第8話𓋴𓉔𓍢𓎼𓍯〜守護〜

 ホルスは突如として現れた凶器が自分に向けられている事に戦慄する。


「ずっと——貴方が来るのを待っていました。ホルス、今からこの剣で貴方に守護の何たるかを教授致しましょう。」


 セべクの顔から柔和な笑みが消え、纏う空気さえもがまるで別人かと思う程に鋭さを増す。本人は否定したものの、軍神とはよく言ったものだ。


「心配はいりません。真剣ほど切れ味はありませんから。」


 だが刃こぼれを起こしているならともかく、彼が握っているそれはどう見ても真剣だ。一体何が起こっているのかホルスには全く理解出来なかった。


「何でこんな事——。」

 戸惑い、恐怖の色を浮かべるホルスにセベクは更に鋭い視線を投げる。


「これこそがオシリス様の遺言だからです。息子を頼むと、そう言われたからこそ今私はこうして貴方と対峙するのです。」


 こんな状況にも関わらず、セベクの言葉にホルスは胸が熱くなった。父に背中を押されている様な気がしたのだ。


 要するにこれは修行の一環なのだとホルスは理解した。しかし切れ味がないとはいえ真剣を持ち出すあたり、やはり軍神の名に恥じぬ根性をしている。


「この人形を10分間、私から守り抜いてください。」


 そう言って渡されたのは冥界ドゥアトに住むと言われるメジェド神を模った木製の人形だった。


「あ、それと攻撃は禁止ですよ。貴方はその人形をに徹してください。」


 修行とはいえ突然提示された無理難題にホルスは思わず口を挟んだ。


「待てよ。俺だけ攻撃出来ねぇなんてずるくねぇ? 俺はまだ半神で、あんたは神。力の差がありすぎんだろ。」


 その言葉にセベクはため息をつき、厳しい眼差しを向けて言った。


「修行とは常に実戦を意識して行うもの。貴方がこれから相手にするのは言わずと知れた戦争の神なのですよ? 半神だの神だの、そんな言い訳が通るとお思いなら、王になるなどと大口を叩くのをやめて今すぐここから出て行きなさい。」


 セベクの言う事はもっともである。ホルスはその言葉に気圧され泣き言を飲み込んだ。

 

 ——やるしかない。

 ホルスは改めて目の前のセベクを見据える。彼の言う通り立ち向かうしかない。これは父の遺言でもあるのだ。

 

 その意思を汲み取ったのか、セベクはこちらに向かって容赦なく剣を振り下ろしてきた。


「うわっ……!」

 

 ホルスはその場から飛び退き、何とかその一振りをかわす。真剣でないとはいえ、やはり刃を向けられるのは恐怖でしかない。


「ほう、流石隼といった所でしょうか。動体視力、スピード共に素晴らしい。しかしその羽は飾りですか?まだいないようですね。」


「そんなこと言ったって……!」


 いくら広い神殿といっても所狭しと並んだ柱が邪魔で飛ぶことは出来ないし、そもそも人形の重さに耐えられる筈もない。ホルスが抱えるその人形は成人男性程の大きさと重さがあるのだ。


「これすげー重いんだもん。」

 再び文句を垂れるホルスにセベクはため息をつく。


「全国民の命を預かる身なのですよ。人1人守れないでどうするのです? それとも、自分だけ助かればいいなどという戯言を抜かす気ですか?」


 成程、この修行にはそういう意図があるのか。


 ホルスはそこで初めてこの人形の役割を理解する。だが攻撃してはいけないとは一体どういう事なのだろう。


 するとぼんやりと考えていたホルスの目の前で何かが煌めく。


「ッ……!」


 右腕を鋭い痛みが襲い、ホルスは思わず呻いた。セべクの剣をまともに食らい、ホルスは思わず人形から手を離す。


 真剣じゃなくともしっかり痛い。

 出血こそしていないものの、刃が当てられた腕には傷跡が残っていた。


「ぼんやりしているからです。人形、さっそく割れちゃったじゃないですか。」


 痛みで顔を歪めるホルスのにも全く動じる様子もなく、セべクは嬉々としてその刃を振るい続ける。


「楽しんでんじゃねえかよ……。」

 

