーをぶら下げており、顎に無精髭を生やした顔には、軽薄な笑いが貼り付いている。

「入ってくる時の礼儀くらいはきちんとしろ、と言ったはずだ、エルンスト。……それよりも、お前がどうしてここにいる?」

 エルンストと呼ばれた青年は、肩をすくめると葉巻を咥え、火を点ける。

「ここは禁煙だ」

「そう堅いこと言うなって、兄貴」

 ルフェルトは不快に鼻を鳴らす。

弟が周りの意見など聞かないことは十二分に承知していた兄はそれ以上、注意はしなかった。その代わり、ルフェルトは立ち上がると窓を開ける。

雨の濃密な匂いが、部屋に入り込んできた。

「兄上は話が分かるね」

「勘違いするな、部屋に煙が充満しては困る」

肩をすくめるとエルンストは、ユリンカの方へ向くと煙を吐き出す。あまり煙が好きではなかったのと抱いた兄への心情から、彼女は露骨に顔をしかめた。

「……できればお会いしたくはなかったですわ、エルンスト兄様」

 目の前で葉巻を吹かしている優男は、もう一人の兄――セルトワ家次男エルンスト・セルトワだ。

「そう冷たいことを言うなよ、ユリンカ。相変わらず可愛げのない奴だな、我が愛する妹は。ミハイルも久しぶりだな、妹にこき使われていないか?」

「……いえ、エルンスト様。ユリンカ様はよくしてくださいます故」

 ミハイルは恭しく頭を垂れた。

「ま、つらくなったら俺のところに来ればいいさ。お前ほどの男だ、優遇してやるよ」

「心に留めておきます」

 軽口を叩き、エルンストはルフェルトに向き直った。

「兄上、俺の方からもお願いしたいんだが」

 ルフェルトの頬が、ぴくりと動いた。彼の威厳ある黒い瞳は、薄ら笑いを浮かべたままの弟を真っ向から射抜く。

「何をだ?」

「可愛い可愛い妹のたってのお願い――《帝騎警》を《ヴェッカー通り》へ派遣することを、さ」

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