第74話𓃀𓍯𓍢𓎡𓍢𓈖~砂漠の王~

「一体何を……! 奴はどこへ消えた?」

 トトと共にその場に取り残されたマアトは彼に詰め寄る。


「空間を入れ替えたんだ。分かるでしょ? ここは僕らが出る幕じゃない。心配しなくても彼は必ずセトを討つ。裁くのはそれからでも遅くはない」

 知らぬ間に成人の姿へと変貌したトトはそう言って彼女を諭した。


「さあ舞台は整えたよ。ここからは君達兄弟の物語だ。思う存分暴れるといい」


***


「まさか味方を隔離するとは。まさか、室内なら砂が使えないとでも思ったのか?」

 せせら笑うセトの背後でアヌビスは確信した。


 ここは王宮の地下。知恵の神はすでに知っていたのだ。セトの弱点も、この水脈の存在も。この場でただ一人その意図に気づいたアヌビスは対峙する二柱を見つめ、静かにその時を待つ。奴の視界に隙はない。邪神アペプの如く、その視界は背後にまで及ぶ。行動を起こすには細心の注意とあるいは――。


「お前は私欲の為に父を殺し、俺達を、そして民を深い悲しみの中へと突き落とした。身勝手な振る舞いで国を混乱に陥れたお前の罪は重い」

「一度敗れた者が何を吠えても無駄だ」

 ホルスの言葉を一蹴し、セトは嘲笑する。


 まるで津波のように襲いかかる大量の砂。それから逃れようとするホルスの行く手をさらに別の砂壁が拒む。


「当てが外れたなジェフティ。室内なら尚更、袋の鼠だ」

 一瞬にして視界を奪われ、気づけば蟻地獄の如く全身が砂に埋まっていた。ホルスは瞬時に羽を鋼鉄化し、砂の中で大きく羽ばたく。そうして脱出するのと同時にホルスは猛スピードで敵の懐に突っ込んだ。魔力を込めた拳は砂の盾によって塞がれたが、ホルスはそのまま身を翻し、後方から回し蹴りをきめる。鞭のようにしなる四肢を自在に動かし、何度も打撃を叩き込むが、いずれもあと一歩の所で防がれる。しかしまるで何かが宿っているようなその動きはまるで演舞のように美しく、この状況にも関わらずアヌビスはその様子に見入ってしまった。


 間髪入れず背後から数匹のハヤブサがまるで弓矢の如く突撃する。矢継ぎ早に攻撃を受け、さすがのセトも後退せざるを得ない。


 ホルスは待っていた。その好機を。

 アヌビスの視線が右に動いた瞬間ホルスは身を翻し、目の前の分岐を右に向かって駆けだす。


「行き止まりだ。さあどうする?」

 ホルスは後ろを一瞥し迷うことなくその拳で天井を破壊した。上から大量に振る水を避けようとするセトの足に何かが絡みつく。


「今更逃げるのか?」

 囚われていた筈のアヌビスの声が耳に響き、セトは自分が罠に嵌った事に気づく。

「どうやって抜け出した? あの手錠も結界も魔力を失ったお前には……」

「飼い犬に手を噛まれたんだお前は」

 アヌビスは手錠の鍵を握り、吐き捨てるように言った。


 足に絡みつく蔦が水を吸い、瞬く間に成長していく。それはオシリスの怨念の如く全身に絡みつき、徐々に体の自由を奪う。


「終わりだセト。父の無念と共に散れ」

 アヌビスはその手に父の剣を握るとそれをセトの体に突き刺した。


 しかし二柱の耳に聞こえたのは断末魔ではなく、くつくつと喉の奥で笑いを噛み殺す男の声だった。やがて抑えきれなくなったのか彼は声を上げて笑い始めた。


「……何故死なない?」

 確かに体を貫いた感触はあった。しかしよく見るとその体からは一切血が流れていない。二柱が困惑する間に蔦は土色に変色し、目の前で無残に朽ち果てる。その呪縛から解き放たれたセトにホルスが再び殴りかかると、彼は軽い身のこなしでそれを避けた。


「能力の一つを封じられた所で大した問題ではない。あまり俺を舐めてくれるな」

 セトは鬱陶しいとばかりに濡れた髪を掻き上げ、恨めしそうにこちらを見つめる。そして一歩足を踏み込んだかと思うと、下から腹を突き上げるような衝撃が兄弟を襲った。気づいた時には共に膝から崩れ落ち、二柱は唖然とした。それがただの蹴りだと誰が想像できただろうか。


「弱点すら強みに変える者こそが真の強者だ」

 水を含み泥と化した砂がゆっくりと地面を這い始め、ホルスは痛みを押して立ち上がる。だが一方のアヌビスはすでにその泥に足を取られ体ごと飲み込まれようとしていた。


「アヌビス!!」

 こんな所で負ける訳にいかない。ホルスは兄を一瞥し、足を取られぬよう飛び上がると空中からセトに向かって突進した。


「――ッ」

「右から来ると思ったか? 俺の打撃が」

 強烈な一撃を諸に食らい、セトは大きくふらついた。間髪入れず今度は強烈な蹴りを膝に叩き込むと、彼はついにその場に膝をついた。


 泥の動きが止まり、アヌビスは体についた泥を払いのけながら言った。


「俺達は目線で合図を送り合っていた訳じゃない。これは複雑に入り組んだこの地下を何度も調べ、知り尽くした彼女にしかできない任務だ。分かるか? ……キオネは死んでなんかいない。俺達にずっと合図を送っていたのは彼女だ」


 突如巨大な影がセトに襲い掛かる。セトは咄嗟に身を捩りそれを躱すが、キオネはすかさず身を翻し再び敵に牙を剥く。


「俺の魔力を最大量吸わせた彼女は今とても狂暴だ。飼い主である俺も制御できるか分からない」


 主を傷つけた敵に一矢報いようと彼女は凄まじい気迫を纏い、その首筋を狙う。しかしその勢いはまたしてもセトの一撃によって封じられてしまう。首根を掴まれ投げ飛ばされた巨体は壁に激しく打ち付けられ、キオネはキャンと子犬のような悲鳴を上げ、地面に転がった。


「キオネ……!」


 セトは口端についた血を拭うとゆっくりと立ち上がる。


「俺の手をここまで煩わせるとは。ただのガキだと思っていたが――いいだろう。少し面白いものを見せてやる」


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