第11話 聖魔法

「眠り姫よ」


「え?」




 何の説明にもなっていないアリシアの言葉に、フリッツは視線を向けた。


 だが、アリシアはそれ以上の説明を拒否する。




「見ればわかるわ」




 言葉に合わせるように、クリスが扉を開いた。そして、部屋のランプに灯りを移す。


 綺麗に整理された、一見何の変哲もない部屋。


 そこに据え付けられた、ベッドの上で。


 彼女は、眠っていた。


 クリスと同じ、長い黒髪を白いシーツの上に広げ、ぐっすりと。








「紹介するわ、わたしの妹。エリスティーナ=シェルフェリア。エリスよ」




 エリスという名前らしい少女の、穏やか過ぎるその寝顔は――


 生命力、というものをまるで感じさせなかった。




「これは……?」




 あまりの事態に言葉を失って、かろうじてクリスに視線を向けることに成功する。




「わからないわ。エリスは五年前に突然意識を失って、そしてそれから目覚めていない」




 クリスは僅かに俯いて、それでも説明をくれた。




「城の人間にはわからなかった。わたしも色々調べたけれど、無理だった……でも……」




 そこまで言うと、少女は顔を上げた。大きな瞳が揺れて、しかし涙は零れずに、強い力を持って、フリッツを見つめる。


 普通なら、思わずドキリとするだろう。しかしフリッツは、真剣な瞳で見つめ返しただけだった。


 クリスも眼を逸らさない。しっかりと、言葉を紡ぐ。




「でも、あなた達なら。世界中を回っているっていう、あなた達なら! エリスに一体何が起こっているのか、わからない?」




 少女の悲痛な叫びが響いた。眠り続けるお姫様は、目覚める気配も見せない。


 それでも、フリッツはその答えを持っていなかった。無力さに、思わず歯噛みをすると。




「夢魔ナイトメアね」




 当然のように口を開いたのは、やはりアリシアだった。




「知っているのですか?」




 クリスが振り向き、アリシアに一歩踏み出す。


 アリシアは金髪を掻き上げながら、頷く。




「話を聞いたときから、もしかしてとは思ったわ。けれど、実際に見るまでは確信がなかった」




 アリシアは頷いて、ゆっくりとエリスに歩み寄る。その顔に笑みはない。




「でも今は断言できる。これは『夢魔の眠り』よ」


「治す……方法は?」




 クリスが胸に手を当てて、頬を紅潮させて尋ねる。


 興奮を必死に抑えているのだろう。フリッツにはそれがわかった。そして、何故かうらやましいと感じた。


 アリシアはクリスに答えないまま、エリスに声をかける。




「さて、眠れるお姫様。あなたは目覚めてくれるのかしら?」




 しかし、当然エリスは答えない。身じろぎひとつすることもなく、注意していなければ聞き逃してしまうほどの浅く、弱い呼吸を続けている。


 アリシアは表情を変えることなく、ただエリスの頭に向けて、手をかざした。


 うっすらと白い光が、手のひらから零れる。




「天にまします我らが神よ。偉大なる御身の力を、卑小なるわが身にお貸しください」




 アリシアが言葉を紡ぐにつれ、光は強くなる。薄暗かった部屋が、次第に明るさを取り戻していく。




「現世に彷徨う、憐れなる者を、御身の力もて、目覚めさせたまえ!」




 ウェーブのかかった金髪が光に押されるように乱れることにも構わず、アリシアは朗々と紡ぎ、そして、発動する。




「祝福ブレス!」


「せ、聖魔法せいまほう?」




 クリスが驚きの声を上げる中、アリシアの掌から生まれた光は一瞬でエリスを包み込んだ。


 聖魔法は神に祈りを捧げることで力を引き出す魔法であり、精霊魔法と比べて使い方は限定されるものの、傷や病気を治すといった、人の身体、あるいは心を健常にする効果が高いため、利点が多い。


 精霊魔法とどちらが優秀、というわけではないが、聖魔法の使い手もかなり少ない。特に、その多くは神殿に所属しているために、アリシアのような組織に属さない使い手はさらに貴重となる。


 しかしその貴重な魔法も、徒労に終わる。


 エリスの身体は、いつの間にかうっすらと黒い光に覆われ、白い光の侵入を拒んでいた。




「ふん」




 一息吐くと、アリシアは腕を下ろした。同時に、白い光も消える。




「結構危険な状態ね」




 アリシアはそれだけ言うと、クリスを見つめた。




「これで秘密裏に事を運ぼう、っていうのは、ちょっと虫がよすぎるわ。本当に助けたいならば、大きな神殿に行って、きちんと何日もかけて儀式を執り行わないと」




 なるほど、と思うフリッツとは違い、クリスは目を伏せた。




「それは……できないのです」




 哀しげなクリスの言葉が、静寂を取り戻した室内に零れ落ちた。


 フリッツは、何かを言おうとクリスを見て、そして、口を閉ざした。


 少女の瞳は、今にも泣きそうに潤んでいて。


 少女自身が一番納得していないことが、はっきりとわかったから。

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