第16話 第一容疑者

 一方のアリシアは再び眠り姫のもとを訪れていた。

 改めて観察しても、エリスはピクリとも動く様子はない。

 アリシアは腕を組み、息を一つ吐いた。


「どれだけ見ても、意味はないわね」


 とはいえ、現状打てる手は少ない。アリシアは少しでも手がかりを得ようと、再び眠り続けるエリスをつぶさに調べ始める。


「熱心ですね」


 背後から声がかかったのは、そんな時だった。

 確かに、アリシアは集中していた。

 確かに、誰かが来る可能性を排除していた。

 ――だが、だからといって。

 真後ろで声を出されるまで気づかないというのは、異常だった。


「どなた?」


 アリシアは平静を装って、振り返らずに尋ねる。


「シウム、と申します」


 その名前は、テオドアから聞いていた。

 テオドアの甥であり、そして、唯一の親族。

 すなわち、クリスとエリスが婿を迎えれらない場合、家督はすべてこの男のものとなる。


「……っ!」


 そこまで情報を整理した時点で、アリシアは後ろへと拳を放った。

 空気を切り裂く音が響く。しかし、何かに当たる音は、ない。


「乱暴ですね」


 いつの間にか声は、横からに変わっていた。

 焦ってアリシアは大きく後ろへと跳ぶ。一撃を避けられる自信はないが、少しでもダメージを緩和するためだ。

 だが、その予想していた一撃は来なかった。

 アリシアの視線の先で、シウムはただ、余裕の笑みを湛えて立っていた。


「落ち着いて下さい。私はただ、話をしに来ただけです」

「この件から手を引け、という話でしょう?」


 アリシアは内心にたぎる怒りを必死に抑えながら、応じる。

 シウムはいかにも驚いた、という表情を見せた。それが作り物のようで、またアリシアの癇に触る。


「女性なのに頭の回る方ですね。そうです。もちろんタダで、とは言いませんよ」


 魅力的な提案だった。正直、危険が大きな仕事を避けて、割のいい仕事を受ける。それが悪いとは、アリシアの考えではない。

 だが、このシウムという男との取引は、ない。

 ――この男は、自分を嘲笑っている。女だてらに頑張っている程度の存在、と。

 それがわかる。そしてそれを許せるほど、アリシアは達観していない。


「断るわ」


 その返事を予想していのだろう。シウムはそれ以上交渉を続ける気もないように、ただ頷いた。

 そして、やれやれ、と首を横に振る。


「どうも私は交渉が下手ですね。あなたの美しい姿を、暴力で汚したくないだけだというのに」


 瞬間、アリシアは沸点を超えた。

 ダンッ! という激しい踏み込みの音と共に、アリシアの身体が一気に加速する。シウムが腰の剣に手を伸ばすが――遅い。

 走りながらの前蹴り。アリシア自身が最速と考えている一撃だ。シウムは剣を抜ききれず、体を横に捌いてやり過ごす。

 しかし、それはアリシアの計算のうちだった。


「さああっ!」


 相手が態勢を崩したところへ、後ろ回し蹴りを放つ。狙いは、澄ました顔の上、こめかみ。

 だが、それもシウムには読まれていた。

 シウムは身体を沈めてかわし、抜刀の勢いをそのまま、一撃へと変えた。

 剣はアリシアに吸い込まれるように、的確に軌跡を描く。

 アリシアの身体が剣の腹で叩かれて吹き飛び、なすすべもなく石造りの壁へと叩きつけられる。


「う……」


 かろうじて顔を上げたアリシアを見下ろして、シウムは告げる。


「手を引きなさい。次は、これだけではすみませんよ」


 口調は優しげなまま。

 笑みを浮かべたまま。

 それがアリシアには途方もなく気に食わないが――

 

 彼女はどうすることもできず、意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る