第14話 アリシアという女

 槍の穂先が、二人を捕えるよりも速く、アリシアは滑るようにして、側面に兵士に体当たりをした。槍を繰り出すべく重心を動かしていた兵士は、いとも簡単に吹っ飛んだ。

 ビットも逆の側面の兵士の鳩尾に、肘を打ち込む。

 残りの槍が、空を貫いた。

 アリシアとビットは外側から兵士たちへと肉薄する。


「はああああっ!」


 スカートの裾が広がることにも頓着せず、アリシアは気合いと共に、瞬間二撃、蹴りを繰り出した。

 兵士たちにとっては、鎧を身に付けた完全武装ではない事が災いとなった。アリシアの蹴りは的確に急所へと吸い込まれ、二人が昏倒する。

 予想外の反撃に驚いたのか、兵士たちがわずかにざわめく。

 その隙を逃さず、ビットが速度を上げた。

 さながら黒い暴風となって、次々に兵士たちの急所に肘を打ち込んでいく。

 一人、また一人と倒れる兵士を横目に、アリシアはテオドアを睨みつけた。


「覚悟はいいわね? わたしに喧嘩を売って、ただで済むと思わないことね」

「ば、馬鹿な……お前たち、本当にただの商人か?」


 驚愕を隠しもせず、テオドアが呻く。

 その反応に満足して、アリシアは不敵な笑みを浮かべた。


「わたし達は商人よ。でもそれが、弱いって理由になるとでも?」


 アリシアは一歩踏み出す。テオドアは押されて一歩、下がった。


「わたし達は世界中をめぐって物を仕入れ、売る。立ち塞がる障害は、実力で排除する」


 気がつけば、誰もが手を止めて、アリシアを見ていた。

 それは異様な光景であったが、同時に彼女の言葉の強さを証明してもいた。


「権力も暴力も、使いたければ使えばいい。けれど、相手から使われるのも覚悟することね」


 アリシアは、その意志によって、争い自体を粉砕する。


「テオドア=シェルフェリア。戦う相手を間違えたわね」

「ぐっ……」


 どん、とテオドアの背中が壁にぶつかった。だというのに、兵士たちは一人も動かない。

 完全に、アリシアに呑まれていた。

 アリシアは指を二本立てて、テオドアの鼻先に突きつけた。


「あなたには二つの選択肢がある。一つは、わたし達をこのまま出国させること」


 そこで指を一本、折る。


「もう一つは、洗いざらい話して、わたし達に依頼する」


 テオドアが、信じられない物を見るように、眼を見開いた。

 それに応えるように、アリシアは柔らかく微笑んだ。


「眠り姫を目覚めさせる、という依頼を」


 空気すらその動きを止めたかのように、静寂が広い室内を満たす。しかしそれは、張り詰めた緊張ではなく、雪解けを待つかのような、暖かな静けさだった。


「君は、助けてくれると、いうのか?」


 震える声で、テオドアが言葉を絞り出す。


「貰えるものは、貰うわよ?」


 悪戯っぽく微笑むアリシアは、小悪魔のような魅力を持ち――

 ビットにだけ見せた、してやったりという視線は、はっきりと詐欺師だった。

 ちなみに詐欺師は、はじめ高圧的に出て、それから優しく諭すという。




「結局は、政治的な問題だ」


 テオドアが憂鬱そうに洩らした言葉は、アリシアの予想通りだった。

 彼女たちは今、テオドアの私室にいた。


「国境を預かる身として、娘一人のために、国境を越えて大がかりな儀式を行うわけにはいかん。つけ込まれる隙を生むだけだ。その上、北の二大国は戦争をしている真っ最中。辺境の領主の娘など、儀式を行ってもらえる可能性は高くない。」


 シェルフェリア領はそもそも、アイトルド騎士王国、カルシード帝国という大陸北部の二大国に近い。地形的に山脈が走り、街道としては発展していないものの、地理的な要素としての重要性はかなり高い。