 完全に外野となってしまったクヌムは椅子に腰掛けたまま、高みの見物とばかりにその様子をじっと見つめていた。



「……あ。」

 そうこうしている間に、また1つ人形が割れた。


「やり直しです。」

 セべクの陽気な声がだだっ広い神殿にこだまする。



 あれから数時間。

 壊した人形の数は既に50を超えていた。


「この国の貴重な資源をこれ以上無駄にしないでください。」


 息を切らし、大の字になって寝そべっているホルスの横で仁王立ちしているセべクの顔には疲労の色が一切見えない。こうして見ると師と弟子の構図が完全に出来上がっている。


 ——痛てぇ。

 切り傷や痣でボロボロになった全身が悲鳴を上げている。ホルスは肩で息をしながら華美な装飾の施された天井をぼんやりと眺めた。


「逃げるだけでは芸がありませんね。それでは体力が持ちませんよ。そもそもこの修行にあまり身が入っていないように見えるのは気のせいですか?」


「そりゃ相手が木の人形じゃあな。」

 

 強がってそう返してはみたものの、そういう問題ではない事はホルスもよく分かっていた。しかし手が塞がっている上に、攻めることも出来ないとなると、もはや八方塞がりだ。

 

 このままでは埒が明かない。ホルスには守る事よりも攻める事を考えた方が有意義に思えてならないのだ。


「攻撃は最大の防御、という言葉をご存じでしょうか?」


 まるでホルスの思考を読むかのようにセべクが問いかける。


「それそれ! 俺はそれが言いたくて…!」


 あれは中国の兵法書だったように思う。幼い頃アヌビスに無理やり読まされたのを辛うじて覚えていた。知ってはいるが、その言葉は今やっている事とは全く逆の事のように思えるのだ。


「あの言葉は攻撃の重要性を説いているのではありません。相手の戦意を喪失させるほどの圧倒的な防御力の事を指しているのです。」


 あの言葉が自分の思っていたのとは全く逆の意味だったとは。ホルスはようやくこの稽古の意味を理解した気がした。


「それってさ、戦わなくても勝てるってことだよな? そんだけ強くなれば誰も俺に敵わないって戦争もなくなりそうだしすげえいい案じゃん!」


 嬉しそうに語るホルスにセべクは少し驚いていた。要点を的確に捉え、起こりうる結果までを正確に導き出している。


 一見何の考えもない若者に見えるが頭は悪くないのかもしれない、とセべクは思った。


「ええ。オシリス様もそうやって国を守ってきたのですよ。」


 父の名前を出され、ホルスは尚更この稽古に意味を見出す。 


 防御の重要性は分かった。しかしホルスにはもう1つこの人形を全力で守れない理由がある。無論、想像力の問題ではない。


「でも俺、これが民だと言われてもいまいちピンと来ねえっていうか……。俺が守りたいと思うのは正直家族だけなんだ。」


 民は大切だと口では言っておきながらその2つを自然と天秤にかけてしまう自分がいる。


 守るべき人と守りたい人。

 ホルスには全く別の存在のように思えた。


「俺……王に向いてねえのかな。」


 ぼそっと呟いた言葉にセべクがくすっと笑った。


「素質とは何なのでしょう? どれだけ国を思い、民の事を考えても実際に守れなければ意味がない。思いがあればいいというものでもないのです。敢えて言うなら王として常によくあろうと考え、行動するその姿勢こそが素質なのだと私は思いますよ。」


 それに、とセべクは続けた。


「無理に大切だと思う必要はありません。それは実際に王となり、民と触れ合う中で生まれるものだと私は思います。貴方は貴方の中の大切な人を思い浮かべればいいのですよ。」


「そっか……。そうだよな。」

 王というものに捕らわれる必要はない。

 自分の中で納得できればそれでいい。


 大事なのはやり遂げる事。


 ホルスは自分の中に再び闘志が湧いてくるのを感じた。




「もう一回頼む。」

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