第15話 夢魔、探しています
「まずは動くわよ。ビット、フリッツは街へ出て、足で情報を集めなさい。わたしはこの屋敷でもう一度彼女の様子を見る」
アリシアに指示されて、フリッツとビットは頷いた。すぐに部屋へと戻り、十分で支度をする。
木綿を紺色に染めた長袖に、カーキ色のズボン、その上から柔らかい革でできた胸当てをつける。刃物を持つ相手と対するには貧弱と言える装備だが、フリッツは気にしていない。速度で相手の攻撃を避けるというのが、フリッツの戦闘スタイルだからだ。
加えて、今は聞き込みが任務である。それほどの危険があるかは未知数であった。
「聞き込み……」
そこで、フリッツは気づいた。
夢魔の情報など、どうやって集めればいいのだろうか、と。
頭の中で、いくつかの想定問答が浮かんだ。
「夢魔、知りませんか?」
――知るわけがない。
「夢魔、見ませんでしたか?」
――見ているわけがない。
「ちょっと夢魔っぽい痕跡とか、最近ありませんか?」
――あるわけがない。
「…………」
そこでフリッツの想定質問は尽きてしまった。
自分が聞き込みとか、探索とか、そういった事に向いてないことを改めて痛感して、フリッツは膝を抱えて座り込みたくなった。
まさか本当にそうするわけにもいかず、フリッツは扉を空けて、既に支度を終えていたビットと並んで歩き始める。
「行きましょう、フリッツ」
「はい。具体的にはどうしますか?」
フリッツはビットに尋ねた。ビットは基本的にアリシアの方針に従うが、知識は豊富で、頭も回る。自分で決められないわけではないのだ。
ただ、普段はそれをすべて、アリシアに預けている。
彼らの間には主従の関係を超えた、強固な信頼関係がある。
フリッツにはそれがなんとも眩しかった。
「まずは街へ。領主と対立する勢力の確認から始めましょう」
「わかりました」
フリッツはビットの方針に頷くと、二人して歩く速度をわずかに上げた。
それでも、足音は石畳に響きもせず、二人は門の向こう側へと姿を消していった。
夢魔にも、生きる権利というものがある。
少なくとも、彼はそう考えていた。既に神話の時代と呼ばれるほどの過去、夢魔は敗北し、封じられた。それは敗北者に与えられた罰であり、それについて今更どうこう言う気はない。
しかし、封じられた空間で、何もせずに。毒素に身体を蝕まれて朽ちていくという選択は、彼にはできなかった。
なぜならば彼は、世界を愛していた。
人間が栄華を謳歌し、勢力を広げていってもかまわない。
ただ彼は、沈む夕陽を、おぼろげに輝く月を、季節を運ぶ風を、心から愛していた。
だから彼は、封じられた世界から、この世界へと舞い戻った。
いくつかの代償を払い、それでも残された時を愛する世界で過ごすために。
彼は夢魔。
かつて人と同じ世界に生き、世界に追われ――それでも世界を愛する、悲しき夢魔。
眠り続けるお姫様を代償に、彼はただ願う。
この世界で、生きていく場所が欲しいと。
心から願い、手を延ばし――
彼が掴んだのは、しかし何もない。暗闇だった。
フリッツとビットは、日暮れまで歩きまわったものの、それらしい成果は得られなかった。わかったのは、テオドアは上手く領地を治めており、反乱勢力はあるものの、それはテオドアに対抗できるほどの規模ではない、ということだった。
「夢魔の単独犯行では?」
フリッツは思いついたことをそのままビットに尋ねたが、彼は首を傾げ、穏やかに反論してきた。
「夢魔はいわゆる魔族。人間と違う存在ではありますが、別に人間と対立しているわけではありません」
ビットの言葉は、フリッツの考えを根本から否定するものだった。
それでは、何故夢魔は人間を眠らせるのか。その理由がわからなくなる。
フリッツの疑問を解くように、ビットは言葉を続ける。
「彼らは人間の生気を力とし、人間と夢の中で交わることでしか、子孫を残せません」
思わず歩みを止めそうになるフリッツに構わず、ビットは歩きながら喋り続ける。
「夢魔は魔族の中でも、人間と最も近しい距離にいます。だから、なるべく敵に回さずにすむなら、それに越したことはないのです」
二人の距離は、一歩分離れていた。その差は広がらず、縮まらず、二人は歩みを続ける。
「もし、本当に人間と……いや、世界と相容れない存在があるとしたら」
ビットは変わらず淡々と続ける。
「それは
唐突にもたらされた、あまりに不吉な響きを含んだその言葉に、フリッツは思わず身体に力を込めた。
夕陽に照らされて、左腕に巻き付いた黄金の腕輪が、キラリと輝いた気がした。
フリッツは一歩、強く踏み出す。
再び二人の距離が並ぶ。
「戻りましょう。今日の収穫はなさそうです」
「……はい」
城へと戻りながら、フリッツは一人口の中で繰り返す。
――世界と相容れない存在。
――――真魔。
夢魔を探しているはずなのに、その言葉は、耳にこびりついて離れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます