第9話 その領主、控えめに言っても親バカにつき

 フリッツの精神に深刻な揺れが起きていたが、ビットはまったく無視して馬車を走らせた。


 その甲斐あってか、日が西の空に沈む頃、馬車はそこへと辿り着いた。


 歴史を感じさせる石造りの屋敷。それを中心にした広大な敷地をぐるりと囲む塀。馬車はその中でも、直立不動の衛兵に守られている門の前で止まった。




「何用か?」




 問いかける衛兵には返事をせず、ビットはただ黙って視線で荷室を指した。フリッツはその横で抜けがらというか、置物というか、とにかくそんな状態になっている。


 衛兵が室内を改めるよう動く。しかしそれよりも先に、クリスが姿を現した。鎧はつけているものの、兜は外している。真っ赤な夕日に照らされて、揺れる黒髪が煌めく。




「お父様に取り次いで下さい。クリスティーナが戻りました、と」




 静かなその口調には気品が溢れており、領主の娘として相応しい立ち居振る舞いだった。クリスは衛兵が慌てて中へと報告に走るのを見送ってから、フリッツににんまりとした――どう控えめに言ってもご令嬢にはふさわしくない――笑みを送る。




「…………世の中、間違っている」




 フリッツはぼそりと呟いた。








 城へ入るとクリスはすぐに侍女に先導され、挨拶も早々に自室へと戻っていった。


 フリッツ達はしばらく待合室で待たされた後、謁見の間へと通された。


 豪奢というほどではないが、調度品も絨毯も落ち着いた雰囲気で、静かな厳格さとでも表現すべき張り詰めた空気が満ちている。


 奥の――やはり豪華さからは縁遠いが――造りのしっかりした大きな椅子に座っているのが領主テオドア=シェルフェリアで間違いないだろう。顔には大小の皺が無数に刻まれ、齢五十近いと思われるが、その黒い瞳には力強さが溢れており、身体つきもしっかりしていた。


 国境沿いを預かる領主として理想的な領主。アリシアから受けた説明を要約すると、その一言になるが、フリッツも同じ印象を受けた。


 三人が跪き、頭を垂れると、テオドアは静かに声をかけた。




「面を上げられよ」




 静かだがよく通る声だった。それに押されるように三人が顔を上げ、テオドアへと視線を向ける。


 テオドアは三人に順番に視線を送って、満足そうな笑みを浮かべた。




「なるほど。皆良い面構えをしている。クリスティーナの護衛、ご苦労であった。礼を言う」




 フリッツはただ恐縮するばかりだったが、アリシアは手慣れたもので、柔和な笑みで応じる。ビットはいつもの通り、まるで置物のように動かない。ひょっとしたら先程の顔を上げる動作も何かの仕掛けで動いただけかもしれない。


 フリッツのそんな意味のわからない妄想を当然無視して、アリシアは口を開く。




「お礼は、お言葉だけですか?」


「わかっている。褒美をとらせよう」




 表情こそ柔らかいが見事に直球を放り込むアリシアに、テオドアは苦笑すら浮かべずに鷹揚に頷いた。度量の大きさを示す態度に、フリッツは好感を覚えたが――




「何しろ儂の可愛い娘を危険から救ってくれたのだからな。不埒者はこの手で百回くらい斬り捨ててやりたかったが、そこまで贅沢は言わん」




 ――続いた言葉で気のせいだと確信した。


 チラリ、と横を見るとアリシアの頬が僅かに引きつっているのがわかった。


 ――何トチ狂った事を言っているのよ、この親馬鹿。


 きっと脳内ではそういった事を口走っているに違いなかったが、商魂逞しい会長はもちろんそんな事を口にはしない。




「山賊はともかく、先日の襲撃者は拷問にかけました」




 その言葉に、テオドアはおお、と眼を輝かせた。僅かに身を乗り出して、アリシアへと口を開く。




「それは素晴らしい! 君は……すまん。名前をまだ聞いていなかったな」


「アリシアと申します」


「アリシア君か。君は若いのに中々気が利くな! 今夜は泊まっていくといい! 是非夕食を共にして、様子を聞かせてくれ!」




 それはそれは嬉しそうに口走るテオドアを尊敬する気は、フリッツの中であっという間に消え失せていた。


 代わりに思い浮かんだのは、赤ワインとステーキを口にしながら、拷問の話で盛り上がるという異様な晩餐――というか、ほとんど黒ミサ――の光景だった。




「はい、喜んで招待をお受けいたします」




 誰がどう考えても完璧に食欲を失くすはずの誘いを、嬉しそうに受け入れるアリシアには一生勝てない。


 フリッツは心の底からそう思い、溜息をつくのを必死で我慢した。

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