 隙を見せれば、即座に食らいつかれる。

 シェルフェリア領主に求められるのはまず何よりも自制心だった。

 それがどれほどテオドアにとって辛いことか、アリシアには簡単に想像することができた。

 そして、この状況が自分たちにとっていかに大きな商売になりうるかを、即座に計算する。

 いや、計算は既に終わっていた。だからこそ、アリシアはこうして、自分を即座に消そうとした相手とテーブルについている。

 夢魔を相手にするのは、普通の人間なら自殺行為でしかない。かといって、シェルフェリア領主であれば、大きな動きはできない。

 ならば、見捨てる。あるいは現状を維持し、少女が自らの意志で覚醒する可能性にかける。

 当然の帰結だった。

 しかし、アリシアは提案することができる。


「わたし達が夢魔を見つけ出して、討ちましょう」


 危険はもちろん、ある。失敗し、命すら失う可能性もある。

 けれども、自分達はいつだってそれをひっくり返して、ここにいる。

 留まらない。それこそが世界を渡り歩く条件であると、アリシアは信じている。

 だから、彼女は微笑みさえ浮かべて、言う。


「アリシア商会に、お任せを」

「頼む」


 テオドアの態度は領主のそれであったが、声は紛れもなく、父親のものであった。




 朝っぱらからそんな丁々発止のやり取りが繰り広げられているとは露知らず、フリッツは何故だか中庭のテラスで午前のお茶を楽しんでいた。

 いや、楽しんでいたというよりは、そわそわと落ち着かない様子であたりを見回していた。

 一言で表すならば、キョドっていた。


「あのねえ。堂々としていればいいのよ」


 フリッツの向かい側からクリスが呆れたように声をかける。

 こちらは流石に落ち着いた様子で、優雅にティーカップを口元へと運んでいた。

 フリッツはじっとりとした視線を向ける。


「簡単に言うなあ。俺みたいな人間は場違いだよ」

「まあ、そうね」


 自虐の言葉にあっさりと頷かれ、フリッツはちょっぴり心に傷を負った。しかし、クリスは気づいた様子もなく上機嫌で続ける。


「まあいいじゃない。少しつきあってよ」


 嬉しそうに微笑みまでつけられては、断るわけにもいかない。フリッツはやれやれ、とだけ言葉を洩らして、ぎこちない手つきでお茶を飲んだ。


「ねえ。フリッツはどこで戦い方を学んだの?」


 フリッツがカップを置き直すのを待ってから、クリスがそう声をかけてきた。

 特に隠すことでもなく、フリッツは普通に答える。


「俺は棍の師匠に教わってから、スクールに入ったよ」

「傭兵スクールね」


 確認するクリスにフリッツは頷いた。

 フリッツが所属していた傭兵スクールは、その名の通り傭兵を養成するための施設である。基本的な武器の扱い方や戦術の他に、野外活動の心得など、旅に必要なあらゆることを教えるという方針のため、騎士の二男、三男も入所することがあるほど、大陸では有名な施設である。

 だから、そこにフリッツが所属していたということは、別に驚くことではない。むしろ当然とさえ言えた。


「棍の師匠っていうのは?」


 そのせいか、クリスは質問を変えた。フリッツの強さの秘密を探ろうとするかのように。

 まるで尋問を受けているみたいだな。フリッツはそんな感想を抱きつつも、拒否するほど嫌ではなく、素直に答える。


「子供の頃かなあ。喧嘩に負けないように教わって。気がついたら弟子になっていた感じ」

「ふーん」


 クリスは納得していないようだったが、事実だからどうしようもない。フリッツはそれ以上、説明をしなかった。

 それでもクリスはめげない。すぐに質問を変えてくる。


「じゃあ、その腕輪は、どこで?」

「これはその師匠が……」


 またしても律儀に質問に答えかけて、フリッツは途中で言葉を切って、席を立った。

 歩いてくる自らの主人を迎えるために。


「休息はとれたみたいね、フリッツ。すぐに出るわ」

「はい」

「え? あの……出るって?」


 突然の指示にも動揺せずに頷くフリッツと、あからさまに混乱するクリス。

 その対照的な二人を交互に見て、アリシアは言葉を続けた。


「夢魔を探すわ」

『え?』


 見事にシンクロした二人を眺めて、アリシアは笑みを浮かべた。

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